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 村人に啖呵をきった瞬間から、無悪はブラン村にとって看過できない監視対象に認定された。


 宿から外出することはおろか、部屋の外に出るにもいちいち許可が必要となる軟禁状態に置かれ、自由とは程遠い扱いを受けている。


 限界集落の老人ごときがいくら警戒したところで宿から抜け出すことなど造作もないのだが、ブラン村から帰還するには時期尚早だった。


 行方がようとして知れぬモンテッロの捜索はどうでもいいとして、仕留めそこねた人狼の正体だけは突き止めておかねば気がすまなかった。それからでも村を離れるの遅くはない。


 そして人狼の次に気になる存在――村長の孫にあたるマオとその取り巻き連中も、無悪の興味を引いていた。

 二階の部屋の窓から外の様子を窺うと、脱出を阻もうとする村人どもが無悪の姿に気がつき、各々手にしている武器を構え直す。


 変化を恐れるあまりに村が衰退の一途を辿っているというのに、くだらない信仰にしがみついて離れない滑稽な姿には哀れみすら覚える。


 愚かな老人どもから視線を逸らし、殺伐とした空気を放っている数名に視線を向ける。年齢はまだ二十代かそこらで、青年が寄り集まって組織された村の自警団代わりだと飯を届けにくるリナにこっそり聞いていた。


 マオの世代に代替わりした自警団は過剰ともいえる特訓に勤しんでいるようで、団員どもが交代制で軟禁下にある無悪の一挙手一投足を見逃さないよう監視に務めている間も、決して特訓を休むことはなかった。


 対モンスターだけではなく、依頼によっては対人の戦闘も数多くこなしてきた無悪の目から見ても、団員どもの放つ闘気は下手な冒険者よりも上だった。


 無駄な音を立てない足の運び方や、古武術に通じるスムーズな体重移動、無悪が暇潰しがてら放つ殺気を敏感に捉え、速やかに臨戦態勢に入る反応速度は野生の獣に近いといえる。


 十把一絡げの大衆でないことは明確であり、その筆頭はやはりマオだった。


 だが、一つ大きな勘違いを奴等はしている。向こうは獲物を生かさず殺さず檻に閉じ込めたと勘違いしてるのだろうが、実際は虎視眈々と命を狙われている立場であることに気がついていない。

 


        ✽✽✽



 まだ中坊のガキだった頃――ガキと言っても既に図体はチンピラ程度軽く一蹴するほどにまで成長していたのだが――一対一タイマンでも多対一ゴチャマンでも負けなしの無悪の名は、近隣の不良界隈に瞬く間に拡がり日夜奇襲じみた闘争に身を置くような生活を送っていた。


 その当時から『命を大切にする』感覚など消え失せて久しかったが、それでもただ一匹、無悪自身敵意を持つことなく接していた野良犬が存在した。


 薄汚い雑種犬で名はない。痩せぎすの体には傷跡ばかり目立ち、片眼は怪我が病気か光を失っていた。


 あの犬と初めて会ったのは河原の橋脚の下だった。数ヶ月前にボコボコにして泣かせ病院送りにしてやった隣の県の暴走族のリーダーが、わざわざ各支部の面子メンツを引き連れてお礼参りにやってきたあとのことだった。


「……なんだお前は。鬱陶しいからあっちいけよ」


 両手の拳は誰のものかもわからぬ血で塗れ、闘争後の余韻に耽りながら暗闇の中で緋色に灯る煙草を燻らせていると、その野良犬は繁みから片脚を引き摺りながら無悪の忠告にも耳を傾けず近寄ってきた。


 燃える穂先を振りかざして追い払おうと威嚇してみせたが、それでもなお歩みを止めることなく間合いに踏み込んでくると、血で染まる拳の匂いを嗅いでから舌先で傷を癒やすかのように舐め始めた。


 汚いと振り解いてもやめず、疲れ切っていた無悪は抵抗をやめて野良犬の好きなようにさせた。


「なんだ……お前も相当喧嘩してきたみたいだな。随分と傷跡が残ってるじゃねえか」


 首を傾げる野良犬の体には、牙で裂かれたと思われる傷傷がいくつも散見された。

 いたるところから出血をし、血がこびりついて絡み合った毛が塊となって黒く変色している。


 はぐれの野良犬は、新たな土地に住み着いている先住犬と決闘して実力を示さないといけない――どこかでそんな話を聞いた覚えがあったが今となっては思い出せない。


 一つ言えるのは、眼の前の痩せこけた犬が喧嘩に強いはずがないということ。

 恐らく、負けて、負けて、土地を追われて流れ着いたのがこの河川敷なのだろう。

 それまで燻らせていた煙草を踏み潰すと、無悪はなけなしの金で買った弁当を置いていくとその場を離れた。


 その日から暇を見ては度々河川敷を訪れるようになり、無悪が訪れると呼んでもいないのに茂みの奥から野良犬は姿を表すようになった。


 依然として愛着心など湧かないが、野良犬の方は無悪をまるで警戒せずに尻尾を振って近づいてくる。こころなしか顔つきも穏やかに見えた。


 犬の餌はドッグフードが基本であることさえ知らなかった無悪は、揚げ物ばかりの弁当を買ってくるとお座りをして待ち構えている野良犬に与えていた。不思議なことに口をつけた餌を目の前で平らげることはせず、決まって茂みの中まで咥えていって食べていたのだが、その理由は後日知ることとなる。


「しかし、お前はよく食うくせに一向に太らないな。少しは肉をつけろ、肉をよ」


 その日も変わらず河川敷に赴くと、いつものように姿を現した野良犬は無悪の袖を引っ張ると、普段住処にしている茂みの中へと誘うように連れ込んだ。


「なんなんだよ……って、こいつらお前のガキか?」


 連れ込まれた先には、自生していたあしの茎を器用に折りたたんで作られたベッドの上に、数匹の小さな子犬が転がっていた。


 その時点まで性別など意識したこともなかった無悪は、どうして野良犬が一向に太らないのかようやく謎が解けた。


「何だお前、自分はほとんど食べないでガキに与えていたのか」


 誰からも恐れられている自分をわざわざガキに会わせるなどどうかしてる。

 恐れ知らずの野良犬の頭を初めて撫でてやると、千切れんばかりの勢いで尻尾を振って喜びを表現していた。


 ――今度はドッグフードでも持ってきてやるか。そう思った数日後に突然の別れが訪れた。


 路上で数人の不良に行く手を阻まれた無悪が、警戒心を前方に向けた瞬間、背後から忍び寄った一人にスタンガンを押し当てられてしまった。


 視界いっぱいに火花が炸裂すると、体の自由と意識を奪われその場で崩れ落ちてしまい、再び目を覚ますと朦朧とする意識のなか辺りを見渡した。


 そこは喧嘩でよく使われる廃工場の倉庫内だった。太い鉄柱に鎖で体を縛られ、身動き一つ取れずにいた無悪を取り囲んでいた数十名からなる集団を見てようやく自分が拉致されたことに気がつく。


「ようやくお目覚めか」

「誰だ……お前は。わざわざスタンガンなんざ使いやがって、こんな手の込んだ奇襲を仕掛けてまで俺に会いたかったのか」

「会いたかったかだって? ああそうだな。殺してやりたいほど会いたかったさ」


 その場にいたリーダー格と思われる男が前に出てくると、手にしていた鉄パイプで思い切り頭を殴ってきた。


「雑魚の顔はいちいち覚えてらんねぇんだよ」


 血反吐を吐き捨てて平然と答える。

 こんな状態でも命の危機は感じない。


「いつまでその余裕が持つか見ものだな。おい、アレを持ってこい」


 仲間に声をかけると、不良に似つかわしくないプレゼント用のラッピングをされた袋が無悪の目の前に放り投げられた。


 地面に落ちた瞬間、どしゃり――と音を立てたその袋には赤いシミがひろがっている。


「……なんだ、その袋は」

「いやなに、今から俺達にボコボコにされる貴様にささやかなプレゼントを用意したんだよ。代わりに開けてやるからそこで大人しく見てるんだな」


 リボンが解かれ、片手を突っ込んで取り出されたを目にした無悪は、文字通り絶句した。


「お前……まさか、そいつは」

「そうだ、その顔が見たかった」


 原型が何なのか判別がつかないほどに損壊された肉塊が、べチャリと足元に投げ捨てられた。次から次へと取り出される数は、野良犬とそのガキの合計数と一致していた。


「ハハハ! まさか血も涙もない悪鬼羅刹と恐れられたテメェに、野良犬の面倒を見るような一面があったなんて知らなかったよ。おかげで少しは鬱憤が晴れたってもんだ」

「……それ以上口を開くな」

「薄汚ねぇ野良犬のくせによ、最後までガキを庇って立ち向かってきやがった。でもまぁ、家族バラバラになるのは偲びねぇから全員一緒にあの世に送ってやったわけだ。俺ってば優しいだろ」


 数十センチ先で冷たくなった亡骸を笑いながらなぶる男に、自分でも驚くほど鋭利で凶暴な殺意が湧き上がった。


 そこから先のことはあまり覚えていない。たまたま無悪を縛っていた鎖が錆びていたことと、周囲には武器ドーグとなる資材が山のようにあった幸運が重なり、意識が戻った無悪の周囲には呻き声すら上げられない状態の不良共が至るところで横たわっていた。


「クソッ……テメエは本当のバケモンなのかよ……」


 無悪への報復を企てた男は、弱者がそうするように腰を抜かせて後退り始めた。

 必死に逃げようと試みていたものの、とうとう壁際に追い詰められると土下座で許しを請いていたが、無悪がその場しのぎの命乞いに耳を貸すことはなく何度も何度も男めがけ拳を振り下ろした。


 かつて野良犬が傷を癒やした拳を再び鮮血に染め、意識のなくなった男の陥没した顔面を繰り返し破壊し続けた末に、そのうち痛みも遠退いていった。


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