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「ここがガキの監禁場所か」

「処遇に関してはオヤジの判断を仰ごうと思ったので、現在両手のみ拘束して室内で自由にさせています」


 歌舞伎町の一角に建つラブホテルの前に到着すると、降り立った無悪に恭しく頭を下げて出迎えた若い衆どもを無視してフロントからエレベーターに乗り込む。


 ガコンガコンと、古びた異音と振動を靴底に感じながら監禁部屋がある階に到着すると、扉の前には伊澤の護衛ボディガードがドアマンのように立ちはだかっていた。


「ガキ一人に随分と厳重な警護だな。まるで海外の要人並のセキュリティじゃないか」

「現在、桑原菫と前会長の間に親子関係が存在するのか遺伝子検査に回しています。早ければ今日中にでも血縁関係の有無はわかりますが、万が一にも親子関係が立証されれば鬼道会にとってVIPもVIPということになります。他に幹部の椅子を虎視眈々と狙っている者にバレるわけにはいかないですからね」


 頭を下げる護衛にと一声かけ、ドアノブを回した伊澤の後に続いて無悪は監禁部屋へと足を踏み入れた。


 ありふれた内装の一室に置かれたベッドの上で、廊下から射し込む明かりを反射する金髪が最初に目に飛び込んできた。


 輪郭がぼんやりと浮かぶガキは部屋の電気も点けずに膝を抱えて体育座りをしていた。親の仇を果たすという目的を成就したからか、怯えることもなければ命乞いもせず、ただ項垂れていたので顔までは窺えない。


「電気くらいつけたらどうだ」


 構わず照明のスイッチを押すと、ガキは眩しそうに目を細めて一丁前に無悪を睨みつけてきた――その時である。

 再び無悪の頭に千枚通しを突き刺したような激痛が走ったのは。


「くっ……」

「オヤジ、大丈夫ですか!?」


 あまりの痛みによろけると、慌てて伊澤が駆け寄り肩を支えた。素人に突発的な頭痛の原因など知る由もないが、ガキと視線が交わった瞬間――移動中の後部座席で感じた欠落した記憶とやらがフラッシュバックをした。


 朧気ながら脳裏に浮かぶ記憶の中で、初対面であるはずのガキは常に横に立っていたような気がしたのだ。


 無論初対面なので偽りの記憶に過ぎないのだが――。


 痛みを堪えながら歩みを進めた無悪は、表情一つ変えない桑原菫の前に立つと、口元から出血をしていることに気がついて指先で拭った。


 よく見れば肌着に近い格好から伸びる細い手足には、いくつもの痣が複数確認できた。相手はガキとはいえ大鰐源三を殺害した犯人――傷の一つや二つ気に留めることもない些事のはずが、何故だか無悪の心中は預かり知らぬところでガキを傷つけた者に対する怒りで静かに燃えていた。


「ガキ、その傷はどうしたんだ」

「……は? なんだよ、いきなり。どうせ殺されんだから関係ないだろ」


 光を失った瞳は生をとっくに諦めいているように見えた。


「この無悪斬人がどうしたのかと聞いてるんだ。いいからさっさと答えろ」


 抑揚を感じさせない冷淡な声で問い詰めると、ガキは俯きながら入口の扉を指差した。扉そのものではなく、その外に立つ男を――。


「あの男が、誰も見ていないことをいいことに私に襲いかかってきた。見ての通り両手は拘束されてるから、ろくな抵抗も出来なくて……。もう少しで犯されるタイミングでアンタたちがやってきて私は救われた」


 その告白を聞いた瞬間、怒りは冷たい殺意に変わり伊澤へと注がれる。


「……おい、伊澤。ガキを好きにしてもいいと許可を出したのはお前か」


 激情に身を委ねることはあっても、振り回されることなどただの一度もなかった。ただ今回だけは、いくら忠実な部下であろうが答え如何いかんによっては、に支払う金額が大人一人分増えることも計算して尋ねると、普段は冷静沈着な男の顔に焦りの色が浮かんだ。


「い、いえ。そのような許可を出した覚えはないです」

「そうか。なら外に立っている木偶デクの坊を呼んでこい。ついでに清掃業者の手配も忘れるな」



        ✽✽✽



 無悪の足元で背中を丸めて転がる男の顔面は、各部位パーツの形が判別できないほどに腫れ上がり、全身を隈なく青紫色の皮下出血で染めあげていた。


 息が荒れるほど殴りつけ、踏みつぶし、謝罪も懇願も一切無視して顎を踏み砕いた。ネクタイを緩めて一呼吸挟むと、砕けた前歯とともに血反吐を吐いた男の横で、二枚目の顔が崩れかかっていた伊澤が正座をしながら訴えた。


「オヤジ……相手は前会長を殺害した犯人ですよ? 確かに無断で子供に手を出そうとしたことは許し難いですが、なにも私の部下を壊さずともよかったのでは。今日のオヤジはどこかおかしいですよ」


 部下の凶行を止められなかった罪は重い。普段無悪の役に立っていなければ伊澤とて、虫の息の男と同じ運命を辿るところだった。


「今の話は聞かなかったことにしてやる。このどうしようもねぇ変態野郎の後始末はお前がしておけ」


 手の甲で額の汗を拭い、最後に全力の蹴りを腹部にお見舞いする。


「処分しろというのは受け入れ難いです。コイツはこう見えても組に貢献して」

「言いたいことはそれだけか? 上の命令を聞けないのなら、お前もここで死ぬことになるが」


 減刑を求める伊澤の言葉を遮り、グロックを引き抜くと眉間に銃口を突きつけて淡々と告げた。


 長年側にいるだけに決して冗談の類を口にしない無悪の覚悟を汲み取った伊澤は、やむにやまれずといった様子で虫の息の男を引きずりながら退室した。


 二人きりとなった部屋で、ガキは信じられないといった様子で口を開いた。


「アンタ……自分が何してんのかわかってるのかよ」

「お前も人の恩人を殺しておいて、よくそんな口利けるな」

「あんな奴が恩人だって? 馬鹿も休み休み言え。あの男は私とお母さんを捨てたことも忘れて何人もの女を抱いてきたんだ。お母さんは生まれつき病弱で、私を産んでからは一層具合が悪くなった。体に鞭打って働いても社会の底辺で生きるしかなかったし、挙句の果てに精神を病んで自殺したんだぞ……。大事な親を見殺しにした鬼畜を恩人と呼ぶ奴も全員同罪だ!」


 両手を拘束されながらも突進してきたガキをそのまま受け止めた無悪は、三度謎の頭痛に襲われた。振り解こうと藻掻いている小さな体を抱いたまま、無悪はその場で立ち尽くしていた。




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