チューリップ

碧川亜理沙

チューリップ

 ──私は、この3年間、思いやりの精神と奉仕の心を持って、高校生活を過ごしていきたいと思います。



 * * * * *



「皆さん、テストお疲れ様でした。午後からは奉仕活動となります。昼休みが終わったら、体操着に着替えて校庭に集まってください」


 期末テストが終わり、クラスは開放感に溢れていた。

 櫻井さくらい志保しほもその1人。思いっきり伸びをすると、肩の辺りでポキっと変な音が鳴った。


「志保〜、お昼食べよ」

 仲良くしている友人たちと机を動かし、カバンから弁当を取り出す。

「テストどうだった?」

「んー、自分の中じゃ割といけたって感じ? てかさ、今日の数B難しくなかった? 最後らへんの問題」

「やっぱりそうだよね? うち分かんなかったー」

「あれ、かなり応用きいてたよね。数学だけ赤点取りそうだわ」

「分かるー」

 テスト終わりということもあり、今日の話題はテスト問題になりそうだ。

 志保も弁当を食べながらときおり話にまじる。

「みんな、テスト気になるのは分かるけど、早く食べないと着替える時間なくなるよ」

 昼休みも半分を過ぎた頃、友人たちの弁当の減りが進まないことから、志保はさり気なく伝える。

 するとヤバいと言いながら、今度はみんな弁当を食べるのに夢中になった。


 私立附属女子高等学校は、テスト最終日は「奉仕時間」と称し、近隣の清掃活動を行っている。

 今回志保たちのクラスは、学校周りの清掃活動に割り当てられていた。

「正直さ、この時間ちょっとダルいよね」

 小声で友人がぽつりと呟く。

「分かる! せっかくテスト終わったのだから、部活動や好きなことしたいよね」

「ほかの学校って、だいたいそんな感じって聞くもんね」

 周囲の友人たちが口々に言う中、志保は正直その感覚に共感できないでいた。


 ──奉仕作業って、とてもいいことだと思うのになぁ。

 1年の時、思わず口に出して言ってみたら、みんなから「志保は変わっているね」と言われた。それからは、何となく口に出すことはなくなっていた。

 友人たちと自分では、その辺の感覚が違うのだと悟った。


「ねぇ、誰か津久場つくばさんどこにいるか知らない?」

 清掃活動の最中、クラス委員長が私たちのグループに向かって尋ねる。

「知らなーい」

「てか、今日学校来てたっけ?」

「テスト中はいたとおもうよ」

「またサボりじゃないかな」

「そう、ありがとう」と言い残し、委員長はほかの人たちにも話を聞きに行った。

「委員長も大変だね。問題児の世話焼かなきゃいけないなんて」


 津久場つくばひろ。ショートヘアに平均より高めの身長。いわゆるクールビューティ。成績も常に上位の方。

 そんな彼女だが、この学校では問題児扱い。遅刻やサボりの常習犯なだけで、それ以外は至って普通。それでもこの学校では、異端児扱いなのだ。

 今日も例に漏れず、奉仕活動には姿を見せていないらしい。

 友人たちは特に興味ないのか、最近話題のドラマの話に移っていた。志保も少しだけ周囲を確認しただけで、奉仕活動に専念することにした。



 * * * * *



 テストが終わると、夏休みは目の前に。

 そんな夏休みもあと数日といったある日の放課後、志保は担任に呼ばれ職員室にいた。

「櫻井さん、あなたは真面目な生徒だし、寝坊とかではなく、人助けで遅刻しているというのは分かっているけれどね」

 これから言われるであろうことは検討がついているので、志保は落ち着いて「はい」と返す。

「1学期だけで、もう10回近く遅刻しているの。それは気付いてる?」

「はい……でも、それは困っている人を見かけて手伝っていたからで……」

「えぇ、もちろん分かってるわ。あなたのその志は良いことだと思います。だけどね、学生は学業が本分よ。事情がある人に絶対遅刻するな、なんて言えないけれど、それでもこの状態が続くようなら成績や進級に関わってくるのだから──」

 担任の言っていることは理解できている。

 それでも、志保は何となく、腑に落ちなかった。それを顔には出さず、大人しく相槌をうちながら謝る。


 どのくらいお小言を言われていたのか。

「2学期からは気をつけるように」

 それを最後に、志保は担任から解放された。

「失礼しました」と職員室を出ると、無意識のうちに息をついていた。


 自分の中で理解できていることを、分かっていないようにいちから説明されるのは、聞くほうも疲れる。途中で理解してると口を挟めばいいのだろうけど、大人たちはそれを良くは思っていないだろうから、余計こじれてしまう。そうなると、自然とこちら側が大人しくしているしかないのだ。


 帰ろう、と教室に向かって歩き出そうとした時、今出てきたばかりの職員室のドアが開いた。

 思わず振り返ると、中から出てきたのは同じクラスの津久場央だった。

 お互い、ちょうど視線が絡む。

「……津久場さんも、先生に呼ばれていたの?」

 何となく、無視していくのは気が引けたので、当たり障りなく声をかける。

「そうだけど」

「そっか……。実は私も、さっきまで職員室にいたけど気づかなかったな」

 お互い教室に向かっているのか。すぐに途切れそうになった会話を、志保は無理やり繋げた。

 央はちらと志保に視線を向けただけで、その後の会話は続くことはなかった。


 2年の教室は職員室と同じ2階にあるので、5分もかからない道のりだけど、思ったより長い時間歩いたように錯覚する。

 志保は教室に戻り、自分の机の脇にかけてあるカバンを手に取り、早々と帰ろうとする。

「櫻井さん」

 珍しく央のほうから声をかけてきた。

「なぁに?」

「……あなたのそのボランティア精神、ほどほどにした方がいいんじゃない?」

 しばし、彼女の言っている意味が分からなかった。

「……何故? 津久場さんには迷惑も何もかけていないんだから、気にすることじゃないでしょ?」

 事実、志保は央とまともに話したのは今日が初めてだったりする。もちろん、同じクラスであるから会話しないわけではないけれども、それでもこんな風に2人で話すということは初めてだった。

「確かに迷惑かけられてはないけど、櫻井さん見てると、何か可哀想って思う」

「……ますます分からないわ。何故そう思うの?」

「櫻井さんって、1年の時の高校生活の目標スピーチ、奉仕活動を頑張るって言ってたよね。確か、いいことをしたらいずれ自分に返ってくるから、その分を相手に与えていくとかなんとか」

「よく覚えてるわね……えぇ、そうよ。そう言ったわ」


 この高校では、入学して1ヶ月ほどすると、高校生活3年間の目標を定め、学年みんなの前で発表する時間が設けられる。

 その時に、志保は今、央が言ったように、奉仕活動を目標として語っていた。


「でも、それで? なんで私が可哀想って話になるの」

 心底意味がわからず、志保は問いかける。

「……与えすぎると、それが当たり前になって、返ってこなくなるよ」

「……」

「櫻井さんは、自分が行ったことはいずれ自分にも返るって思ってるでしょ? でもそれって、ほどほどにやるからこそそう思えると思うんだ。櫻井さんみたいに、たくさん相手に与え続けたら、返ってきてもそれはほんの一雫なんじゃないかな」

 央は淡々と、帰り支度をしながら話しかける。その姿を、志保は眉をひそめながら見ていた。

「……やめろってこと?」

「違う、そうじゃない。私に止める権利なんてないし。ただ……今の櫻井さん見てると、やりがい持ってやってることの意義を見失っちゃうんじゃないかと思って……」

 おそらく、彼女は心配しているのだろう。だけど、やはり、志保は心配される意味が分からなかった。

「……それだけ、言いたかった」

「突然ごめん」と央はようやく志保の方を見た。そして、志保の表情を見て困ったような顔をする。

「……私は止めないわよ。自分で決めた目標だもの。それに私は、別に見返りを求めてるわけじゃないわ。自分のために、その人たちにとっての助けとなるような手伝いをしたいだけよ」

 話は終わりと思い、志保は荷物を持って教室を出る。


「いいことをしたら自分に返る……それは見返りとは違うことなの?」


 去り際、央のその言葉が背に飛び込んできた。

 一瞬、考えるために足を止めたが、それに答えることなく、志保は教室を後にした。



 * * * * *



 夏休みはあっという間にやって来て、あっという間に去っていく。


 志保はこの夏休みのほとんどを、ボランティア活動に充てていた。

 学校で募集していたものや、町や地域で募集されていたそのほとんどに参加していた。

 空いた時間は、宿題や課題に取り組み、休む間もなく充実した毎日を過ごしていた。


「櫻井さん、ちょっと痩せた?」

 今日は校内募集があった、小学生向けの勉強会に参加していた。

 お昼時間、何度か顔を合わせている同じ学年の子に言われた。

「……そうかな? 夏バテかも。ちょっと食欲もないし」

「大丈夫? 櫻井さん、いろんなボランティア参加してるっていってたから、疲れもあるんじゃない?」

「自分じゃ疲れてる感じはないのだけど……」

「自覚ないだけかもよ? それに、夏休み、ちゃんと遊んでる? 海行ったりとか、お祭り行ったりとか」

「お祭りは、町内の出店のお手伝いで参加はしたけど……」

 それ以外、ほぼ日中はボランティアに参加し、夜に宿題をしたりなどしており、この夏は友だちと遊びに行くことはなかったかもしれないと思い返す。

「え〜、もったいない! 来年は受験で、思い切り遊べるのは今年しかないのに!」

 彼女はそういうけれど、志保は不満などは感じていなかった。むしろ、目標に向けて思う存分やりたいことを行える、とても充実した日々だと思っていた。

 そう言うと、彼女は心配そうな顔をして、

「まぁ、櫻井さんがいいならいいけど……。でも、何事もほどほどがいいことだってあるからさ、頑張りすぎないようにね」

「うん……ありがと」

 曖昧に微笑みながらお礼を言う。

 残りの昼時間は、何となく気まずい雰囲気が漂っていた。



 * * * * *



 夏休みが終わり、秋が来て、冬が来ても、志保は相変わらず、奉仕活動に精を出していた。

 1学期に注意されてから、遅刻しないようにと心掛けてはいるものの、時折登校時間に困っている人を見かけては助けていた。

「櫻井さん、このままだと内申にかなり響いてくるわよ」

 担任のその言葉に危機感を覚えつつも、習慣づいた行動を止めることは難しい。

 遅刻を回避するなら、家を出る時間を早めればいい。

 そうして、朝起きる時間を早めたりするものの、今度は睡眠時間が足りないのか、授業中にうたた寝をしてしまうことが増えてしまった。

 そんな毎日を過ごしていると、少しずつ、自分の体の不調をはっきり自覚させられる。


 そして、とうとう限界が来てしまっていた。


「…………起きた?」

 目が覚めると、志保は白い天井を見上げていた。

 視線を横に動かすと、クラスメイトの央が椅子に腰をかけていた。

「津久場さん……?」

「櫻井さん、今日の体育の時間に倒れたの。……覚えてる?」

 しばらくぼうっとしていると、だんだんと思い出してきた。

 今日は朝から一段と体調が悪かった。だけど、今日の放課後、以前より頼まれていたボランティア活動に参加する必要があったので、薬を飲んで無理して学校に来ていた。

 そして、体育の時間、突然の目眩がして、その後の意識は途絶えていた。

「……津久場さんが運んでくれたの?」

「……まぁ、一応。保健委員だったみたいだから」

「そっか。ありがとう」

 素直にお礼をして、目を閉じる。少し寝たからか、朝よりは体調の悪さを感じ無くなっていた。


「……ねぇ、ボランティア、止めたら?」

 しばしの沈黙の後、央がぽつりと呟く。

 聞こえてはいたけれど、志保はなぜそう言われたのか分からなかった。

「前に止める権利ないって言ってたのに」

「言ったけどさ……櫻井さん、このままだと体壊れるよ。それに、成績も落ち気味だって、先生たち噂してるの聞こえたんだけど」

 確かに、つい最近終えたテストでは、今まで平均点超えは当たり前だったのに、その平均点にさえ点数が届かない教科が増えてきた。それに、授業中もうたた寝してしまうこともあり、なかなか集中できない日々が続いていた。

 それでも。

「……止めないわよ。だって、奉仕活動を頑張ることが、私の目標なんだもの」

 そう言って央の方を見ると、彼女は少し怒ったような表情をしていた。

「目標目標って……そんなに大事なこと? 自分のことよりも?」

「自分のことは大事よ。ちゃんと分かってるわ」

「分かってないから、ぶっ倒れたんじゃないの」

 そう言われてしまうと返す言葉がない。

 しかし、彼女が怒る理由はイマイチ分からなかった。

「ねぇ、なんで津久場さんが怒ってるの?」

「別に怒ってない」

 そうは言うものの、明らかにその表情は怒っていた。

「……心配かけたことは悪いと思ってるわ。それにここ最近、ちゃんと自分自身の管理ができていなかったことも反省する。でも、だからといって、今やってることをやめることにはならないわ」

 はっきりと央を見て言う。彼女も怒った顔のまま、私の話を聞く。だからこそ、私の言葉が彼女には届いていないということが分かった。

「……夏に、言ったよね。あなたが可哀想って」

 言われた覚えがある。夏休みに入る前、今みたいに央と2人きりになった時だ。

「やっぱり、私はあなたが可哀想って思う。思い返してみてよ。高校入って、一生懸命ボランティア活動参加して。それで、櫻井さんに返ってくるものって今までどれだけあった?」

「……」

「あと1年のうち、櫻井さんが手を貸してあげた人たちからどれだけのものが返ってくるっていうの。見返り求めてないって言うけどさ、人間、そんな無欲がいつまでも続くわけじゃないし、そこまでして櫻井さんが頑張る意味って何?」


 やはり、彼女は怒っているのだろうなと思った。

 そして、やはり、志保はなんでそこまで彼女が怒っているのか分からなかった──否、分かったらだめだと思った。

 おそらく央も、志保に自分の言葉がちゃんと届いていないと気づいているだろう。だけど、それでも、央は気づいて欲しいと思っている。


「……それでも、誰になんと言われようと、決めたことはやり遂げたいと思うの」


 そう言った時の、央のあの表情は、志保の中に印象に残った。

「……後悔しても知らないよ」

 それだけを残し、央はそばを離れていった。

 遠くでチャイムのなる音が聞こえる。

 今何時で、このチャイムが何回目のものか、志保は考えることをやめた。


 ──もう少しだけ……。


 志保は目を閉じる。

 央の表情が、まぶたの裏に焼き付いていた。

 言葉が、耳の中に居残っていた。


 ──それでも……。


 あんなに心配してくれた人は、初めてだった。

 それ自体は、素直に嬉しいと思った。

 それなのに、志保は彼女の言葉を受け入れない。

 受け入れてしまった後の、その後を薄々感じていたからか。


 もう少しだけ。

 もう少しだけ眠ろうと思う。

 放課後は、ボランティア活動に参加しないといけない。

 その為に、今は何も考えずに少し眠ろう。

 目が覚めた時、いつも通りに動けるように。


『私は、どんなことがあっても、思いやりの精神と奉仕の心だけは忘れず、この3年間の高校生活を過ごそうと思います』



-【完】-

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チューリップ 碧川亜理沙 @blackboy2607

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