11
決して黒字にならない帳簿を険しい表情で見下ろしていた女将は、断りもなく事務所に入ってきた無悪達の姿に驚いて立ち上がると、ぎこちない笑みを浮かべた。
「み、皆さんお揃いでこんな事務所に乗り込んできたりして、いったいどうしたんですか?」
「どうしただと? 言われなくても身に覚えがあんだろ」
卓上を整頓する気力もないのか、書類が雑多に積み重ねられた作業机の上に腰掛けた無悪は、目についた書類を一枚手に取り内容に目を通す。
「ちょっと、勝手に見ないでください。人を呼びますよ」
女将の警告を無視して別の書類を手に取りざっと読み上げると、そのどれもが借り入れた借金の返済期日を超過している旨を伝える督促状だった。
積もりに積もった督促状の山を見て、この旅館の経営状態は既に死に体であることを悟る。
しかも旅館は
悪徳業者に引っかかった哀れなカモは、あれよあれよと骨までしゃぶり尽くされ地獄に墜ちるのは、異世界でも世の常と決まっている。
「女将。整った顔立ちの癖に随分と無茶な借入れを繰り返しているみたいだな。タチの悪そうなところから考えなしに
「あ、貴方には関係のない話です」
手にしていた督促状を奪い取る女将に、妖精姫は静かに怒りを滲ませた。
「ユズリハ。私が以前、駆け出しだったあなたに一番最初に伝えた言葉を覚えていますか?」
「なんですか、藪から棒に」
「冒険者を志す前に、まず人の道を反れるような真似だけはするなと、そう伝えたはずです。それなのにあなたときたら……よくもまあ私を失望させてくれましたね」
「ま、待ってください! お二人共私が何をしたと仰るんですか!」
「僕の指輪を盗んだんじゃないんですか?」
しらを切る女将にアイリスが詰め寄るも、
「せっかく舞い込んできた起死回生の手を、みすみす手放す訳にはいかないもんな」
机から降りた無悪は後退る女将に詰め寄り、指輪はどこにあるのか問い詰めるも顔を背けて知らぬ存ぜぬを決め込む。
だが、完全にしらばっくれるのはそう簡単なことではなく所作の一つ一つをつぶさに観察していれば、自ずと答えは導き出せるもの。ちらちらと――女将の視線が部屋の隅に置いてある棚に向かっていたのを見逃さなかった。
「目は口ほどに物を言うとは、よく言ったもんだな」
棚に手をかけた無悪は、なにか仕掛けが施されていないか隅々まで確認すると、棚を横に引きずったような不自然な跡が残されていた。
流石に言い逃れが出来ないと踏んだのか、諦念が浮かんでいる顔には実年齢以上に老いさらばえた女の素顔が浮かび上がっている。女将自らに解錠させ扉を開けると、庫内には帳簿の他に宝石や金銀で装飾されたアクセサリーが複数保管されていて、そのなかにはアイリスの指輪も含まれていた。
「ユズリハ、あなたまさか」
妖精姫は無悪も一、二度しかお目にかかったことがない本気でキレたときの視線を向けると、とうとう言い逃れが出来なくなったと悟った女将は膝から崩れ落ちて白状した。
「私……女将を始めてから窃盗が止められないんです」
明かされた真実に妖精姫は、「理解できない」と非難を口にし正座をしている女将を糾弾した。これまで宿泊した客の荷物からことある毎に窃盗を繰り返していたようで、時には盗品を換金して生活費に当てていたのだという。
「擁護するつもりは一切ないが、自分の意思でやめられないのであれば〝クレプトマニア〟という可能性もある」
「なんですか? くれぷとまにあって」
アイリスは初めて聞く単語に首を傾げた。
「精神的な病だ。この世界じゃ精神病なんて見向きもされないが、日本には数多くの似たような症状の人間がいる。ようは窃盗を行う緊張感と窃盗後の解放感からくる精神的な起伏を好んで窃盗を繰り返してしまう精神障害の一つだ。原因は定かではないがストレスがトリガーとなると聞いたことがある。なあ女将、経営が傾き始めてから窃盗がやめられなくなったんじゃないのか」
「……はい。そのとおりです」
宿泊客もまさか女将が窃盗犯だとは思いもしないようで、従業員の中に怪しい者はいないと釈明されると強く訴えることもできず、日本ほどまめに捜査に当たってもらえるわけでもないので結果的に反抗が明るみになることはなかった。
「クレプトマニアは、『窃盗』という行為の為に窃盗を繰り返す精神病だが、今回アイリスの指輪を盗んだのは訳が違うよな。 その価値を知っていたアンタは手っ取り早く換金しようと売り手を探していたはずだ。違うか」
「……はい。借金を全て精算して、古びた旅館を改築しても使い切れない金額になると知った私は、すぐにアイリスちゃんが寝ている隙を狙って盗みました。ですが、モノがモノなだけに扱いに困ってしまって……」
「当たり前だ。希少な盗品ほど盗むより捌くほうが遥かに難しいんだからな」
女将は土下座をすると何度もアイリスに謝罪を繰り返した。ようやく手元に返ってきた指輪を愛おしそうに両手で握りしめたアイリスに、妖精姫は女将の処遇を尋ねた。
「仮に精神的な病だとして、これだけの数の窃盗を繰り返したのは許しがたい。アイリスちゃんが望むなら今すぐにでも然るべき罰を与えるけど、どうする?」
その問いに、アイリスは首を横に振って断った。
「ちゃんと僕のもとに返ってきてくれましたし、今回は女将さんを許すことにします」
人の罪をとやかく言う資格がない無悪は別として、ギルドマスターの肩書を持ち清廉潔白を重んじる森妖精は、かつての教え子とはいえ即刻然るべき罰を与えるべきだと伝えるも、馬鹿がつくほどお人好しなアイリスの意思は固かった。
「借金さえなければ女将さんもこうはならなかったと思うんです。だけど無条件で許すつもりはありませんよ」
床に手を付き泣き崩れる女将に、アイリスは一つ条件を提示した。
「僕が女将さんに求めるのは、これまで私物を盗まれたお客さん一人一人に誠心誠意頭を下げて謝ってもらうことです。約束を守ってもらえますか?」
「……はいっ、絶対に守ります」
精神病は口約束で解決できるほど甘くはないが、ここまで他人に対してお人好しがすぎるといっそ清々しいとさえ思えてしまう。
無悪は二人の会話には混ざらずに作業机の上に散らばる督促状に改めて目を通し、後悔の涙を流す女将に問いかけた。
「経営が立ち行かなくなっているのは、なにもここだけの話ではないだろ。もしかしたら他の旅館や潰れていった旅館も同じ状況だったんじゃねぇのか」
「ええ……。サラマンドルの各旅館も軒並み経営が傾いていたので、皆さん当座の現金にも事欠く状況でした」
ところが、そんなある日厳しい懐事情を聞きつけてやって来た金貸しに驚くほど低い利息で現金を貸し付けると提案された経営者は、喜んで借り入れたという。
しかし一時的に急場をしのいでも根本的な事態の解決に繋がるわけでもなく、借りても借りても経営状態は一向に改善されずに借金をするたびに利息は高くなっていき、気がつけば返済不可能な利息に膨れ上がってた。
旅館を抵当に入れていた者は有無を言わさずに奪われ、今ではサラマンドルで唯一業績を伸ばしている旅館の系列が建っている。
まるで最初から用意周到に逃げ場をなくすように仕組まれた罠ではないか――女将の告解を聞いて妖精姫も思うところがあるらしく、大きな溜息を吐くと無悪を一睨みする。
「サカナシさんの行くところ行くところで、必ずと言っていいほどトラブルが発生しますよね」
「それは否定しない」
日本にいたときも、異世界に訪れて以降も平穏とは無縁の生活を送っている無悪は悪びれずに答えた。
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