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「指輪って、サカナシさんがわざわざプレゼントしたんですか? 急に似合わないことしますね」

「黙れ。ガラクタだからと露店商のオヤジにタダで譲り受けたもんだ」


 混浴風呂の一件を根に持っているのか、からかうような口調の妖精姫にらしくもない言い訳を口にすると、アイリスは声を大にして二人のやり取りに割り込み、あるべきものを失った左手を突き出して訴えてきた。


「たとえタダだとしても、僕にとっては宝物なんです! 肌見放さずにつけていたので落としたとは思えないですし……大事に扱っていたので落としたとしたら気づかないはずがありません」

「わかったから少し声を落とせ。お前はずっと寝ていたんだろ? 部屋に誰か入ってきたとして全く気が付かなかったのか」


 無悪の問いに少し思案したアイリスは、そういえばと記憶を遡って口にした。


「部屋から静かに出ていく誰かの気配は感じました。ただ……半分寝ていた状態でのことだったので、ハッキリとは覚えていません。きっとサカナシさんが僕を起こさないように出ていったんだろうと思って気にも留めてなかったんです」


 混浴風呂に向かってから一度たりとも部屋に戻っていない無悪は、温泉から上がったばかりだというのに背筋に悪寒が走った。


 警戒心を解いてアイリスを一人にした結果、妖精姫に約束した直後に何者かの侵入を許してしまった己の不甲斐なさを猛烈に恥じいるばかりだった。


 もしも同様の失態を、会長の身辺警護の最中に犯そうものなら、その首謀者が暗殺者ヒットマンでオヤジのタマを取られようものなら、その罰は両の指を詰めたところで到底足りるはずもない。


 十中八九責任を取る形でオヤジの後を追うことになるだろう。


 不幸中の幸いだったのは、どうやら無悪の不在を狙って侵入を試みた不届き者の目的は、アイリスの命ではなかったということ――無悪に代わって妖精姫が襲われた形跡がないか確認したが、それもなかったようで安堵すると、隣でニヤニヤと妖精姫は新しい玩具を見つけたように碧色の瞳で見つめてきた。


「今、アイリスちゃんに何もなくてよかったと安心しましたよね? ね? 違いますか?」


 下から覗き込んでくるニヤケ顔に、コイツが男なら鉄拳をお見舞いしてやるところなのにと湧き上がる殺意と怒りをぐっと飲み込んだ無悪は、獰猛な獣の巣穴に迂闊にも飛び込んできた窃盗犯の不可解な行動を検証した。


「他にも何か盗まれたものはなかったか」

「一応持ち物は全て確認したんですが、現金は何故かそのままでした。というより、指輪以外の金目のものには一切手を付けられてなかったみたいです」

「つまり、犯人は最初からアイリスちゃんの指輪を狙っていたということになるわね」


 妖精姫の言い分は全面的に肯定できる。

 というのも窃盗犯はベテランのものほど犯行現場に滞在する時間を極力減らそうと苦心するもので、犯行にかける時間=成功率に直結することは、少し詳しい人間であれば誰しもが口を揃える鉄則だからだ。


 余計な時間はかけずに最小限の手間と時間で効率よく仕事をこなす。やたらめったらに現場を荒らす奴は第三者に発見される確率が高くなるだけでなく、現場に重要な物的証拠を残す可能性も大で、すなわち経験の浅い素人とも言える。


 昨今はシノギをなくして、まともに食えないヤクザを組が大量に抱えている実情がある。そういった底辺のヤクザは手っ取り早く金を手にするため、計画性もなく堅気の家を標的にする。


 女将を呼び出し、指輪が盗まれたことを伝えると各従業人に怪しい人物を見なかったか聞いてまわったようだが、該当する人間を誰一人として見ていないと答えが返ってきた。


 もし何かわかったら教えるよう伝え、一同は一旦現場である部屋に戻ろうとしたところを下心満載で混浴風呂にやってきたガランドとばったり遭遇した。


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