3

「なんだか不思議な石ですね〜」

「そうか? 俺にはただの石ころにしか見えんがな」


 意味を知ってか知らずか、左手の薬指にはめた指輪を大事そうに眺めているアイリスとともに到着した宿の一室でくつろいでいると、襖を開けて楚々そそとした着物姿の女将が膝をついて挨拶をしてきた。


 ともすればここが異世界であることを忘れてしまいがちになるクオリティーの温泉街は、どうやらサラマンドルの成り立ちに深く関係していたようだ。


 今から数百年前――生きとし生けるものに見棄てられたこの土地に、〝源泉〟が湧いていることを知った一人の日本人の転生者によって、一代でこのサラマンドルの温泉街は築き上げられた歴史があると道中にアイリスが足を止めて読んでいた看板に記されていた。


 道理で純和風の建築物や日本人の琴線に響く空気が醸し出されているわけだと、女将の襟首から覗くうなじをぼんやりと眺めながら考えていた。


「この度は妖精姫様の紹介で、当宿『望郷ノスタルジア』にお越しくださいまして誠にありがとうございます。私、女将のユズリハと申します。ご滞在中にお困りのことがございましたら何なりとお申し付けくださいませ」

「あ、こちらこそです」


 見様見真似で正座をしてアイリスは挨拶を返す。


「別にお前は正座しなくていいんだよ」

「そうだったんですか? それなら早く言ってださいよ」


 口に手を当てて微笑む女将に視線を戻すと、その外見の若さには舌を巻く。


 常に温泉に浸かっているからだろうか――事前の話では五十代目前に迫る妙齢の女将だと聞いてはいたが、おもてをあげた女将の顔は化粧で幾らか誤魔化している事実を差し引いても、二十代後半かそこらにしか見えない若々しさとハリを保っていた。

 世にいう美魔女のようなハリボテ感はない。


 アイリスも見た目と実年齢のギャップに驚きを隠せない様子で、さっそく手を上げて女将に質問をぶつけた。


「あ、あの……ここの温泉に入ると女将さんみたいに肌が綺麗になるんですか?」

「あら、美容に興味があるのかしら?」


 男が何を聞いてるんだと呆れながら、テーブルの上に置かれた菓子器から温泉まんじゅうを手に取り口に放り込むと、そういえば破産した美容クリニックから二束三文で買い叩いた美容機器を高値で売りつける商売シノギが順調に成績を上げていた頃を思いだす。



        ✽✽✽



 女とは根源的に老いを恐れる生き物――それが「若さ」と「美しさ」が売りの水商売の女であればなおさらだ。


 伊澤に集めさせた顔と口説き文句セールストークだけが取り柄の売れないホストや暇人を集めさせ、奴らの人脈でカモとなりうる女ども相手に営業を任せた。ものは試しと始めたシノギではあったがこれが見事に功を奏した。


 売りつける美容機器はいずれもボッタクリ価格ではあるが、最後のダメ押しに「君だけに特別価格で売ってあげる」と、枕元ピロートークを囁かれた女は簡単に堕ちていった。


 従業員に支払う給与を差し引いても人手が足りない程に成長し、規模を拡大させようかと考えていたところで普段はあまりシノギには口を出さない伊澤に、「顧客は女性に的を絞らず、美容に関心のある男性客も標的ターゲットにしてみてはどうか」と提案をされた。


「男がこんなもん買うのかよ」それは無茶な話だろうと思ったものの、「任せてください」と力強く勧めるので半信半疑ではあったものの、やらせてみせるとこれまたすぐに一台数百万の機材が売れた。


 これはいけると踏んだ無悪は、自らの息がかかっている闇金から借入れしてる女を含め、帳簿屋から取り寄せたファイルから多重債務の女、特に外見が優れている者を掻き集めさせると新店舗に集めると開口一番言い放った。


「ゴキブリが這いずり回る飯場はんばで浮浪者に近い労働者相手に一回千円で一生働き続けるか、それとも堅気の企業と何ら変わりない環境で美容機器の営業をするか。好きな方を選べ」


 鬼道会がバックに付いてるとは思えない洗練されたオフィスに連れてこられた女達に、無悪は温度を感じさせない口調で二択を与えた。


 当然、十人が十人後者を選ぶのだが、しかし相手は法外な利息にすら飛びつく根が腐った連中なのでくさびをしっかりと打たねばならない。


営業成績ノルマに達成しない月があれば即飯場行きだ」と伝えれば、どんな駄馬でもそれなりに真面目に働く。成果を上げたものにはボーナスも支払っていたので俄然やる気を出し、気付けば詐欺の片棒を担いでいることも忘れて熱心に働くようになっていた。


 男も女も必要とあらば自らのを最大限活用させ、一年経った頃には無悪のそこそこ太いシノギとなっていた。

 折しも時代は新興の美容クリニックが雨後のたけのこのように乱立していた時期。勝負に負けた店舗は次々に潰れていったので商材は眠っていても転がり込んでくる。


 なかには契約後にクーリングオフを迫ってオフィスにやってくる馬鹿な客もいたが、そういった場合には『担当者』という名目で、ダブルのストライプのスーツに金ネックレスと指輪でゴテゴテと装飾させたパンチパーマを同席させれば、すぐに矛を収めて帰っていく。


 しかし――世の常ではあるが、成功したシノギというものはすぐ他人に真似をされる。二番煎じ三番煎じの営業とも呼べない売りつけを行う競合他社が現れたことで、問題が表面化した余波を受け事業は畳まざるを得なくなったが、美というものに対する人間の妄執を思い知らされた一件だった。



        ✽✽✽



「当旅館の温泉の効能は、神経痛、筋肉痛、関節痛、運動麻痺、火傷の他に女性のお客様に人気の美肌効果もあるから、お肌がスベスベになること間違いなしですよ」

「美肌効果……」

「泉質の話はどうでもいいが、女将は妖精姫と知り合いなんだってな。なんでも冒険者をやっていたと聞いてるぞ」


 危険な冒険者家業をしていたとは思えない女将は、口元に手を当てて曖昧に微笑む。


「もう、妖精姫様ったらお口が軽いんですから。仰る通り、私がまだうら若き乙女の頃の昔話ですが、かつて徒党パーティ―で前衛を担当してたんですよ。その当時は今より筋肉がついていて体には傷跡ばかりで、決して乙女とは口が裂けても言えませんでした。妖精姫様には当時お世話になっていた時期がありまして、結婚を気に冒険者から女将に転職をしてからも手紙でのやり取りが続いてるんですよ」

「あ、女将探しましたよ。宴会場の手伝いをお願いします」

「そうだったわ、すっかり忘れてた。それではお二人共、私は仕事に戻りますのでどうぞごゆっくりお寛ぎつください」


 忙しいそうにやってきた仲居に声をかけられた女将は、再び頭を下げると急いで部屋をあとにした。夕飯までにはまだ時間はあるので先に露天風呂で一汗を流そうかと、やおら立ち上がった無悪は座布団の紐を指で弄びながら後に続こうとしないアイリスを不審に思い、何をしてんだと声をかけた。


「あの……僕は結構ですので、先に入ってきてください」

「何言ってるんだ。温泉に来て温泉に入らない奴がいるか」


 妙に狼狽えるアイリスに、そういえば昔も一緒の風呂に入りたがらなかったなと回想した無悪だったが、目を離した隙に例のカルト教団が接触してこないとも言い切れない。


 考えすぎかもしれないが、後になって後悔するよりも可能性の芽は摘んでおくに限る。


「オラ、行くぞ」

「や、やめてください! 僕は一人で入りますから!」


 手首を引っ張ると抵抗激しいアイリスの抗議を無視して大浴場へと向かった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る