第8話 御曹司と再び
「星宮桜花様、百夜様のご命令でお迎えにあがりました。ご同行を願います」
「いやです」
真顔で即答した。
出会いが最悪だったためにどうにも嫌悪が拭えず、桜花はまた一歩静から距離を取る。
一方の静は相変わらずの笑顔で屹立していた。
「そう仰らず、これが最後ですよ。百夜様はただ貴女にお話があるとのことです」
「私にはありません」
「貴女にはなくとも百夜様にはおありです。どうかご容赦ください」
「……ご容赦くださいっていうのは、間違ってもそんな冷えきった目で言うセリフではないと思います」
今の、いや出会った当初から静の眼差しは氷山とも例えられるほどに冷たい。主従揃って凍りついた目で立っているだけで周囲の温度を下げている。
(この野郎、涼しい顔で中身は真っ黒じゃない)
警戒を解くことなく、また一歩下がろうとしたところで静に腕を掴まれた。
「なっ……!?」
「逃がしませんよ。諦めなさい。もとより貴女に選択権などありはしません」
「……随分と横暴なのね。そんな上から目線じゃあ女はついて行こうとは思わないわよ?」
「生憎ですが、これまでの女性たちは反抗的な貴女と違って大変聞き分けの良い方々ばかりでしたよ」
「それはついて行くメリットがあったから従順にしていただけだと思うけど」
「貴女にだって利益はあるでしょう。百夜様にお会いできるのですから」
「……」
桜花は思わず無言になる。確かに美しい顔立ちをしているが、これほど当然のようにさらりと言われてしまえばどうしていいのか判らない。ただでさえ言葉を失うセリフであるのに、それを言う静の素晴らしいドヤ顔も追加されている。普通の感性であればまず固まるだろう。
「呆けていないで何か仰っては?」
「いやあんたのせいでしょ」
「貴女がさっさと従っていてくださればこのような無用な会話などせずに済んだのですよ。百夜様はお忙しい身の上です。こちらへ」
「お断りすると言ったはずだけど」
「抵抗があった場合は少々乱暴な方法を使っても構わないと仰せ使っております。素直に従った方が貴女のためかと」
息をするように脅しをかけてくる静を内心で罵倒しながらも桜花は一瞬の思案の後、素直に従うことを選んだ。
「賢明な判断ですよ。いくらなんでも女性相手の暴力はこちらの品が疑われてしまいますので」
気遣いが皆無の余計な発言を流しながら車に乗り込んだ桜花は思った。
(一生家具の角に指ぶつけろこの女男)
♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎
車で連れて行かれた場所は見覚えのある高層ビルだった。
顔パスで通った静に続いてビル内に入った桜花は不自然にならない程度に周囲を観察する。見た範囲内では白を基調した風通しのよい綺麗なオフィスで、行き交う人々も明るい。
静について行くがままにエレベーターを登ると他とは違う雰囲気のフロアに出た。そのまま後を追い、社長室と書かれた部屋の前までやって来た。
「失礼します。百夜様、星宮桜花様をお連れいたしました」
「入れ」
中からの合図で、室内へ入ると書類と向き合う百夜がいた。ただ仕事をしているだけにも関わらず、その様だけで一枚の絵になっている。
「あの高さから逃げ出すとは随分とじゃじゃ馬だな」
「あのまま囚われの姫になるつもりなんか毛頭ないもので」
そっけなく返した桜花に百夜の眉が一瞬ピクリと動く。
「……どうやって逃げ出した?」
「あんなに判りやすい逃走ルートもないと思うけど」
「そういう意味じゃねえ。どうやってあそこに登ったかと聞いているんだ」
「え? 普通に」
「……普通、ねえ……」
桜花が閉じ込められていたのは地上22階にあるこのビルで一番小さな部屋である。窓は一つしかないため、逃げるということを考えるのであれば窓を探すだろう。しかし出た先はベランダのついておらず、手を離せば地上へ落ちてしまう。とても判りやすい逃走防止措置である。
「まあいい。星宮桜花、単刀直入に言う。あらゆる調査を行ったが、お前の疑いは晴れていない」
「……はあ!?」
思わず大声を出してしまったのも仕方がないだろう。あの朱雀財閥の御曹司ならば桜花の調査など朝飯前であるにも関わらず、全くの無実である桜花の証明ができないのか。
「意味がわからない。私は裏社会と関わった覚えはないし、家族だって関係していないわ」
「お前の自己申告になど意味はない。実際に白とは言い難いんだよ」
「なにそれ呆れた。別に薬もやっていないし、お金を借りているわけでもない。……まさかなんらかの目的のためにわざとそんなふざけたこと言っているの?」
桜花は自分が無実だと理解しているため、そうとしか考えられなかった。
「俺の目的にお前のような人間を組み込むわけがないだろう。そもそもお前になにができる? 自分がそれほど有能だと思っているのか?」
「万能とは思っていないけど運動神経に関しては有能だと思う。それは証明済みだし」
「それは一般人の中での話だ。俺たちの世界で見れば取るに足らん」
「裏社会において有能でいる必要性を感じない。関わりない世界だから」
そう、桜花は関わりがない。裏の世界で生きる人間などすれ違うことはあったとしても言葉を交わすこともなければ目を合わせることもない。……本来であれば。
「だがお前は既に関わった。このUSBを拾った、あの瞬間からお前はこちら側に足を踏み入れたんだよ」
「っ……」
桜花は百夜を睨みながらきつく拳を握る。桜花が目を逸らそうとしていた内容を容赦なく突いてくる。決して関わるはずのなかった世界に踏み入れてしまったという事実。自分がこの後どうなるのか、どうなっていくのか想像できないほど桜花は馬鹿ではない。
桜花が偶然でも一時手に持ってしまったものを考えれば末路は明白だ。たとえ運良く助かったとしても、ろくなことにはならないだろう。
桜花はこの世界で生まれたての雛鳥同然だ。あのデータを手にした以上、普通に街を歩いているだけでも狙われてしまう可能性は十分にある。そんな危険が身近に迫る状況で桜花にできることは媚びを売って強者の庇護を受けるか、やる側に回るかの二択だけだろう。
現実を実感し黙り込んだ桜花にしばらく無言で眺めていた百夜は、感情の籠らない声で衝撃の内容を告げた。
「呆けるのは後にしろ。先程も言った通りお前の疑いは晴れていない。よってお前には疑いが晴れるまで俺が身柄を預かることになった」
赤いダリアと氷の棘〜出逢〜 蓮条緋月 @Yuuyake234
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