27
かつて敵対した者を窮地に追いやった回数は星の数ほどあれど、自分の命が脅かされる経験は薬に溺れた両親に金属バッドで滅多打ちにされて以来皆無だった。
誰も彼もが無悪の圧倒的な暴力の前に心折れ、地に膝をつき頭を垂れて命乞いをする。
会長の死後、下手を打って墓前で命を落とすはめになったがあれはあくまで実行犯の奇襲にまんまと嵌められた結果殺されただけであって、正面からぶつかりあった末に敗北を喫したわけではない。
――この俺が命のやり取りで、しかも
傲慢? 不遜? 揺るがない意志こそ無悪斬人を無悪斬人たらしめるぶれない支柱そのものだった。
「伏せろっ!」
恫喝を目的としない大声を発したのは人生で初めてのこと。無悪が本能で感じた死の予感――肌が総毛立つほどのプレッシャーにアイシャは気が付いていない様子だった。
自然と伸ばした手が華奢な腕を掴もうとしたその時、逗留していた宿全体が鼓膜をつんざく衝撃音とともに逃げる暇もなく崩落した。
崩落の衝撃は凄まじく、体がバラバラになるほどの痛みを覚えたが幸いにも軽い打撲程度で済んだ無悪は、体に覆い被さっていた
「何だ、これは……」
眼前に広がる光景に何が起きたのか、理解が追いつかず呆然と立ち竦む。
「クソったれ……一体何が起きやがったんだ」
泊まっていた宿はおろか、周囲数十メートルの範囲に存在する建物は軒並み全壊していた。まるで爆心地――目に映る全てが瓦礫と化し、倒壊した建物に押し潰された住民のものだと思われる血の臭いがそこかしこから土埃とともに舞い上がり、鼻腔を刺激した。
「そうだ……アイシャはどこだ」
あのときは気が動転していた。咄嗟のこととはいえ、まさか自分の身を守るより先に弱者に手を伸ばすなど、普段の無悪を基準にしてみれば正気の沙汰とは思えない行動。
適当な理由を見つけられないまま、左右に振った視界の中にそれは見つかった。
瓦礫の隙間から助けを求めるように宙に手を突き出していた手首。
最後に手紙を手渡されたときの、アイシャの手と似た特徴をそのまま残していた。
生き埋めの状態から引っ張りだそうと手のひらに指を絡ませたところで、あまりの軽さに彼女が無事では済まなかったことを悟る。なぜなら引っ張り出したのは肘から先のみだったから。
「馬鹿が、
柄にもなく気が抜けたような声で呟くと、背後から予期せぬ声がかけられた。
「ちょっとちょっと。ダーリンったら感傷に浸ってるところ悪いけど、いつまでも敵に背を向けてていいのぉ?」
生存の可能性が潰えた段階で、
男に媚びるような甘ったるい声が耳朶を撫で、その声は記憶の中の女とぴったり一致する。声の主はハッキリと自分の立場を明かした。
「敵に背を向けてていいの?」と。
真っ暗な空から大粒の雨が降り出し、魂は熱を失っていく。ゆっくりと振り返った無悪は
「ミミィ、いや……冒険者狩りか。全てお前の仕業だったんだな」
「ええ、もちろん。挨拶代わりに派手に壊しちゃってごめんね」
舌を出して謝りこそすれど、戯けた態度から本心はこれっぽっちも悪いと思ってないことは目に見えてわかる。
「まさか冒険者狩りの正体がお前だとはな、流石に驚かされた。アキツ組の根城を襲撃したのはカークランドの差金か」
「さすがアルタナちゃん。いえ、サカナシちゃん。私の正体を知っても揺るがない
「は、快楽のために嬉々として殺人を犯す女と寝られるか」
「あら、相変わらずつれないわね。でも……そのほうが自分のモノにしたくなって興奮するわぁ。どんな声で鳴いてくれるのかしら」
無悪の目は、ミミィの肩に担がれた不釣り合いなほど大きい剣に向けられてた。
禍々しい殺気を放つ黒い剣は、離れていてもわかるほどの数多の人間の血と脂の臭いを漂わせている。まるで、命を宿してるかのように刀身全体が
「そんなにこの魔剣が気になる? いいわ、特別に教えてあげる。こいつはね、かつて暴食の魔王が振るったとされる伝説級の魔剣、〝
「エサに燃費……まさか」
「ご明察。人の血肉が神喰の原動力になるの。だけど一度大技を発動させると、せっかく溜めた魔素がスッカラカンになるのが玉に瑕なのよねぇ。でもエサはそこら中に沸いてくるし、つまらない人生を送るくらいなら私の可愛い神喰の力になったほうが有意義な人生だと思わない?」
コイツは相当イカれている。
これ以上話をしても無意味だと悟った無悪は、早撃ちの
放たれた弾丸はただの弾丸ではない。特訓の末に会得した、無悪の魔素を高密度に凝縮した特別製の銃弾である。
体の急所を正確に射抜く弾丸は、ミミィの上体を大きく仰け反らせた。
✽✽✽
「いいですか。サカナシさんの所持する武器はこの世にただ一つのみと言って過言ではありません」
妖精姫は実技の中で、無悪の所持するグロックが
「伝説だと? こんなもん金を払えばいくらでも手に入る量産品だぞ」
「それは〝ニホン〟での話です。最上位の武器は
「ちなみに」と言って取り出したのは、無悪が特訓でボロボロになるはめとなった妖精姫の武器である鞭だった。
「私の相棒、
「俺の世界ではありふれた拳銃なんだがな。ただ無限に弾が出てくるだけで、そんな大袈裟な話になるものか」
鼻で嘲笑うと、妖精姫は無悪の手から目にも留まらぬ速さでグロックを奪い実技の訓練で的に使用していた木の板に照準を向け引鉄を引いた――はずなのだが、何故か一向に銃弾が放たれる気配がなく、何度引鉄を引いても結果は同じだった。
「これこそ、この武器が伝説級に値する理由の一つです」
「どういうことだ?」
「この『ケンジュウ』とやらは、持ち主であるサカナシさんの魔素だけを触媒とするのです。つまり、私を含めて他者に使いこなすことはできないのです。まぁ、せいぜいが鈍器程度にしかならない価値のないゴミというわけです。同じ魔素を持つ者が存在すれば話は別ですけど。それともう一点、判明した事実があります」
「勿体ぶらずに一度で言え」
「まあまあ。これから行う訓練次第ですが、このケンジュウの特性を理解し、十全に使いこなすことができれば金級までの相手でしたら勝率は十分高いと思います」
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