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 意味深な台詞セリフを残してマモンが去ったあと、無悪とアイリスの傍らには、魂を抜かれて息絶えたライオネルの亡骸が横たわっていた。


 人が変わったような経営方針の変更は強欲を司る悪魔の力によるもので、その代償として命を奪われた哀れな男に思うところは特になかったが、このままでは誰がどう見ても自分たちが殺人犯だと疑われてしまう――そう危惧した二人は、こそこそと従業員の目を盗んで黄金之里エルドラドを抜け出し望郷ノスタルジアへ逃げ込んだ。


 二人を迎い入れた望郷の女将には、魔族の存在は伏せて事情を説明した。

 ワンマン経営者亡き今、黄金之里並びにグループ系列の経営は当分の間慌ただしくなることが予想され、これ以上無理な取り立てはないだろうと伝えると何度も頭を下げられて感謝の意を伝えられた。


 もう一泊していくことを勧められたが、いつ捜査の手が伸びるのかもわからない現状、これ以上サラマンドルに滞在するのはリスクはあってもメリットがない。


 渋るアイリスを連れてリステンブールへ帰還を果たし、今に至る――。


 リステンブールに帰ってきて一週間後。

 妖精姫に呼び出された無悪とアイリスは、ギルドを訪れていた。ポチは無悪が帰ってくるなり感情を爆発させて飛びかかり、やめろと言っても顔を舌で舐め回し続ける始末。


 ガランドもフィーヤの二人は、七大魔族の一人とまたしても接触したことに驚きを隠しきれない様子だったが、なにより呆気に取られていたのは妖精姫だった。


「……で、よりにもよって黄金之里の社長に近づいていた男が二人目の七大魔族ですって? サカナシさんは一体どんな星の下に生まれたんでしょうか。もはや不運を自ら手繰り寄せる漆黒の崩壊星コラプサーですね」


 溜息がすっかり板についた妖精姫は、エレーナに茶を淹れさせると手を付けていた仕事を放棄して椅子にもたれ掛かった。


「ライオネルさんが亡くなって新たに社長の座に就いた方は、これまでの強引すぎる経営手法を改めるみたいですけど……これで望郷も含めたサラマンドルは救われるのでしょうか」


 新聞に書かれた記事から目を離したアイリスに、無悪は率直な思いを告げた。


「短期的に見れば救われたのかもしれないが、思考を停止させた旧態依然の経営ではどのみち落ち目になることは避けられないだろうな。今後意識改革が為されなければ俺達の苦労も無駄骨というわけだ」

「それに望郷の女将、ユズリハの窃盗癖が再発しないことを祈りますよ。一度失った信頼を取り戻すのは難しいですからね」


 今頃女将は盗んでしまった貴重品の持ち主一人一人に謝罪の手紙を送っている頃だろう

 恩人である妖精姫に二度と犯罪に手を染めないと誓い、文字通りゼロからのスタートとなる。


「そういえば、ここに小さく書いてある記事をサカナシさんは目にしましたか?」

「記事だ? なになに……『黄金之里の従業員と女将が現金を持ちだし逃走――』ああ、バルトとカナリアのことか。社長の側で甘い蜜を吸っていた奴らに居場所はないだろうな」

「あのバルトって人は陰湿でしたし、今もサカナシさんのこと恨んでそうですね」

「それを言うなら社長婦人の肩書を失ったカナリアもだな。これまで数えるのも馬鹿馬鹿しくなる程の連中に恨まれてきた俺だ――今更一人や二人に恨まれたところでなんとも思わん」


 テーブルの上に新聞を放り投げると、妖精姫はティーカップを傾けてから本題に入った。


「で、お二人はマモンから伝えられたセルヴィスへ出発するおつもりなんですか?」

「ああ。奴の言うことを聞くのは癪だが、この無悪斬人が手も足も出なかった程の男がわざわざ去り際に漏らした情報だ。訪れて見る価値はあるだろう。それに――」

「な、なんですか? じっと僕を見つめて」


 アイリスの首に嵌められている奴隷の証たる首輪を外してやりたい気持ちもあった。セルヴィスにはアイリスの直接首輪を嵌めた男が属する奴隷商会が存在すると、アキツ組のオルドリッチから生前情報を聞いている。


 その本人を見つけ出して解呪に必要な呪文を唱えさせる――それがこの旅の目的の一つであることは内に秘めたままにしていた。


「そうですか。『ヴァルプルギスの夜』の活動も気になるところですが……とにかく用心だけは怠らないでくださいね。流石に崩海域メイルシュトロームを隔てた彼の国ではこれまでのような支援は難しいですし、なにより治安はかなり悪いので油断は禁物ですよ」

「セルヴィス……確か海賊が支配してる国だったか」


 妖精姫の話では、かつてセルヴィスという国は怠惰な王族によって千年もの間支配されていたという。


 民がどれだけ飢餓に苦しもうが重税を課し続け、少しでも不満を漏らした者は一族郎党処刑されるような恐怖政治を腐りきった大臣に執らせていた。


 セルヴィスは国境沿いを険しい山脈に囲まれていた為、唯一海に面している湾から海上貿易を行っている。ところがその生命線たる海上には、諸外国の商船から恐れられていた海賊が跋扈ばっこしていた。


 その邪智暴虐は「海賊に捕まったら自害しろ」とまで商船関係者に言わせしめていたほどである。


 建国以來、自分達の富を貯め続けることだけに苦心していた王族はセルヴィスの恵まれた立地条件に甘え、他国から攻め入られることなどありはしないと国防政策に無頓着だった。


 そこで数十年前から蛮行を繰り返す海賊に、には目を瞑るかわりに海上の警備を一任させたというのだから驚きだ。


 そのセルヴィスに激震が走ったのが今から五年前のこと――。海賊どもは国家になんの通告もなしに湾を封鎖する暴挙に打って出た。当然輸入は滞り、国内は瞬く間に混乱の極地に陥った。


 土地のほとんどは痩せ細っていた為、農業もままならないセルヴィスは食料の多くを他国からの輸入に大きく依存していたため、輸入が途絶えて物が枯渇すると国内はハイパーインフレに陥り、国民の怒りは海賊の蛮行を止められない王族へと向かう。


 そして何が起こったのかというと、堪忍袋の緒が切れた国民は一致団結して贅と腐敗の象徴である王宮に雪崩込んだのである。


 暴徒と化した国民はその場にいた王族や大臣の首を全て討ち取ると、王宮前の広場に朽ちてもなお晒し続けて解放を宣言した。そして空席となった国王の座に就いたのが、騒動の原因を作ったバルバロス海賊団首領――ドン・マルティネス。


 国民を煽動せんどうし、海から陸へと上がったマルティネスに国民は改革を期待した――待っているのは更なる不幸だとも知らずに。


「マルティネスが望んでいたのは犯罪国家の樹立でした。あらゆる非合法な犯罪を海賊が請け負い、紛争が起これば兵力として貸し出す。他国から流れてくる違法薬物などの密輸入品の中継基地ハブとしても重要な地位を確立し、今や犯罪が主要産業となっているのです。王族が支配していた頃と比較にならないほど外貨は流れ込んできましたが、その結果治安は悪化の一途を辿ってるのが現状なんです」

「なるほど。やってることや思考は麻薬王エル・カポネとさして変わらないようだ」


 妖精姫の説明が終わると、執務室の外がなにやら騒がしくなり、ソファから立った無悪は勢いよく扉を開けると盗み聞きしていたエレーナに、フィーヤ、そしてガランドまでもが執務室に転がり込んできた。


「アイリス! まさか私を置いて遠くに行くなんて嘘だよね!? せっかく一緒になれたのにまた離れ離れなんて嫌よ」

「そうですよ。有能なアイリスさんにいなくなられたりしたら、文字通り仕事に忙殺されちゃいます〜。それに……サカナシさんとも会えなくなりますし……」

「アイリスよっ、頼むから嘘だと言ってくれ。おいサカナシ! あんな危険な国に大事な娘を連れて行くなんてワシは許さんぞ!」


 三者三様の言い分を聞いたアイリスは申し訳無さそうに微笑んだ。


「みんなごめんね。でも、サカナシさんと話し合って決めたことだから」


 困った顔で答えるアイリスに、なおも食い下がろうとする三人に妖精姫はピシャリと手を叩いて間に入った。


「ここはギルドマスターの執務室ですよ。三人ともさっさと持ち場に戻りなさい」



       ✽✽✽



 準備を済ませた無悪とアイリスを見送りに、妖精姫を始め見知った顔が一堂に集まっていた。特にアイリスと親しかった者は、全員が全員別れを惜しんで抱き合っていた。


 日本にいた頃には意識もしたことがなったが、この世界では長距離間の移動にとにかく時間がかかる。海一つ越えるのに一月も二月もかかることはざらであり、航海の途中でモンスターに襲われ、沈没することも珍しくない。


 出立の別れが今生こんじょうの別れになることもままある。


 猫人キャットピープル族のフィーヤはアイリスに抱きついて離れず、そんな困った奴の頭を優しく撫でながら「近いうちに必ず戻ってくるから」と約束をして離れると、先に三つ首竜ヒュドラの三人組が馬車に乗車していた。


「どうして貴様らが馬車に乗っている」

「とうしてって、妖精姫から聞いてないのかよ」


 妖精姫に視線を向けるも、そっぽを向いて知らぬ存ぜぬを決めこんでいた。どうやら珍しく報告を忘れていたようで、できない口笛を吹いてしらばっくれている。


「……まあいい。御者、さっさと出してくれ」

「はいよー」


 ゆっくりと動き出した馬車に届く声が、次第に小さくなってもアイリスはいつまでも後方に手を振り続けて声を振り絞っていた。


 見送る人々の姿が消えても、それは暫く続いて涙声に変わる。

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