Episode,アイリス
追いつくために――
「おじいちゃんっ! サカナシさんの姿見てない!?」
「なんだなんだ朝から騒々しい。そういや今朝は見てないが……って泣いてるのか?」
目覚めてから身だしなみに気を配るほどの精神的余裕は僕にはなかった。
サカナシさんが帰ってきたら驚かそうと思って伸ばしていた髪の毛は寝癖がつきっぱなしで、泣き腫らした瞼は醜く腫れたまま。
珍しく朝寝坊をしてしまった僕の代わりに朝食の準備に取り掛かっていたおじいちゃんは、僕の慌てぶりに目を丸くさせて戸惑っていた。
「朝起きたら……サカナシさんが書いた置き手紙が枕元に置かれてた」
「手紙? あいつらしくないな。なんて書いてあったんだ」
「それが、一人で街をでていくって」
「一人じゃと? なんだって急に……わかった、おじいちゃんはこれから妖精姫に事情を説明してくるから、アイリスはここで朝ご飯でも食べながら待ってなさい」
義足を引きずりながら出掛けるおじいちゃんを見送ったあと、
綴られた文章に視線を落とすと、荒々しい筆致でサカナシさんの手書きの文字が殴り書きされていた。
✽✽✽
固っ苦しい手紙は嫌いだ。
なので簡潔に伝える。
俺はお前達に黙って一人で出発することに決めた。どうやら弱者が側にいると俺まで弱くなってしまうようなんでな、お前を連れての旅路はここまでだ。
自分でも笑っちまうが、お前と過ごした短い時間は血と暴力に彩られた俺の人生なかで、束の間の休憩みたいなものだった。
だからこそ、俺はお前とここで別れて先に進む必要がある。
これから歩む道程はお荷物を抱えて進めるほど甘くはない。お前はジジイと猫のガキと一緒に、せいぜい平和な人生を謳歌していればいい。
話はそんだけだ。俺のようなヤクザものの事などとっとと忘れて、達者で暮らすことだな。
✽✽✽
性格を表す不器用な内容の手紙は、インクが滲んで最後まで読むことができなかった。
ただ守られるだけの弱い存在は、サカナシさんの隣に立つ資格もなかったわけだ。
見離された分際で、なにがいつまでも側でお供しますよ――だ。
いつまで泣いていてもお腹は減るもので、おじいちゃんが作り置きしてくれたスープに口をつけると味見を忘れていたのか、塩っ辛いばかりで食べれたものじゃなかった。
無理矢理スプーンで口に運ぶも、やはりしょっぱくて涙が止まらない。何度も何度も飲み込んで、止まらない涙の言い訳に利用した。
突然の別れから一週間――。
部屋に閉じこもって散々泣き濡れていた僕は、決意を固めてその足でギルドに向かった。
「ようやくショックから脱したようね。ガランドから落ち込んでる話を聞かされたときは心配したわよ」
「申し訳ありませんでした。あの、実は折り入って頼み事がありまして」
仕事に忙殺されていたギルドマスターは、突然訪れた僕を執務室に招き入れると会話と仕事を同時に処理しながら、僕の話を遮る形で口を開いた。
「サカナシさんの後を追ったり、弟子入りしたいっていう要望なら残念だけどお断りよ」
「そんな、そこをなんとかお願いします!」
この人はどこまで人の心を見抜いているのだろうか――慄いて頭を下げると、聞き分けのない子供にするように溜息をついて厳しい口調で語りだした。
「あのね、サカナシさんが強さを追い求めるあまり一人でこの街を出ていったことは私も知っている。というか、立ち去る直前に会話を交わした当事者だったしね」
「そうだったんですか。こんなこと言うのは恐れ多いんですけど……何故止めはしなかったんですか」
本当に恐れ多い発言に気を悪くすることもなく、ギルドマスターは古い時代を思い出すかのように天井を見上げて話を続ける。
「私も若い頃に似たような心境の時期があったからかしら。今サカナシさんが抱いているであろう焦燥感が手に取るようにわかるのよ。まあ、アイリスちゃんには理解の外のお話でしょうけど」
「それなら……なおのことサカナシさんの力になりたいんです」
「あのね、話聞いてた? 命のやり取りを一度も経験したことがない貴方が側にいたところで、彼にやってあげられることなんて何一つないの。それに、修羅の道を突き進むと決めた人間の側にいたら、きっと貴方は今以上のトラブルに巻き込まれることになるわよ。今の平穏な暮らしを捨ててまであとを追いかけたい?」
僕を試すような物言いに、負けてなるものかと毅然とした態度で立ち向かった。
ここが正念場だ。
「僕はサカナシさんに助けられた恩を忘れて、のうのうと生きていくほど恩知らずな人間でいたくないんです。あの時ああすればよかった――とか、後々後悔するくらいなら今出来ることを精一杯やり遂げて、それでも無理だったらその時はまた別の方法を探ります。先程仰ったように命懸けで戦ったこともない非力な僕ですが、どうかサカナシさんの後を追えるようになるまで修行をつけてくれませんか」
なんて大胆不遜な頼み方。穴があったら入りたい気持ちで頭を下げて必死に頼み込むも、妖精姫の答えが変わることはなかった。
「仕事が山のように溜まってるの。悪いけど話したいことを全部話してスッキリしたのなら、早急に帰ってくれるかしら」
「……わかりました。失礼します」
断られることも一応は想定していた。むしろ断られる確率は高いとさえ予想していた。本当はおじいちゃんを悲しませることになるからこの手段は取りたくなかったけど、残されたのは今すぐ冒険者となり、危険な戦いに身を置いて実践を積むしかない。
わざわざ時間を割いてくれたことに深く一礼し、早速エレーナに
「私が断ったのは、生半可な覚悟で修行に臨んでほしくなかったから。だけどその点は問題なさそうね。明日からビシバシ鍛えてあげるから覚悟しておきなさい」
「え、あ、はい! よろしくおねがいします!」
再び頭を下げた僕は、嬉しさのあまり
――待っててね、サカナシさん。貴方の支えになるくらい強くなってみせるから。
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