7
ヴェルムの港は、屈強な肉体の船乗りが忙しなく行きかい賑わいを見せていた。
船上から下ろした貨物を一時的に保管する倉庫が建ち並ぶ一角、太陽光が遮られ鼠の親子が這いずり回る人通りの少ない路地裏にて、
長男のユースタスの顔は、誰かに一方的に殴られたかのように腫れ上がっている。誰かとは言うまでもなく無悪をおいて他にない。
「ユースタス。お前には落胆させられたよ。まさか自分から任せろと大口を叩いておいて、お使いもろくにできないとはな」
膝を曲げて屈むと、項垂れていたユースタスの髪を掴んで無理矢理視線を合わせた。黒目は泳いでいる。体の芯から恐怖を刷り込まれた弱者の、覆しようのない敗北の色が浮かんでいた。
次男のザインも三男のロンドレットも、無悪の暴行を止めようと試みたが、ただの人間に嵐の暴風を止められるはずもなく結局兄と同様に打ちのめされて罰を受けていた。
「どうするんだ。海の向こうのセルヴィスに最短で向かうには、海竜船の協力が欠かせないんだろ。なにか代案でもあるんだろうな」
あろうことかユースタスは、あれほど自信満々に海竜船の船長だという親友に依頼を申込みに行ったにもかかわらず、けんもほろろに乗船を断られて帰ってきたのだ。
無悪はこめかみの血管が怒張するほどの怒りを覚えた。アイリスとポチは自分が冷静さを欠かないうちに席を外させ、人気のない場所まで三つ首竜を引き連れて今に至る。
頬を叩いて、叩いて、叩いて、顔面がさらに腫れ上がって男に磨きがかかったユースタスは、前歯を失った口から必死の言い訳を発した。
「す、すみまへん……。だけど、俺にもわけがわからないんです」
「あのな、俺は代案があるのか聞いたんだ。糞の役にも立たない言い訳を聞いてんじゃねえんだよ」
グロックを腰から引き抜くと、顎の下に銃口を押し当てて、もう一度だけ尋ねた。
「なぜ、正当な理由もなく乗船を断られる。船長は貴様の知り合いのはずだろ。金か? それとも別の要因か?」
「そ、それは……」
言い淀むユースタスの顎を、抉るように押し当てる。
「言いたくなければ言わなくてもいい。だが、俺は誰であろうが躊躇なく
言い換えると、引金さえ引くことができれば赤子でも容易に使える。次の瞬間には
そのシンプルさ故に訓練の短縮にも繋がり、世界中で愛用されている拳銃の一つとなっている。
冷たいポリマーフレームの感触を堪能しているユースタスの脳裏には、先の木っ端微塵となったバジリスクの頭部が再生されていることだろう。
そして――無悪の気分次第では自分も同じ運命を辿ることを悟っているはず。
「話すならさっさと話せ。それができないんだったら、お望み通り魚の餌にしてやるよ」
「わ、わかった……話すから許してくれ」
「ふん。アイリスの手前、無用な殺しは控えようと決めているからな。流石にお前達を本気で殺すつもりはない。この程度で済んだことを感謝しろよ」
首の皮一枚で助かった事を、心から感謝してほしい気持ちで無悪は銃口を離した。
✽✽✽
「サカナシさん。三つ首竜の方々が元気がない様子なんですけど……というか、顔もボロボロでしたし、なにかありましたか?」
「さあな。ちょっとお灸を据えてやっただけに過ぎない」
「それ、絶対に嘘ですよね」
合流したアイリスは、すれ違った三人の様子から無悪が暴行を働いたのではと疑ってかかっていた。これでも随分と甘い制裁であることを評価してもらいたいくらいだったが口にはせず、終始退屈そうにしていたポチも引き連れて、とある場所まで向かっていた。
思い出すだけでも忌々しい。人間関係の
――話すから、それをしまってくれっ。実は、海竜船団を率いるミトスと会ってきたんだが……俺の話を聞く前に「とうとう船乗りになる決心がついたのか」なんて尋ねてきたんだ。
ユースタスは急かされるがままに口を開くと、一連の経緯を
親友と言っても十年ぶりに顔を合わせた二人は、初めのうちは積もる話に華を咲かせていたのだが、雲ゆきが怪しくなったのはミトスの問いかけに対して、ユースタスが「その気はない」と即答してからだったという。
それからはいくら頭を下げて頼み込んでも聞く耳も持たず、挙句の果てには刃物を投げつけられて、すごすご退散してきたというのだからなんとも情けない。
――大事な約束を忘れるような奴の言うことなんて、絶対に聞いてやるもんか! 全部思い出してから出直してこい!
ミトスはユースタスを罵った。その約束とやらを忘れてたのかと詰問すると、気まずそうに首を縦に振って答えた。
「つまり、ユースタスさんが約束を思い出さない限りは話が進まないと」
「そういうことだな。だが人間の記憶なんざあやふやなもんだ。思い出すとも限らない」
ユースタスにはもはや期待をしていない。ミトスとやらに直談判をするために、バサジール海竜船団に無悪直々に赴くことにした。
誰であろうが首を縦に振らせてやる――。無悪の意気込みとは裏腹に、ポチは足元をぐるぐると回ってはしゃいでいた。
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