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「凄い顔してますね……」


 ヴィルムに到着後、空腹を満たすために立ち寄った飲食店で、テーブルに置かれた大皿にアイリス含めて獅子連隊ビースターズは一様に絶句していた。


 大人が両手で抱えるほどの大皿の上には、アンコウに似ている怪魚が捌かれた状態で盛られていた。とにかく目を引くのは体長の倍はあろうかという鋭い牙――。


 透き通るほどの切り身に酸味が強いドレッシングがかけられ、盛り付けだけ見ればイタリアン料理で言うところのカルパッチョのようだったが、中央に載せられた頭部のせいで食欲は減退せざるを得ない。


 しかも生命力が尋常じゃないようで、獅子連隊ビースターズのガキどもを見据えると自分の体に手を付けようとする不届き者に、鋭い牙で噛みつこうと必死の抵抗を見せていた。


 味は――見た目が透き通るほどの白身であったため、淡白かと思いきや意外にも上質な大トロにも引けを取らないネットリした食感に、全員が全員満足気に舌鼓したつづみを打っていた。


 この世界では一部の観光地や金持ちを除いて、基本的に生魚を忌避する傾向にある。なかには一度も魚を口にしたことがない人間もいるほどに馴染みが薄い食品と言える。


 生まれて初めて刺し身を口に運んだマルコとその仲間たちは、次から次へと運ばれてくる品々に目を輝かせ、借金のことなど忘れてるかのように我先にと頬張っては皿を空けた。あの控え目なモニカでさえ、懸命に小さな口に詰め込んでいる。


 もともと貧しい家庭で育ったためか、野良猫と同じでその時食える分だけ胃袋に詰め込もうとしていた。

 品もなにもあったもんじゃない食べ方で、非力だった幼い頃の自分の影と重なって見えた無悪の脳裏には、たった一つのパンを自宅で一人頬張っていた忌まわしき過去の映像が過ぎる。


 一番度数の高い酒を一気に飲み干した無悪は、テーブルに金貨を数枚置いて立ち上がる。


「釣りはどうせ端金だからお前達にくれてやるよ。残りはどう使おうが勝手にしろ。俺はユースタスが上手く交渉しているか様子を見てくる」

「本当!?」

「なら、もっと食べないと!」

「あんた達、食べるか話すか、どっちかにしてよ!」


 無償の奉仕などクソ喰らえだが、時と場合によってはありなのかもしれない。

 一つ一つは歩みの遅い〝歩〟の駒でも、使いようによっては強力な〝と金〟となる。ここでガキどもを手懐けておけば、いずれ手渡した金貨の何倍もの利用価値が生まれるかもしれない――。

 

「やっぱりサカナシさんは優しいですよね。絶対に子供を見捨てませんし」


 店をあとにすると、ついてきたアイリスは脈絡もなくそう告げた。


「俺が優しいだと? 馬鹿言うな。だとしたら世の中は聖人君子で溢れ返るぞ」

「なんていうかな……こう言ったらサカナシさんは怒るかもしれませんけど、顔が少し柔和になられたんじゃないかと。側で見ていると、よくわかりますよ」

「ふん。人の顔なんてそうそう変わりはしねえよ」


 思いもしなかった指摘に戸惑わなかったと言えば嘘になる。その場では鼻で嗤い一蹴したが、磯の香りを感じながら歩みを進めていると、少年院ネンショーから出院して行き場のなかった自分を引き取ってくれた大鰐会長オヤジの記憶が蘇った。



        ✽✽✽



「おい小僧。お前、名前はなんという」

「……ああ? テメエこそ誰だよ」


 当時の無悪は少年院ネンショーを出院して二、三年が経過した頃だった。身寄りもなく、一片たりとも情を感じることのない女の住処を転々としながら、似たような境遇の不良が寄り集まって形成された不良グループのリーダーを張っていた。


 グループと一口に言っても、無悪を筆頭に好き勝手暴れる半グレのような集団で、その土地のヤクザなどに臆することなく襲撃した闇金で手に入れた顧客情報を手に見様見真似で高利貸しを演じてみたり、売人プッシャーを襲撃して奪ったネタを勝手に売り捌いて収益を上げたり、とにかく余りあるエネルギーを解消すべく、命がいくつあっても足りないようなシノギを片っ端から繰り返していた。


 そんな危ない橋を渡っていれば、いつかはしっぺ返しがくるのが当然の流れだった。不良グループの一人がヤクザの女に手を出したと因縁をつけられた末に、組事務所拉に致監禁される事件が起きた。


「無事に返してほしければ、一人で事務所まで来い。泣いて土下座して詫び料を支払うってんなら許してやるよ――」


 その条件を聞かされたとき、怒りで視界が真っ赤に染まったことをよく覚えている。先に述べたようにグループの内輪で仲間意識など皆無だったのだが、なにより舐められるくらいなら死んだほうがマシだと本気で思っていた無悪は、言われた通りに単身組事務所に踏み込んだ。


 ――無論、詫び料など支払う気はさらさらなかったが。


 結局、事務所に居合わせた計五名のヤクザを拳一つで血の海に沈めると、部屋の隅で口にガムテープを貼られてチワワのように助けを求めて震えていた仲間が、手足を縛られて転がされている姿を発見した。


「この不良の面汚しが」


 涙と鼻水で汚れたツラに渾身の蹴りを浴びせ続けた無悪は、とっとと事務所から離れようとドアノブに手をかけたその時――後頭部に重い衝撃を感じて意識が途絶えた。


「そうだな。確かにお前の言うとおりだ。俺は鬼道会で若頭補佐を任されてる大鰐源三ってもんだ。さあ、何があったか知らねえが名前を教えろ」


 目を覚ました無悪は、ソファに優雅に腰掛けていた大鰐源三の前で体を拘束され、芋虫がごとき醜態を晒していた。


 その背後には、無悪に散々馬乗りで殴られた男が顔を紫色に腫れ上がらせ、後ろ手を組んで休めの姿勢で待機していた。

 視線が合わさると視線を逸ら


 起き上がってくることはないと踏んで油断していた無悪の頭を、事務所に飾られた陶器の壺で思い切り殴ったらしい。

 床には誰のものかもわからない血の跡の中に、赤い血液が釉薬ゆうやくのようにかかった真っ白な破片が散乱していた。


「俺は無悪斬人だ。さあ、ヤクザの事務所を襲撃して無様に捕まっちまったんだ。煮るなり焼くなり好きにしろよ」


 死は怖くなかった。それよりも、命を乞う醜態を晒す方が、よっぽど恐怖だと感じでいた。


「まあそう熱り立つな。俺は弟分に用があって、たまたま立ち寄っただけなんだよ。なあ」

「は、はい……」


 バツが悪そうに返事をする男は、何があったのかと有無を言わさぬ迫力を前に仔細を説明した。黙って聞いていた大鰐はを全て聞き終えると、黙って男の鳩尾に鋭い拳を捩じ込んだ。


自分テメエの女をガキに寝取られたくらいで、いちいち事を大袈裟にしてんじゃねえぞっ! だいたい男として魅力がねえからこんな事態になるだよっ、ボケが」

「す、すみませえんっ」

「ヤクザが、あろうことかガキ相手に多対一ゴチャマン仕掛けといて、詰められた上に『負けました』だぁ? テメエよ、組に俺にも内緒で援交ビジネスやってたみてえじゃねえか。その売上はどうなってんだよ」

「そ、それは……」


 氷より冷たい口調で詰問を受けていた男は、すっかり縮こまって今にも泣きそうだった。


「まあいい。テメエみてえなヨゴレ鬼道会うちにはいらねえよ」


 散々甚振った末に、ピクリとも動かなくなった男から興味をなくした大鰐は、部屋の隅で身じろぎもせずに仁王立ちしていた護衛を呼ぶと、「トランクに詰めとけ」とだけ伝えて無悪に視線を戻した。


 スイッチが切り替わったかのような変貌振りに、無悪は驚いて眺めつつ大鰐の内に秘めた暴力チカラに魅入ってしまった。


「無悪。随分と鬼道会の縄張りシマでヤンチャしてるみたいだな」

「……それがどうした。さっきの男みたいに、どこかへドライブにでも出かけるのか?」

「ドライブか、それもまた一興だな」


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