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 温泉地サラマンドルに到着すると、山間部を切り開いて作られた街並みのいたるところから湯気が立ち昇り、数多くの旅館が年季を感じさせる看板を掲げ軒を連ねていた。


「うわ〜凄い湯気ですね。この旅館全部が温泉宿なんですか?」

「そうだ。日本にも似たような温泉地はあったからな、俺にはさして珍しくもない光景の一つにすぎない」

「そうなんですか。いつかサカナシさんの故郷に行ってみたいです」


 故郷――人によっては郷愁に駆られる言葉だが、無悪にとっては何の感慨も湧かない無味無臭な単語に過ぎなかった。そうだな、と適当に返事をして妖精姫お勧めの宿を目指す。


 遥か昔、この地に降り立った一柱の神が手にしていた剣を地面に突き立てたところ、万病に効果がある源泉が湧き出たという。


 今もなおきっさきを突き立てた跡と思しき穴から、一日に数回源泉が間欠泉のように吹き出しているようで豊富な湯量を誇っている。


 観光地化するまでは火山ガスの影響で草木も生えない不毛の土地であったことから、『冥府の入り口』と呼ばれ人が立ち寄ることのない禁足地だったが、今ではグロワール国内外問わず各地から湯治や旅行で訪れる客で賑わいを見せていた。


 医療水準が地球より遥かに劣るこの世界では、怪我人や病人が尽きない限り温泉地に金を落としていく客が途切れることはなく、温泉宿の他にも土産物から飲食店、はたまた路地を一本入れば〝風俗店〟まで幅広い業種の店までが恩恵を授かってるようだ。


 ――アイリスの目を盗んで偶には行ってみるか。


 そんなことを考えていると、心を見透かされるように袖を引っ張られ話しかけられた。


「サカナシさん。あれ見ください! 池が沸騰していますよ!」

「あれは……源泉の一部だろう。他にも地獄の名を冠した池が幾つもあるみたいだしな」


 少し歩いただけで、そこかしこに別府温泉のような源泉が湧き出している。合計七つの池はそれぞれペンキを落としたような色で染まっていた。


 少しは臭いに慣れたのか、はたまた嗅覚が馬鹿になってきたのか、鼻を押さえなくても話せるようになったアイリスは、生まれてはじめて訪れたサラマンドルの街に興奮を隠せない様子ではしゃいでばかりいた。


 こう見ると魔族の、しかも七大魔王の一角と対峙したなんて話を誰が信じるだろうか。先を走っていく後ろ姿に、体は成長しても中身は子供ガキのまんまだなと本音を隠しながらついていくと、とある土産物屋の前を通りかかった無悪に声をかける人間がいた。


「そこのあんちゃん。良かったら一つ買っていかないかい」


 立ち止まって振り返ると、左眼に眼帯をしたいかにも怪しげな露天商のオヤジが、無悪に媚びた視線を向けて旅の記念にとお決まりの口上フレーズを垂れている。


 簡素なテーブルに並べられた商品に視線を落とすも、一昔前に繁華街でよく見かけた、無許可のアクセサリー店に似た品揃えに思わず眉をひそめて尋ねた。


「なあオヤジ。温泉地でなんのゆかりもねぇガラクタに等しいアクセサリーを売っても売れんだろ」

「ガラクタなんて酷いですよ。確かに温泉地とは何ら関係はございませんが、あっしはこう見えて各地を転々とする魔法具専門の露天商でしてね、取り扱ってるのはどれも悠久の歴史を刻んだ鉱物を使用した魔法具マジックアイテムですぜ」

「これがすべて魔法具だと?」

「モチのロンでごぜぇます。そこいらの店の品揃えには負けない自信がありますぜ」


 手揉みをしながら薄気味悪い笑みを浮かべる店主を無視して、手近にあったルビーに似た色の石が嵌め込まれた指輪を手にすると、「お目が高い」と大袈裟に褒めてくる。


「それは炎の精霊イフリートを宿した高品質の地下鉱物を、熟練の職人が丹念に研いて製作した一品物の指輪でございます。巷では金額千枚はくだらない代物ですが、今日はお客様との出会いに感謝して――なんと大出血価格の金貨百枚でいかがでしょう」


 これまで魔法道具を買ったことがなかったので、仮に本物だとしてもその価格が妥当かどうか判断しかねていると背後に二人組の客が立ち、ヒソヒソと会話をしはじめた。


「――おい、迷宮ダンジョンでも滅多に手に入らない精霊の加護を受けた指輪が、今なら金貨百枚だとよ」

「しかもあの輝き……間違いなく純度の高い鉱石に決まってる。これも出会いだ、あの人が買わないんだったら俺が買っちゃおうかな」

「そんなとこでコソコソとくっちゃべっていないで買ったらどうだ。俺は譲ってやってもいいぞ」

「え?」

「オラ、欲しいんだろ? 遠慮するなよ」


 これっぽっちも欲しいとも思わなかったので二人に強引に手渡そうとしたのだが、予想通り「もう少し考えてみる」と煮えきらない答えが返ってきた。

 その反応で確信した無悪は店主に迫る。


「こんなわかりやすいサクラを使ってる時点でバレバレなんだよ。もう少しマシな演技ができる奴を雇うんだな」

「ちぇっ、あんさんには敵わへんなぁ。仰るとおりそこの餓鬼ボンらは雇ったばかりの素人トーシローよ。演技が下手糞で見てるこっちがヒヤヒヤしましたわ」


 無悪が詐欺を指摘すると、店主は特に反論もせずドカッと椅子に腰掛け後ろのサクラを片手で追い返した。


「で、どないしますの? 違法露天だと訴えられたら、こちとら御飯おまんま食い上げでっせ」

「別に訴えるつもりはない。違法だろうが合法だろうが、俺の妨げにならなけりゃ、そもそも興味がないからな」

「おお怖。あんさん……その目、その佇まい、お天道様の下を歩けるような人生を歩んできてないな。――ああ、いらっしゃい。どうぞ好きに見ていってな」


 一瞬で接客態度を変えた店主の視線が、無悪の横に注がれると頬を膨らませて戻ってきたアイリスが立っていた。


「もう、なに道草食ってるんですか。早く行きますよ……って、綺麗な装飾品ばかりですね」

「おおっ、お嬢ちゃんはこのあんちゃんと違って見る目があるやないか。これらは全部ワイが目利きした最高級の魔法道具でっせ」

「そんな、お嬢ちゃんだなんて……僕はれっきとした男ですよ」


 やはり女と間違われるのは嫌なのだろう。俯いて否定するアイリスは数多く並べられた装飾品の中から一点の指輪を手に取ると、不思議そうな顔で店主に声をかけた。


 それは何の変哲もない――というより表面が黒くくすんだお世辞にも綺麗とは言えない楕円形の石が嵌め込まれた指輪にすぎなかった。


「これって、何の石なんですか?」

「ん? ああ、ソレは外れの石やな。ピンからキリのキリに当たるガラクタだが……なんでそんなもんがうちにあるんやろ」


 店主は首を傾げ、「ボンはそれが気に入ったんかい」と尋ねると、アイリスはおずおずと頷く。


 男が指輪を欲しがるのかと驚きもしたが、よくよく考えれば趣味の悪いヤクザもこれみよがしに金の指輪をはめている。

 既にアイリスの両手はしっかりと指輪を握っていた。


「オヤジ、その指輪を寄越せ」

「いいんかい? はっきり言って使い道はないで」

「いいから寄越せと言ってるんだ。幾らになる」

「まあ磨けば少しはマシになるかもやけど……売ったところで二束三文やしな――せや、金はいらん。ここでアンさんみたいな男と出会ったのもなにかの運命や。持っていき」


 結局タダで手に入れた指輪を左手の薬指にはめ、うっとりといつまでも眺めているアイリスの横顔は、いつにもまして女っぽさに磨きがかかっているように思えた。



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