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 軟禁生活が始まって二週目。

 上空には待ちに待った満月が煌々と輝いていた。控えめに叩かれた扉から滑り込んできたリナの両手には、村人に取り上げられていたスーツと武器一式が抱えられ不安気な表情で無悪に手渡す。


「おじさん……本当に本当に山に登るの?」


 ブラン村で唯一と言っていい協力者であるリナは、再びピニャルナ山に出張ろとする無悪の無鉄砲さに呆れているようだった。


「くどいぞ。この無悪斬人が軟禁生活なんぞに甘んじていたのは、わざわざ満月の晩が訪れるのを待ってたからだ」

「だけどさ、せっかく運良く生き延びられたのに、なにもまた危険を冒さなくてもいいじゃん」


 ジャケットに袖を通し、グロックの細部に故障がないか一通り確認し終えるとベルトに差し戻して振り返る。


「次こそは人狼を仕留めるつもりだ」


 満月の晩を選んだ理由――それはブラン村の住人の行動パターンによるものだった。


 古来より満月の晩になると普段山奥に暮らす人狼が麓まで降りてくる。そう信じていやまない連中は、日の出を迎えるまでの間は家から一歩も出ずに静かに過ごしているらしい。


 それは無悪が軟禁状態に置かれていても例外ではないようで、煩わしい監視体制は解かれていた。


「いいか、俺が出ていったことは女将にも言うんじゃないぞ」

「うん……無茶はしないって約束してね」


 小さな頭に手のひらを乗せ、「それは約束できないな」と答えると、リナから一枚の紙を手渡された。


「なんだ、これは?」


 日本で言う御札に似たデザインの紙には、安全祈願と記された文字の下に狼と思われる墨絵が描かれていた。


「それはね、ピニャルナ山を登るときに肌見放さず持っていると、あらゆる災いから山の神が身を護ってくれる御守りなの」

「ふん。くだらん」


 無悪の目にはただの紙切れにしか見えなかったが、特に嵩張かさばるわけでもないので内側のポケットに突っ込むと、窓の縁に足を掛けた。


「お前にはそれなりに世話になったからな、これは頂いといてやるよ」

「うん。それじゃあ気をつけてね」


 振り返ることもせず、無悪は勢いよく二階から飛び降りた。



        ✽✽✽



 ランタン片手に山道を地図通りに登っていた無悪は、前回折り返した地点を超えて更にピニャルナ山の奥地へと歩みを進めていた。


 いつ何時襲撃されても速やかに対応できるように、体内の魔素マナを円形状に展開する。対象範囲内に存在する生命体を把握する『生命感知ライフソナー』を発動させながら、人狼が再び現れるその時を待ち構えていた。


 生命探索は発動範囲にもよるが、魔素の消費量が多く使用されることは多くない。

 殆どの冒険者は徒党パーティーを組むことで、視覚を頼りにモンスターの接近に備える。無悪の場合は単独ソロで行動していたため、どうしても死角が生じることもあって複数の敵を相手取る場合は探知魔法が欠かせなかった。


 それを可能にしていたのは凡人とは比較にならない魔素の総量――一般的な冒険者が全力で一メートルほどしか展開できない生命探索を、無悪は常時百メートル展開できる魔素を保有している。


 その気になればいくらでも拡げられるが、緻密な魔素の制御コントロールが苦手な無悪にはそれ以上は精度に難が出てしまう。


 その範囲内に複数の生命反応を感知し、腰に手を伸ばす。野生の獣や雑魚モンスターとは思えない統率がとれた陣形で無悪を取り囲んでいた。


 前回は向こうのペースに嵌ってしまったが、今回はそうは問屋が卸さない。


 五十メートル付近まで接近しつつあった敵に向け、魔素を練りに練った弾丸を放つ。


 雲一つない夜空に浮かぶ満月が、接近する標的の輪郭を照らすと迫りくる人狼の姿を視界で捉えることが可能となった。


 エネルギーの殆どを旋回運動に費やした弾丸は通常の弾速を遥かに越えて音を置き去りにする。障害となる樹々を貫きながらも勢いを殺すことなく対象物の上半身を木っ端微塵に破壊すると、その死に様を見て慌てたのは人狼側だった。


 前回の戦闘で拳銃の威力を確認していた連中が、さらに攻撃力を増した弾丸の威力を目の当たりにして怯まないはずがないと踏んでいた無悪の思惑通りにことは運んでいく。


 作戦を変更せざるを得なかった人狼は、的を絞らせないよう素早さを活かした足運びフットワークで梢の間を飛び交い、雄叫びを上げながら再び無悪に迫る。


狙撃弾スナイプショットは一撃の威力が桁違いだが、遠距離から狙撃するってのはやっぱり柄じゃねぇな」


 その後も引鉄ひきがねを引き続ける。万全の準備を怠らずに殺戮に集中していた無悪の前では、人狼といえど多勢に無勢で次々と凶弾にたおれて絶命していく。


「さあ、もっと俺を愉しませてみろ。まだまだこんなもんじゃないはずだろ? 命を賭して挑んでこいよ。さもなくばこの手で引き裂いてやる」


 闘争のなかに身を置く愉悦に震え、高笑いをする無悪の顔は化物と呼ぶに相応しい冷笑が浮かんでいた。


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