5

 部屋に戻った無悪は広縁ひろえんの椅子に腰掛けると、窓の外に広がる緑ばかりの長閑のどかな景色を眺めながら思案に耽っていた。


 何故アイリスが女だったことにこれまで気が付かなかったのか――思い返せばヒントはいくらでも転がっていたというのに不思議でならない。


 初めてあった頃から一人称は「僕」で、当時は髪も短かった気がする。中性的な顔立ちの男かと思いこんでいたせいか、その後も女々しい男というイメージが定着してしまい、二年ぶりに再会しても外見の変化や態度に意識が向かなかった。


 布団でうなされながら横になっているアイリスに目を向けると、着させた浴衣は湿り気を帯びて素肌に張り付き、はだけた裾から白く細い脚が露わになっている。


 だからといって欲情を覚えるほど変態ロリコンでもなければ落ちぶれてもいない。むしろ、見てはいけないものを見てしまったような罪悪感を覚え、それ以上肌が露出しないように開けた浴衣を元に戻してやる。


 これまで、自分の血を分けた子供ガキなど作るつもりなど毛頭なかったが、こうしていると父親の真似事をしてるようで悪い冗談のように思えた。

 

 無悪の知っている父親というものは、常に呑んだくれているかパチスロを打っているかの二択の、血の繋がりもないさもしい男を指す。腕っぷしも弱けりゃ学もない。ハナから負け犬になるために生まれてきたとしか思えないチンケなクズだったが、それでも成長期前の無悪には太刀打ちできない大人の一員であることに違いなかった。


 一日家を開けることなどザラで、素寒貧すかんぴんになって帰宅してくるとお袋に泣きつく。馬鹿なお袋は求められるがままに一万円札を財布から取り出していたが、俺の一日あたりの食費など当時で数百円かそこらだった。


 ふとしたきっかけで気分を害すと、荒々しい怒鳴り声で無悪を呼びつけては鬱憤を晴らす。その間もお袋は自分に飛び火しないよう知らぬ存ぜぬを決め込んでいた。


 殴られて意識が飛ぶ寸前にまで追い込まれるたびに、恐ろしくなって堪らなかった。親父に殴られることが怖いのではない――こんなクソみたいな人間に謂れもなく踏みつけられる人生を歩まなくてはならないのかと、そう考えるのがただただ恐ろしった。


「うう……」


 うなされながら寝返りを打ったアイリスの左手――薬指に嵌めたままである指輪に目がとまると、明らかな変化が生じていたことに気がつき凝視をした。


 二束三文にもならないガラクタだと思っていた指輪の外見が、宇宙を想起させる半透明の紫紺色に生まれ変わっていたのだ。


 角度によってその色合いを変化させ、中にはいくつもの光の粒が恒星のごとく散りばめられている。間近で覗き見ると底のない深淵が広がっていた。


「なんだ、この石は」


 宝石や魔石について門外漢の無悪でさえ、温泉街にふらりと訪れた露天商が初見の客にタダで譲るような指輪ではないことを確信した。


 ただ――疑問は残る。いったいあの露店商のオヤジはこれほどの一級品を本当にガラクタだと思っていたのか。それに、どうして指輪は突然輝きを放つようになったのか。


 アイリスは未だに起きそうにもないので、浴衣姿のまま無悪は件の露店商のもとに下駄を鳴らしながら足を運んだのだが、即席の露店が開かれていた場所はすでにもぬけの殻で話を聞くことは叶わなかった。



 

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