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「そこに転がる失敗作から話を聞いてまさかとは思っていたが……君も僕と一緒で勇者召喚の儀式に巻き込まれた〝日本人〟じゃないのかい?」

「あいにく俺は召喚の儀式とやらには無関係だ。〝イシイ〟と聞こえた時点で察してはいたが、お前も日本生まれなのか?」

「そうだよ。生まれは帝都東京さ。それより召喚の儀式を経ずに異空間を渡ってきたとは、なかなか興味を惹かれる事例だねぇ」


 まさか自分の他に日本人が召喚されているとは――ましてやイカれた研究者マッドサイエンティストだとは、どういった理由で勇者とやらが選別されているのか皆目見当がつかない。


「一つ聞きたい。貴様はなぜブラン村の住人に人狼をピニャルナ山を訪れた人間を襲わせていたんだ」


 足元で倒れていた人狼は、倒れた拍子に精巧に作られた狼のが外れて中の顔が顕になっていた。


 その人物は無悪を必要以上に敵視していた村長の孫――マオで間違い。


 僅かに痙攣している上半身を踏むと、全身を包む毛皮の下にどうやら軽い素材で作られた防御鎧プレートアーマーが仕込まれていたようで、生半可な攻撃では貫くことさえ難しそうだ。


 半開きで虚ろな瞳の瞳孔は散大し、下腹部の筋肉が弛緩して失禁をしていた。

 いつ自発呼吸が止まったとしてもおかしくない状態からかんがみるに、なんらか中毒症状を発症していることはおおよそ検討がつく。


「ヒッヒ、君に答える義務はないよ。と言いたいところだけど同郷のよしみだ。君に少し興味が湧いてきたこともあるし特別に教えてあげでもいいだろう。そうだね――そもそもの始まりはこの世界に召喚される以前に遡る。時は第二次世界大戦真っ只中、僕はかつて七三一部隊と呼ばれるエリート集団が全国から集められた部隊で、生物兵器や科学兵器の研究を行っていたのさ」

「七三一部隊……確か戦時中に捕虜を生きたまま切り刻むようなサイコパスの集まりだったか」


 かの部隊の詳細や記録は殆ど残されていない。ただ、医学の実験とは呼べない所業を繰り返してきたことだけは史実に残され、その一端を無悪も耳にしたことがある。


 凍傷の経過を調べるために赤子を氷が浮かぶ冷水に沈みてみたり、ガス室に捕虜の兵士を閉じ込めて死亡するまでの様子を観察したり、致死性の高い細菌を直接体内に投与したり。


 一説では数千から数万の人体実験による被害者が七三一部隊から生み出されたともいうが、その頭のネジが外れた集団を主導していた立場の人間が自分だとイシイは自慢気に語っていた。


「これでも元は真っ当に医学の道を歩んでいたんだけどね、七三一部隊に配属が決まって研究に勤しんでいるうちに、ふと気づいたんだ。〝ヒトを活かすより破壊するほうが向いているんじゃないか?〟ってね。それから寝る間も惜しんで実験に没頭する毎日を過ごしたよ。あの頃は頼んでもいないのに捕虜モルモットが送られてくる天国だった……」

「その様子だと、お前が殺してきた人間の数は百や二百じゃきかなそうだな」

「さあね。僕自身は被検体の数なんて興味ないから数えたことがないよ。君だって恐らく同類だろ?」


 無悪の目に映る男は、決して殺人衝動に駆られて猟奇的犯行を繰り返す連続殺人犯シリアルキラーには見えなかった。


 ぬいぐるみの中に何が入っているのか知りたければ、腹を引き裂いて中の綿を確かめるだけ――本人からすれば純粋な知的好奇心の対象がたまたま人間に向いていただけなのかもしれない。


 イシイは呑気にビーカーを温めると、「この世界で珈琲豆を探すのは骨が折れたよ」と愚痴をこぼしながらカップに珈琲を注ぎ入れて差し出してきた。何も毒物は入ってないことを先に飲んでみせてアピールしたが、敵地のど真ん中で馬鹿正直に飲む気にはなれない。


「なにが混入しているのかわからないもんに口をつけるとでも思ったのか。現にマオは突然目の前で倒れた。貴様が即効性の高い毒でも盛ったんだろ」

「そんな警戒しないでくれよ。せっかく同郷人と出会えたというのにつまらない毒殺を仕掛けるはずないじゃないか。君の言う通り、そこの使えない一号君には確かに毒を盛ったよ。人狼の仮面はカモフラージュも兼ねたガスマスクになっていてね、普段はそのマスクで僕の実験で使用するガスから身を守らせているんだけど、僕の危険を損ねたり役に立たないと判断した場合はボタン一つで内部に仕込まれている神経ガスが散布されるって仕組みなのさ」

「神経ガスか。そんな危ない代物を食らったらひとたまりもない」


 イシイが日本からこの世界に渡ってくる直前――列強諸国が開発を進める化学兵器に対抗して、七三一部隊でも効率よく敵兵を殺傷する神経ガスの実験製造に着手していた。


 第一次世界大戦では既に多くの毒ガスが戦場で使用されていた状況で、ドイツを筆頭に大国では最も毒性の高い神経ガスの製造が次々に行われていた反面、日本はその分野では後塵を拝していたと珈琲を啜りながら説明した。

 

「軍の上層部からは常に結果を求められて鬱陶しいったらありゃしなかった。あまりに煩いものだから、急かしに来た数人の軍人は実験のモルモットにしちゃった。だけど彼等に突かれるのも仕方ない側面はある。当時の僕には神経ガスを安定的に製造するほどの技術が不足していたし、時代は既に敗戦の足音が聞こえ始めていた。とうとう尻に火がつき始めた軍部から銃口を突きつけられる瀬戸際に差し掛かったある日――突然この世界に召喚されたんだよ。初めは何が起こったのかさっぱり分からなかったけど、すぐに事態を飲み込んだ僕は歓喜に震えたさ。とね」

「だが、この世界の技術は当時の日本とも比べるべくもないだろう。毒ガスどころか実験施設すら作ることが難しくなかったのか」


 無悪の問いかけに頷くと、作業机の上に置いてあった魔石を一つ摘み上げた。


「もちろん超えるべき壁は高かったよ。だけどこの世界には〝魔石〟という日本には存在しない最高の触媒が存在した。後でわかったけど、安定的に大量の神経ガスを製造するのに欠かせない役割を魔石は担ってくれたんだよ。反則チートもいいところだ」


 珈琲を飲み干したイシイは、おもむろに立ち上がると「ついてきなよ」と言って研究室を後にした。


 どうやらピニャルナ山の頂上には誰も足を踏み入れていない実験施設があるようで、無悪に披露したいものがあると無防備な背中を晒しながら昔話を語り始めた――。

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