31

 久方振りにイステンブールの街へと帰還を果たした無悪は、その足で妖精姫に依頼の報告をあげる為にギルドの扉をくぐった。


 あいも変わらず昼間から酒を煽っては粋がっている冒険者どもの視線が一同に集まり、次の瞬間に全員が全員化け物でも目にしたかのように目を見開くとそれまでの喧騒が嘘のように、お通夜と変わらぬ静けさに包まれた。

 

 消えたと思っていた男が突然姿を見せたことに驚いたのだろう。視界の隅では三つ首竜ヒュドラのバツの悪そうな顔も覗えた。


 足音だけが響く静まり返ったギルドを我が物顔で闊歩して歩くと、慣れた動きで仕事に勤しんでいたアイリスと目があいカウンター越しに満面の笑みで出迎えられた。


「おかえりなさい。サカナシさん」

「なんだ、エレーナは休みなのか」

「エレーナさんは長期休暇で実家に帰ってます。僕が手伝うまで一人で働き詰めだったようなので、たまには休まないと」


 少し見ない間に、いくらか髪が伸びたアイリスは男らしさよりも女らしさが勝っている。成長期なのか、変化の著しい顔をじっと窺っていると何を勘違いしたのか、アイリスは頬を赤らめて恥ずかしそうに俯いた。


「そんなにじっと見られると、なんだか恥ずかしいです……」

「女みたいなことをいうな、阿呆が」


 無悪の視線は顔の下に移り、奴隷の証とされる首輪で止まる。


「そういや、その首輪を装着した人間を探したんだがな」

「え? わざわざ探してくれたんですか?」


 無悪が口にする前に食いつき気味でアイリスはカウンターから身を乗り出した。


「あくまで依頼のついでだ。聞いたところによるとな、その首輪を装着したのはアキツ組内部の人間ではないらしい。どうやらその場にたまたま居合わせた奴隷商人の可能性が高い」


 本来成すべき活動の裏で、無悪はアイリスの首輪を装着した人間を探していた。

 本人から頼まれたわけでもないが、ペットじみた首輪をいつまでもガキに着けさせたまま側に置いておくほど倒錯した趣味はさすがに持ち合わせていない。


 オルドリッチにアイリスと似た容姿の奴隷がいたかどうか調べさせ、そいつに首輪を嵌めた張本人は誰なのか問い質すと異国の奴隷商人であることがわかった。


「それならアドルフ商会だな。あそこはウチが捕らえた奴隷を毎度高く買ってもらってる上客だ」

「そのアドルフ商会とやらはどこにある」

「海の向こうだ。船乗りなら誰もが恐れる崩海域メイルストロームを超えた先――海賊が支配する国セルヴィスさ」


 海を渡る航路は危険を伴い、王都まで連れて行くという当初の依頼からは大きく逸れた道程ルートを辿ることになる。


 首輪を外すために赴くのは現実的ではないことを告げると、アイリスが見せた表情は無悪が思い描いていたものとは異なった。


「そうですか……それなら仕方ありませんね」

「随分と淡白な答えだな。もう少し落胆を見せるのかと思ったんだが」


 存外堪えていない態度に拍子抜けしていると、アイリスは口元に微笑を湛えた。

 

「今の時代、生きてるだけで丸儲けですから。それに今ではこの首輪もそう悪くはないと思ってるんです。だってあの日……無悪さんと出会えたのはこの鎖があったおかげなんですから」

「おめでたい奴だ。首輪は奴隷の証だっていうのに」

「サカナシさんさえよければ、僕はいつまでも側でお供しますよ」


 戯けてみせるアイリスの頬をつねって黙らせると、もう一つ報告があることを思いだし入口に向かって声をかけた。


「おい、そんなことに隠れてないでさっさとこっちにこい」

「ひゃ、ひゃいっ!」


 ギルドの扉から、顔を覗かせてこちらを窺っていた猫人族の少女は無悪の呼び出しに尻尾も耳もピンと立てて飛び跳ねさせていた。


 その懐かしい姿に我を忘れてカウンターを飛び越えて駆け出したアイリスは、飛びかかるようにして少女に抱きつくと二人して号泣した。


 合縁奇縁とはよく言ったもので、まさかカークランドの館で見つけた変態用の愛玩奴隷が、アイリスの知り合いだとは思いもしなかった。


「もう一度アイリスに会いたい」というので、仕方なく連れて帰ったか、ここまで泣かれると偽善を為したような居心地の悪さしか感じない。


「フィーヤ……ずっと心配してたんだよ」

「私もよ。まさか生きて再会できるとは思いもしなかったわ。あれから無事に抜け出せたの?」

「うん。今無事でいられるのは全部サカナシさんのおかげなんだよ」

「ウニャ……そうだったのね。命の恩人であることには間違いないんだけれど、サカナシさんってちょっと苦手なのよね……」


 本来であればフィーヤの反応が正しいのだが、アイリスは初対面の頃からまるで物怖じしない。


 親友をひしと抱き寄せながら、無垢な瞳と視線を無悪に向ける。


「本当になんとお礼を言っていいのやら……フィーヤを救ってくれてありがとうございます。サカナシさんはやっぱり僕のヒーローですね」


 眩しいアイリスの笑顔をそれ以上直視できず、視線を逸した無悪は妖精姫の執務室へと一人向かった。



        ✽✽✽



「はあ……ちょっとスミマセン。私の想像の斜め上すぎる話でして、少し目眩が……」


 凝り固まったこめかみを揉みほぐしながら、依頼の報告を聞いていた妖精姫はアイシャから授かった手紙に目を通すと電池が切れたように机に突っ伏してしまった。


 そこにはギルドマスターの威厳も何もあったもんじゃない。


「つまり、違法薬物を取り締まるべき法務員の長が率先して超越草の密売を後押ししていたと。それだけにとどまらず、数多の犯罪行為を闇に葬むり、次期宰相の椅子に座るために非合法な活動を水面下で行なっていたと仰るんですか」

「そういうことだな。優秀な潜入捜査官と優秀な殺し屋がいてくれたおかげで、すんなりとはいかなかったが」


 妖精姫すら関知していなかった諜報組織が紛れ込んでいたことと、金級どころか白金級だった暗殺者との死闘を伝えると下手な口笛を吹いて誤魔化していた。


「私だってここまで大事になるとは思いもしませんでしたよ。ですが、サカナシさんが無事に帰ってきてくれたことには感謝しています」

「なんだ、柄にもなく心配していたのか」

「そのくらいの軽口が言えるのであれば問題はなさそうですね」


 立ち上がった妖精姫は金庫から大金貨を取り出すと、無悪の前に差し出した。


「……おい。枚数を勘違いしていないか」


 積まれた大金貨の枚数は、約束の報酬の倍に相当する八枚。


「それは心付けとでも思って納めてください。その分に見合う成果を上げてくれましたからね」

「成果ね……わかった。それでは遠慮なく頂くとしよう」


 大金貨をジャケットの内ポケットにしまい入れ、踵を返して立ち去ろうとすると背中に声が刺さる。


 人の心を読む観察眼はもはや妖怪の域に達しているのでは――舌を巻いて振り返る。


「サカナシさん。まさかとは思いますが、御一人で旅立とうと思ってはいませんか?」

「だったらどうする」

「どうもしませんよ。私はサカナシさんの母親ではありませんからね。ですがアイリスちゃんとの約束はどうなさるおつもりで? 王都まで連れて行くのではないのですか」

「アキツ組が崩壊した今、俺が護衛につかずとも王都に行くなり、このイステンブールで静かに暮らすなり好きに選べばいいだろ。そもそも俺の目的は別にある」

「……復讐ですか」


 ――今のままではいけない。


 今回の死闘で生温い自分と決別する必要を強く感じた。妖精姫をはじめ、この世界には想像も及ばない強者が存在する。


 もしもミミィが無悪を侮ることなく、最初から本気の実力で拳を交えていたら――十中八九生きてイステンブールに戻ることはできなかっただろう。


 瀕死の状態から生き残れたのは幸運に救われたに過ぎず、辛勝というにはあまりに不甲斐ない。

 二度とリベンジを果たすことのできない場所に旅立っていったミミィに対し拭い難い劣等感を覚えていた。


 もし万が一、同等がそれ以上の強敵と対峙した場合、二度も同じような幸運に助けられると根拠もなく信じられるほど無悪は楽天家ではなかった。


 この世界で生まれ変わった真の目的を思い返す――全身を銃弾で撃ち抜かれ、自らの腕の中で肉塊と化した会長の敵を取るためなら、今一度修羅道に堕ちる覚悟を決める。


 そのためには他人との余計な繋がりを絶ち切る必要がある。先ずやるべきことは、アイリスとの関係を精算する必要があった。


「そんなこと言って、アイリスちゃんにこっぴどく嫌われても知りませんよ」

「知るか。ガキはガキらしく相応の暮らしを送っていればいいんだよ。所詮水と油だ。元から相容れない立場の人間同士がつるむなんざ不可能だったんだよ。このことはアイリスには黙っておけ」

「はいはい。元より私も非力な子供を危険な旅路に同行させるつもりは毛頭ありませんから。出立するならなるべく早く、人目を避けて出てってくださいね」

「言われなくてもわかってる」



        ✽✽✽



 その日の深夜の内に、無悪はごく僅かな荷物を引っ提げ姿を消した。


 行き先を誰にも告げぬまま、別れを伝えることもなく。


 ただ、アイリスの枕元には一通の伝言メモが残されていたというが、なんと書かれていたのか知るのは本人のみである。

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