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なんなんだ、いったい何が起きたというんだ――。
『捕獲』対象である男が例の武器を構えた瞬間、障害物を盾に移動していたはずだの仲間の一人が大木の幹すら易々と貫く威力の攻撃によって上半身を爆発四散させた。
近くにいた別の仲間は方向転換した瞬間にバラバラに砕かれ、身体の
私を含め、一瞬の間に惨たらしく仲間が殺害された現場を目撃したことで、その場にいた者の脳裏には否が応でも――次は自分の番では――と降りかかる災いがよぎったに違いない。
「待てッ! 早まるな!」
指示を待たずに飛び出した一部の人狼が、激情に身を委ね一直線に男に飛びかからんと疾走すると、なにを思ったのか
予期せぬ行動に視線が誘導されたところでら懐に隠し持っていた短剣を目にも止まらぬ速さで
魔素によって膂力を大きく向上させた投擲は寸分違わぬ
蹂躙は終わらない――地面に落下する寸前だった武器を器用に蹴り上げてキャッチすると、振り返りもせずに背後から迫る仲間を撃ち抜く技術をみせる。
掟を破る愚者には人狼が相応の神罰を与える。多少腕が立とうが、我々に狩られるだけの愚かな弱者でしかなかったはず。
――だというのに、蓋を開いてみればどうだ。
たった一人の人間に対して優位な立場にいた我々は、瞬く間に壊滅状態に追い込まれていた。これではまるで……狩る側と駆られる側が真逆ではないか。
「……クソッ、一時撤退だ!」
これ以上戦力を無駄に消耗することだけは避けたい。悔しさのあまり噛み締めていた奥歯が音を立てて砕け、残っていた仲間に断腸の思いで撤退を命じる。
男に再び接近することも許されず、一方的に仲間を
其のためにこれまで何人もの無実の人間をこの手にかけてきた。
今更誓いを破れるはずもない。
勝手知ったる山路を退却している間も、殿を《しんがり》を務めていた仲間が一人、また一人と短い断末魔を残して殺されていく。
生まれてはじめて味わう追われる恐怖を振り払おうと、必死に四肢を動かしていた私の頬を凄まじい速度で男の攻撃が掠める。
薄皮一枚下から血が流れ落ちて、とうとう緊張の糸が切れてしまった。
「う、うわああああああッ!!」
圧倒的強者が戯れに獲物を
立場が完全にひっくり返った私は憐れな被捕食者となり、背後に迫る恐怖に振り返る余裕もなく山の奥地のさらに奥地にある目的地に急いでいた。
必死の逃走が功を奏したのか、間断なく続いていた攻撃はピタリと止んだ。
肩で息をして辿り着いたのは、村の古参の老人ですら存在を知らない研究所だった。
高い塀に囲まれ、侵入者を寄せ付けない有刺鉄線が張り巡らされている。一刻も早く主に報告を伝えようと早足で最奥にある研究室を目指した。
廊下には関係者以外の立ち入りを固く禁じる部屋が幾つも並んでいる。
神をも恐れぬおぞましい実験の数々が、まさか自分達が信仰している山の奥深くで日夜繰り広げられていることを知る村人は今となっては私一人だけ。
かつて一度だけ、興味本位で〝解剖室〟を覗いたことがあるが、今でもあの日の愚行を後悔せずにはいられない。
室内には無学な私如きでは用途も理解できない器具や設備が所狭しと並び、中央には煌々と灯りを灯す照明の下に人一人が横になれるほどの台が設置されていた。
その台の上には、なんらかの実験に使用された検体が並んでいたのだが、それを見た私は手のひらで口を覆い隠した。
並べられた検体は鼠径部から咽頭まで縦に裂かれ、眼球から舌も含めた全ての臓器が摘出された状態で横たわっている。
がらんどうとなった腹腔内に血溜まりが残っていた光景に耐えきれず、急いで便所へと駆け込んだ。
✽✽✽
「イシイ博士。取り急ぎお伝えしなければならない報告があります」
「おやおや、そんなに貴重な血を流してどうしたんだい一号君。とりあえず珈琲でも飲んで落ち着きたまえ」
人狼隊を率いるリーダーの私のみ立ち入ることを許された最奥の研究室にて、瓶底眼鏡をかけた白衣姿の博士が特注で作らせたという
過去に一度、博士に勧められるがまま泥水のような液体を口にしたものの、苦いばかりでお世辞にも上手いとは言えなかったこともあって差し出されたカップを受け取ることを固辞した。
机の上に広げられた紙に目を向けると、今日もまた見たこともない文字や数字の羅列が隙間なく殴り書きされている。
生涯研究一筋のスタンスを崩さない博士は、興味の対象となるもの以外を覚えるつもりがハナからないようで、最も長く側で仕える私のことさえ「記号」で呼んでいる。
「珈琲は結構です。それより以前お話したサカナシという男についてですが……私を除いた人狼は全て謎の魔法により皆殺しにされてしまいました。私自身も命からがら研究所に辿り着いた次第です」
「ふ~ん。それで?」
「それで、とは……どういうことでしょうか」
「僕が
「それは……申し開きもありません」
「人狼はその気になればいくらでも補充が効くんだ。同士討ちも厭わないで戦えばたった一人の相手に苦戦するはずもないだろ」
人狼隊の被害など興味がないとでも言うように、眼鏡を指で押し上げて答える様は私を含め使い捨ての道具としか見ていない証拠である。
だが、それも最初から理解したうえでの協力だった。過疎化が進み消滅の一途を辿るブラン村を救うため、ふらりと村を訪れた「科学者」を名乗る怪しい人間の要請に応じて、人目がつかない環境を提供する見返りに村が存続可能な資金を援助してもらっていた。
現村長にも秘密にしていた契約は悪魔の契約――私は人狼を演じきることで研究所に近づきかねない侵入者を排除してきた。
「ですが、隊を預かるものとして効果の乏しい作戦を選択するわけにはいきませんでした。奴はこちらの想定を遥かに上回る戦闘力を有しているのは事実です。隊員が一斉に襲いかかった結果、致命傷を与えられるどころか傷一つつけられずじまいです」
「もういい。僕は昔から出来ない言い訳ばかり述べる人間が大嫌いなんだ。一号君、どうやら君達に施した人体実験もどうやら無駄になったようだね。使えないだけでなく、よもや招かれざる客まで研究所連れ帰ってくるとは思わなかったよ」
「え?」
呆れた口調に慌てて振り返ると、山中で巻いたはずのサカナシが扉にもたれかかって不敵に笑っていた。
「悪いがお前の後をつけさせてもらったよ。まさかこんな山奥に似つかわしくない建築物が建っているとはな。しかも旧日本軍じみたイカれた人体実験を堂々と行っている研究所ときたもんだ。そりゃあなんとしてでも掟を守らせようと躍起になるわけだ」
憎き男の台詞をよそに、「君はもういらない」と背後で博士がつぶやいた直後、体全体の筋肉が意思に反して弛緩したかと思うと鼻水やら涙が止まらなくなり立っていることさえままならなくなった。
床に倒れ伏した私は、急速に狭まる視野に痙攣する指先を捉えると、博士が研究していた毒物を体内に注入されたことを悟った。
呼吸困難に陥り、意識が朦朧とし始めてその効果を身をもって知ることとなる。このような非人道的な兵器を造る手助けをしていたという事実に、遅すぎる後悔が津波のように押し寄せた。
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