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 長かった森林地帯を抜けると、湘南を横断する国道一号線のように陽光に照らされる海岸線が坂梨一行を出迎えた。


 馬車は海風に乗って届く潮の香りを切り裂きながら、同乗していた獅子連隊ビースターズのガキどものやかましい歓声が、大海原に吸い込まれていく。


 一番年下のモニカだけは唯一人会話の輪に入らず、黙りこくって空を滑空する鳥を眺めていた。相変わらず不気味なほどの落ち着きを見せている。


 そうこうしている間にも、大小様々な船舶が停泊している港が徐々に近づいてくると、一際巨大な造りの木造船が目にとまった。が、風の推進力なくして進まないはずの帆船にあって然るべきセイルがとこにも見当たらなかった。


 あの船は何かユースタスに問うと、「海竜船だ」と短く答えた。


「海竜が船体を引っ張るんだ。帆は無用の長物に過ぎない」


 少しずつ速度を落としていく馬車が完全に停車すると、ようやくヴィルムへ到着した。メインストリートを挟んだ両端を、威勢のいい店主が通りがかる一見客を呼び込もうと濁声をがなり立てている。


 見たこともない造形の海鮮物、色鮮やかな色彩の異国の果物、遥か異国の舶来品――街並みも並ぶ品々と同様に、様々な文化が溶け込んでいるように思えた。


 一人で各地を転々としている時期を含めて、数多くの人種や種族を目にしてきた無悪だったが、ヴィルムは漁船に加えて各国から訪れる貿易船も経由するため、どの街よりも異種族を目にする機会が多く遠出をしたことがないガキどもは目をまん丸くして歩いていた。


 太陽が中天に昇る頃、通りにカレーの香辛料スパイスに似た香りが漂うと、三つ首竜の三男――ロンドレットの太鼓腹が周囲にいる通行人が振り返るほどの大音量で空腹を訴えていた。


「お前な……護衛がそんなんじゃ、示しがつかないだろ」

「ごごごめん。だけど、おおお腹減ったんだな」

「ちょうど昼時だし、何か食べていきましょうよ」


 ユースタスの苦言に項垂れて、小さくなるロンドレットを見かねたアイリスの発案で近くの飲食店に入ることになったが、ユースタスはその提案を固辞した。


「俺達は護衛だ。旅程で馴れ合うことはしない。お前達が昼食を取っている間に親友に話をつけにいく」


 そう言い残すと、未練がましく振り返るロンドレットと、目線も合わせようとしないザインを連れ立って港の方角へと遠ざかっていった。獅子連隊のガキどもはというと、何故か足を止めるとそれ以上は着いてこようとしなかった。


「なにを馬鹿みたいに突っ立ってる。さっさと来い」

「いや……あの、恥ずかしながら飲食店に入る金がなくて……」

「はあ? 金がなくてどうやって旅をしている」


 モゴモゴと弁明するマルコの説明では、どうやら先のバジリスクから逃げている最中に路銀を何処かに落としてしまったようで、そのことに気がついたのもついさっきだという。


 誰にも告げられないまま今に至り、まさか突然一文無しになったを突きつけられたメンバーは不甲斐ないマルコ《リーダー》を責め立てた。


「マルコってば預けたお金無くちゃったの!?」

「それじゃあ、せっかくヴィルムに到着したってのに今夜は野宿?」

「……お腹減った」


 自己主張の少ないモニカでさえ、恨みがましい声色で兄を睨んでいた。


「えっと、とりあえず昼食代と今夜の宿泊代は僕達が支払ってあげるから、安心して」

「おい、何もそこまでする義理も必要もないだろ。このガキどもは俺に命を救われた。それ以上の問題は自分テメエたちで何とかするのが筋ってもんだろ」


 あまりにお人好しが過ぎるアイリスに、今度は無悪が苦言を呈する番だった。


「困っている人がいれば手を差し伸べる――ごく自然なことですよ。妖精姫様から預かった金貨も、二人と一匹の旅には不相応に多いですし、子供四人分の滞在費を気にするような小さい人ではないですよね? サカナシさんは」

「ったくよ、お人好しもそこまでいくと一種の才能だな。お前達」


 無悪の呼びかけに、まるで軍隊のように背筋を伸びして直立不動の姿勢を取る四人に、あるを伝えた。


 いくらアイリスが頼み込んできたとしても、自らの落ち度で窮地に立たされている人間に無償で施しを与えてやることなど、ヤクザとしての沽券に関わる由々しき問題だ。


 金を借りるということは、そう簡単に決めていいものではない。最初はクレジットカードのキャッシングから始まり、借金に対するハードルが緩んだ人間は、キャッシング枠を使い切ると今度は消費者金融サラ金を利用する――そこで借り入れが常態化して感覚が麻痺を起こした人間は、心理的ハードルが極端に低くなって暴利の闇金からも借り入れてしまう。


 借り入れたが最後――月々の返済も滞り、利息分だけを支払って翌月に持ち越すを繰り返して、パンパンに膨れ上がった元金を背負ったまま、この世からジャンプする。


「今回だけは特別、当面必要になる金は工面してやる。その代わり、この街のギルドで依頼クエストを請け負って利子をつけて返済しろ。本来なら三割と言いたいところだが一割にまけといてやる。飲まず食わずで野宿をするのは本望ではないだろ?」


 何も知らない赤の他人は、子供相手に血も涙もない冷血漢と思うかもしれない。どう思われようが結構だ。他人に借りを作るとは、つまり弱みを握られることと同義であることを駆け出しのガキども相手に、この際教えてやる必要を感じたまでのこと。

 






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