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「ちょっと待て、お前がウィルの実の母親だというのか?」

「そうです。実の母親と言っても、この腕で我が子を抱いたのはたった一度だけですけどね。旦那も若くして亡くなったので、あの子がなにも覚えていなくても何ら不思議ではありません」


 無悪の予想通り、アキツ組の頭領は既にこの世から去っていた。女はアイシャと名を明かし、時系列にそって過去を語りだした。


 アキツ組の頭領クラバートは、人望とカリスマ性を兼ね備えた稀有なリーダーだったが、生来病弱でウィルが産まれる数年前からは大病を患っていた。


 出産間近に差し掛かると余命幾ばくもない状態で、医者からも回復の見込みはないとさじを投げられていた。 


 健康に生まれてきた息子の行く末を案じた両親の意思で、せめて子供だけは争いとは無縁の真っ当な人生を歩んでもらいたいと願い、断腸の思いで我が子を遠縁の親戚に預けたのだが、成長を遂げたウィルは夫妻の願いも空しく闇社会へ足を踏み入れてしまった。


 そのことにアイシャは相当なショックを受けたという。


 クラバートの死後、最も慌てたのはナンバー2のオルドリッチだった。というのもクラバートとオルドリッチはかねてより折り合いが悪く、アキツ組が今後どうあるべきかで真っ向から対立することも日常茶飯事で、クラバートがハト派ならオルドリッチはタカ派。


 自らの体調不良を悟られると実権をオルドリッチに掌握される恐れがあると考えたクラバートは、絶命するまでどれだけ苦しんでも病気を抱えていることを誰にも悟らせなかったとアイシャは涙しながら語っていた。


「きっとサカナシさんは裏社会の組織の長が甘いことを抜かすなとお思いでしょうが、クラバートは実の父親からアキバ組の跡目を引き継いだ際に、他人の不幸を元に成り立つビジネスにだけは手を出さないと決めたのです」

「はっ、バカな野郎だ。前時代の任侠気取りかよ。だったらさっさと組を解散して、僅かな日銭を苦労して稼ぐ堅気の暮らしに戻ればよかっただろ」

「……それは出来ませんでした。何故ならオルドリッチを野に放ってしまえば、また新たな組織を作りさらなる犠牲者が生まれてしまうのは自明の理だったからです」

「ふん。部下に好き勝手されないよう、自分がくさびになろうってか。つくづく裏稼業に向いてない野郎だったんだな、そのクラバートという男は」


 無悪の皮肉を込めた感想に、アイシャは苦笑いを浮かべながら「本当に向いてませんでした」と漏らす。


「だが、死んじまったらどのみち頭領の座を引き継ぐのは、自動的にナンバー2のオルドリッチになるだろ」


 無悪の当然の疑問に、アイシャは首を横に振って否定した。


「アキツ組の頭領の座は、正式な手順を踏んで執り行う襲名披露の儀と、前頭領直筆の代替わりの宣誓書が必要となるのです。当然オルドリッチの台頭を阻もうとする夫が書類を作成するはずもなく、儀式も執り行えないとなると永遠の二番手に甘んじる他ありません」


 アキツ組を引っ張っていた男が突如亡くなったことで、アキツ組に対する求心力が衰えるのは目に見えていた。

 組が存続の危機だと焦ったオルドリッチが取った手段は、クラバートの死を外部に一切伝えないという時間稼ぎである。


 クラバートの代わりに自らが実績を残し、周囲の信頼を得て頭領の座に就くまでは時間を稼ぐと決めた。長い月日をかけ、暫定的な頭領はオルドリッチであると印象づけることにことに成功したが、大きな疑問が一つ残っているではないかと無悪はアイシャに問い質す。


「そもそもの話、お前がクラバートの妻であることはどうして周囲の人間に知られてないんだ。それにオルドリッチの護衛を続けている意味もわからん。さっさと姿をくらませばよかっただろ」

「私と夫の関係が知られていないのは当然です。そもそも私達夫婦の関係は、誰にも明かすことが出来ない秘匿中の秘匿だったのですから」

「どういう意味だ」

「私は本家の一護衛であり、グロワール王国国家諜報室から送り込まれた諜報員スパイでもあったのです」


 国家諜報室――アイシャが口にした名称の組織は、無悪にとって初耳だった。


 妖精姫からそのような人間がアキツ組内部に送り込まれていたなど聞かされておらず、逆にプロの目から見た無悪の演技はズブの素人そのものだったようで、すぐに妖精姫の命を受けて送れこまれた人間であることがバレていたらしい。


「そもそも公には存在しない部門ですから、妖精姫であってもご存知ないのは無理もありません。国内のエリート諜報員が集まる組織から送り込まれた私は、当時グロワール王国の一部で蔓延しつつあった超越草の出処を調査するため、流通の元締めであるアキツ組の護衛として潜入したのです」


 その頃はまだ表立って超越草の密売を行っていない段階で、オルドリッチがクラバートの断りもなく影でコソコソと画策していたらしい。


「それから数ヶ月――諜報員としてあるまじき行為なのですが……月日を経つごとに私はクラバートと次第に親密になり、恋仲になってしまったのです」

「ふん。監視対象の組織のトップと諜報員が深い関係になるなど前代未聞だな。クラバートはお前がスパイだって事を知っていたのか」


 これにも首を振って否定したアイシャは、昔を懐かしむように目を細めた。


「いえ。ですが、とうとうウィルを身籠ったことで事態は急変しました。三日三晩悩んだ末にクラバートに妊娠した事実を告げると、『結婚してくれ』とプロポーズをされたんです。当然受け入れるわけにはいきません。私は諜報員で、彼は監視対象の組織の長。誰からも祝福されることもなければ、生まれてくる赤ん坊は重い業を背負わせることになります。なので黙って姿を眩ませようとしたある晩のこと、荷物をまとめていた私のもとにクラバートがやってきたのです。そこで彼は悟ったのでしょう。私を強く抱きしめ、耳元で囁いたのです。『君が何者であっても、僕は受け入れる』と」


 あってはならないことの連続だが、アイシャは涙ながらに正体を明かしたらしい。

 堰を切ったように泣いて詫びるアイシャをクラバートは受け入れ、そして誰にもバレずに関係を続け、クラバートが息を引き取る直前に「オルドリッチの一挙手一投足を引き続き監視してくれ」と頼まれた。


「私は、体勢を立て直して再び冒険者狩りに挑もうと思います」


 最初から全て伝えることが目的だったのだろう。アイシャの顔にはある種の覚悟を決めた者が見せる凄味が窺えた。


「その冒険者狩りは強いんだろ。勝てるのか?」

「十中八九、返り討ちにあうでしょうね。ですが……母親としてウィルの敵を取らないといけません。サカナシさんはこの街で知り得た情報を外部に持って帰ってください」


 そう告げると、封蝋で閉じられた手紙を手渡された。


「そこには私が長年調べ尽くしたアキツ組とカークランドの癒着が全て網羅されています。どうか然るべき機関から世間に公表してもらえると助かります」

「俺は事の顛末を妖精姫に報告するだけだ。まあ、ついでに渡してやっても構わんが」

「……ありがとうございます」


 決死の表情のアイシャが、踵をを返しその場をあとにしようとしたその瞬間とき――無悪は肩に伸し掛かる死の気配を感じた。

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