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二年振りに帰還を果たしたリステンブールのギルドは、あいも変わらず喧騒で包まれていた。
以前はその中心でお山の大将を演じていた
どうやらこの二年間で心境に変化があったようで、特に長兄でリーダーのユースタスは無悪が姿を消してから、人が変わったように真面目に
一度は志した上級冒険者を再び目指し、鈍っていた腕も今では全盛期の実力まで回復していると、妖精姫はこの二年間に起きた出来事を執務室で語った。
「それにしても、以前とはまるで見違えましたね」
向かい合ってソファに座る妖精姫と無悪、それにアイリスの三人に茶菓子と紅茶をもてなすエレーナはティーカップを置くと、お盆で顔半分を隠しながらジロジロと無悪の顔を覗き見ていた。
「エレーナ。客人に失礼な態度を取るのは感心しませんよ」
「あっ、し、失礼しました。その、久しぶりでつい……。申し訳ございません」
「エレーナさんは仕事で忙しいと思うので、どうぞ可及的速やかに持ち場へお戻りください」
「ちょ、アイリスちゃんまでそんな言い方しなくても」
雇い主である妖精姫はまだしも、アイリスも同調して名残惜しそうなエレーナを執務室から追い出すとベッタリとくっつくように横へ腰掛ける。
壮絶な戦いを終えてリステンブールに戻った二人はその足でギルドへ赴くと、書類作業に追われていた妖精姫のもとに久方ぶりに顔を出していた。
「別れ際のサカナシさんの顔は今でもよく覚えています。こう言ってはなんですが、遅かれ早かれ戦いの中で息絶えるんだろうなと思ってました。ですが、どうやらすんでのところでアイリスに助けられたようですね。心から感謝したほうがいいですよ」
「お前に言われなくてもわかってる。確かにアイリスが現れなければ間違いなく俺は死んでいたからな」
「おや、随分としおらしい態度じゃないですか。私を脅し透かして歯向かってきた抜身の刃に等しいあなたは、いったい何処に行ってしまわれたんでしょうか」
コロコロと愉快そうに微笑む妖精姫に、無悪の肩の上に飛び乗ったポチが代わりに牙を剝いて唸る。残念なことに小型犬が吠えているようにしか見えず、相手を和ませるしか効果はなかったが。
「それにしても……この愛らしい犬が
そっと手を差し伸べた妖精姫の指を、ポチは恐る恐る鼻を近づけ匂いを嗅ぐと、すぐに警戒心を解いて尻尾を振り始めた。
どうやら悪意がないものには誰にでも懐くようで、孤高と謳われる神狼の威厳はどこにも見当たらない。
「まったく……神獣を連れ歩くなんて、常識の
「別に好き好んで引っ掻き回しているわけじゃない。トラブルのほうから俺に近づいてくるんだよ」
ピニャルナ山で起きた一連の出来事は、余すことなく妖精姫に伝えた。無悪の他に召喚された日本人の存在も。
大量殺人も可能な毒ガスの製造――そして〝神化薬〟なる未知の薬と神狼さえ封印する謎の黒ローブの男の存在を聞いた妖精姫は、深々と溜息を吐くと執務机の上に広げていた新聞記事を無悪に手渡した。
「最近も隣国でとある宗教の大司教が暗殺された事件がありました。あくまで可能性の話ですが、サカナシさんが巻き込まれたのはもしかしたら〝ヴァルプルギスの夜〟を名乗る集団の可能性が高いです」
「ああ、そいつ等の噂なら耳にしたことがある」
ヴァルプルギスの夜とは、かつてこの世界を蹂躙した魔族を初めて地上に召喚し、世界に混沌をもたらした原初の魔女を信奉するカルト教団。
魔族の手によって腐敗しきった世界を一度リセットしようという――
各地で頻発しているテロや要人暗殺に関わっているとされているが、決定的な証拠はなく現在は国から監視対象に指定されているものの、実際の構成員数や教祖など詳細な情報は一切知られていない秘密結社である。そこまでは無悪も知識としては知っていた。
「証拠は何一つありません。ただ、ヴァルプルギスの夜の一員であれば、サカナシさんの話した内容を実行に移すことも考えられなくはないという程度の根拠薄弱な憶測です」
「そもそも魔女とは何なんだ。以前冤罪で放り込まれた牢獄から出てきたときに、衛兵の一人から『この世界には魔女は存在しない』と聞いた覚えがあるが」
「あの、サカナシさん。そのことなんですが……」
話に割って入ってきたアイリスが口を挟もうとすると、妖精姫はそれを遮る。
「いえ、私から説明しましょう。魔女とは古来より、禁忌魔法や外法に手を染める者を指す総称なんです」
椅子から立ち上がって、窓の外を長めながら語り始めた。
「魔女は悪魔――即ち魔族と契約することで超常的な力を手に入しました。ですが世界に混沌と破壊をもたらす異端者として、一斉に魔女狩りを受けたことである次期を境に姿を消したのです。かつて魔族の大軍勢が世に溢れた時代――当時の妖精王と伝説の勇者一向が手を組み、壮絶な争いを繰り広げた末に勝利を手にした
「そういや、アイリスが使っていた退魔魔法も魔族を対象としたやつだったな。だが、あの魔族には通じなかった」
自らの魔法が通じなかったことを思い出したのか、アイリスは俯いて床を見つめていた。
「聞いた限り、サカナシさん達が倒した魔族は十中八九、
✽✽✽
あれで不完全――馬車で移動中の無悪は、同じく隣に座るアイリスに顔を覗かれ声をかけられ、ハッと我に返った。
「もう、またぼうっとしてましたよ」
「……考え事をしていただけだ」
「妖精姫様の話を思い出していたんですか?」
「まあな。あれだけの強さをほこって不完全などと聞かされたら、思うところはある」
リステンブールに帰還して一週間――無悪とアイリスは妖精姫の勧めもあり、温泉地サラマンドルへ向かっていた。
思えば休息とは無縁の生活を送っていた。「一度心身ともに休んだほうがいい」と助言を受け、ガランドも一緒に行きたいとゴネてはいたもののコックとしての仕事が忙しいようなので、同伴不可のポチを預けて結果的に二人での旅行となった。
温泉といえば、馴染みの旅館を借り切って大宴会場でコンパニオンを呼び寄せての酒池肉林の宴に興じていた昔が懐かしくもあるが、まさか
そうこうしているうちに馬車は目的地に近づきつつあり、その証拠に懐しい硫黄の香りが漂ってきた。
「う……なんだか独特な臭いですね」
「卵が腐った臭いだろ。もしくは肉ばっか食ってる奴の屁の臭いか」
「下品な例えはやめてくださいよ」
鼻を塞ぎながら話すアイリスは、どうやら硫黄の臭いが苦手なようで次第に濃くなっていく刺激臭に顔をしかめていた。
その顔を見ているうちに、かつて自分を捨てて出ていった実の父親や興味すら持とうとしなかった継父は自分のことをどう見ていたのか、初めて考えた無悪だった。
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