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 正体不明の生物から襲撃を受けた翌朝何事もなかったかのように朝食を済ませた無悪は女将が手が離せない隙をみて、リナを呼び出すと昨晩起きた出来事を一から十まで伝えた。


「五箇条の禁を破ったって本当なの?」

「あの山には一体何が潜んでいる。知ってることがあれば全て教えろ」


 ギルドでさえ把握していない未知のモンスターと行方不明者との間に、因果関係がないとは到底考えられない。


 無悪の問いかけにしばらく逡巡していた様子のリナは、母親が姿を見せないことを確認してから声を潜めて真実を語り始めた――。


「実は……ピニャルナ山にはね、人狼という半獣半人の姿をしたモンスターが棲息してるの。信じられないかもしれないけど、元人間なんだって」

「アレが元人間? 二足歩行ってこと以外は共通点など見受けられなかったがな」

「正直言うとね、おじさんが無事に戻って来れたことがアタシには信じられないの。だって、人狼かれらこそブラン村に伝わる五箇条の禁を破った者の成れの果てなんだから」


 リナ曰く、人狼の存在は以前からブラン村の人間に広く周知されていたらしい。

 古くから村には破ってはならぬ五箇条の禁が伝わり、その禁を破って山に足を踏み入れた人間に待ち受けているのはピニャルナ山の神の怒り――即ち神罰が下される。


 仏教で言うところの人間道から畜生道に墜とされた結果、永遠の時間を半獣半人の狼の姿で過ごさねばならぬ罰を村人は遺伝子レベルで恐れていたのだ。


 人狼は人が立ち入らないような山奥に日中は身を潜めているが、日没とともに群れで活動をはじめる。

 そして禁を破って縄張りに立ち入った人間を見つけると山奥深くに連れ去るようで、リナは幼いころから『悪い子のもとには人狼が連れ去りにやってくる』と、しつけの一環として母親である女将から耳にタコができるほど聞かされていて村に伝わる童謡をそらんじてみせた。


「もし万が一、村の外部に人狼かれらの存在が広く伝わってしまえば、人狼を討つための討伐隊がすぐにでも結成されてこの村に送り込まれてしまう。その事態を恐れた村の老人たちは、事実に蓋をして何十年も黙ってきたの」

「なぜ黙ってる必要がある。目と鼻の先でそのような危険因子が存在するのであれば、真っ先に排除するのが自然だろ」

「それがね、さっきと言ってることが矛盾してるように感じると思うけど、村人の殆どは人狼を恐れる反面、神の使いとして崇めていたりするの」

「神だと?」


 禁さえ破らずにいれば自分たちに害が及ばない一方で、畑を荒らす害獣やモンスターの被害件数は他所の里山と比較して格段に少なかったらしい。


 畑を耕し山の恵を授かる村人達にとって、自分達の生活を脅かす存在を消してくれるのであれば、例えそれが異形であろうがなんだろうが手を合わせる価値が生まれるというのだから、なんともおかしな話だ。


「つまり、村人からすれば山の平穏を荒らすのはむしろ外部の人間のほうで、他所者の人間を立ち入らせないようにするために排他的になったのか」

「そういうこと。おじさんが探している行方不明の人も、もしかしたら人狼に捕まって山奥深くに連れて行かれちゃったのかもしれない。そうなると……もう助かる見込みはないと思う」


 話の途中でリナは女将に呼ばれ、会話を中断した無悪は日が昇っているうちに再びピニャルナ山を捜索しようした。


 ところが、ピニャルナ山へ向かおうと宿を出た無悪の行く手を阻むように、見知らぬ二人組が立ち塞がった。

 

「お主。なにかよからぬことを企てているようじゃな」


 玄関先で待ち構えていたのは、即身仏のように干乾びたジジイと無駄な脂肪を削ぎ落とした引き締まった体躯の青年ガキ


 見覚えのない二人組に「これからどこに向かうつもりか」と問われたので、正直に答えてやるとガキのほうが威嚇のつもりか、岩のように巨大な拳を鳴らし始めた。


「なんのことだ? 俺は登山が三度の飯より好きな登山家で目の前に山があったら登らずにはいられない性分なだけだ」


 心にもないことを告げると、ジジイは「そんな格好でのぉ」と無悪の爪先から頭の天辺まで不躾に眺めてきた。


「随分とおっかない顔をしとるの。ハッキリ言って登山を好むような人間にはとても思えんのじゃが」

「人を見た目で判断しちゃいけないと教わらなかったか?」


 言われるまでもなく登山など御免被るが、を埋めになら何度も山に訪れたことがある。

 今ではそんな肉体労働をせずとも、様々な処分法が確立されているが。


「他人の事をとやかく言う前に、あんたらこそ一体何者か説明するんだな」

「ワシはこのブラン村村長のテオじゃ。こっちは孫のマオ。ちょいとお主に話があって出向いたんじゃが、少しよいか?」


 豊かな白髭を弄るテオの背後で、SPのようにピタリと寄り添うマオは無悪から視線をそらすことなく、殺意のこもった剣呑な眼差しを向けていた。


 ジジイに代わって挨拶もなしに口を開いたかと思えば、昨晩はどこで何をしていたのかと取調よろしく詰問口調で尋ねてきた。


「夜はすることもなく自室でぐっすり眠ってただけだが、それが何だというんだ」

「なるほど……一晩中宿で眠っていたと」


 ハナから疑ってかかっている態度を隠しもしないマオが、ジジイの耳元でなにやら耳打ちしたその時だった――ジジイに合わせて屈んだマオの衣服の隙間から、乱雑に包帯が巻かれた肩を無悪は見落とさなかった。


 そうとも知らずにマオは高圧的に話を進める。


「あんた、行方不明者を探しにブラン村に訪れたんだって? 言っておくがこの村で好き勝手に動き回ることを村長もオレも許した覚えはないぞ。いいか、これは忠告ではなく命令だ。今すぐ荷物をまとめてここから去るんだ。でないと――今に貴様も〝神隠し〟に遭って二度と日の目を見れなくなるだろうよ」

「これこれ、そのように厳しい口調で言うもんじゃない」

「爺様、余計な詮索をする不届き者を野放しにすることは出来ません」


 憎悪の視線を向け続ける孫を片手でいさめたジジイの眼は、白く濁って淀んだ光を放っている。マオ以上に余所者に対する強烈な拒絶の色が浮かんでいるように思えてならなかった。


「ここで見たことは全て忘れると、今ここで約束しなさい。そして繰り返しになるが、今すぐブラン村から出ていきなされ。この村に伝わる伝承は本物ゆえ、孫が言っていた通りの不幸がそなたの身に降りかかるのは時間の問題じゃよ」


 ジジイの発言に同調するように、いつの間にか宿の外には村人が集結していた。

 手には農具を持ち、今すぐ出ていけと掴みかかって来る勢いで睨みを効かせ、距離を詰めてくる。


「あいにく、俺の行動を縛ろうとするものは何人たりとも許さない。人間だろうが、神だろうが、例え人狼だろうがな――」


 その場にいた全員に宣戦布告を告げるように、村の最大の〝秘め事〟を言い放つとテオの憎悪に燃える瞳から、これ以上ない殺意が返ってきた。 

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