22
宿まで送っていこうと、馬車を手配しようとしたオルドリッチの誘いを辞去した無悪は泡沫の夢をウィルと共に後にした。
この数時間のうちにウィルは生死の狭間を何度も行ったり来たりを繰り返したせいか、暗闇の中でもはっきりとわかるほど憔悴しきった表情をしていた。
「なんてことをしてくれたんですかッ! オレは無事に逃がしてくれと伝えたはずですよね!? それが一体どうしたらアキツ組の幹部候補なんて有り難くもない地位に就くはめになるんですか!」
「耳元でギャーギャー喚くな。そもそも貴様のような裏切り者が幹部候補で召し上げられるなんざ、通常なら万に一つもありえないことなんだぞ。俺なら細切れにして豚の餌にでもしてやるところだが、命が助かっただけありがたいと思え」
「だからって、それだったら最初から話を通してくれても良かったじゃないですか」
「事前に話していたら、素直に応じたか?」
これ以上付け上がらないよう、本来の声色で問いただす。
「そ、それは……」
「貴様にはまだまだ手伝ってもらいたいことが山程ある。それはおいおい説明してやるから、今は黙って素直に言うことを聞いとけ」
✽✽✽
VIPルームで商談がまとまり、宴もたけなわだった頃。無悪は護衛と踊り子を席から外してくれないか打診した。
二つ返事で快諾したオルドリッチはその場にいた全員を会話の外へと追いやり、会話を続けた。
「オルドリッチ様。商人という商いの性質柄、私のもとには日々様々な話題が飛び込んできます。一攫千金の儲け話や、商売敵の内輪揉め。それらは銅貨一枚にも満たない価値のゴミばかりなのですが、時として埋蔵金のようなネタに結びつく場合がございます。ですからどのような些細な話であっても謙虚に耳を傾ける姿勢が大事なんです」
「だろうな。そうでないと超越草の密売を仕切ってるのが俺達アキツ組だと検討もつかないだろう」
「そんな耳聡い私の元に、とある噂話が舞い込んできたのです。実は、アキツ組の頭領は未婚ながら子供がいると――」
「……なんだって?」
「私の故郷では『火のないところに煙は立たない』という
こちらを探るような目つきが気に入らなかったが、ここでキレては全てが水の泡だと己を自制する。
「何をいうかと思えば、そういったくだらん話はごまんとある。おおかた跡目争いや内部分裂を目論む勢力の裏工作に違いない。なんとも
思い当たる節がある幾つもあるのだろう。加えていた葉巻を灰皿に押し当てたオルドリッチは、苦々しい表情でそっぽを向いた。
「おや、天下のアキツ組も一枚岩ではないというわけですか」
「大所帯になればなるほど、手綱を操るのは容易ではない」
組のトップとは即ち看板そのもの――血気盛んな武闘派がトップで権勢を振るえば、組全体も同調するように外部から危険視される存在になりうる。
反対もまた然りだが、一部の古参の幹部を除いて同じ組に所属する組員にすら顔を見せない頭領にあらぬ疑義がかけられたとしてもそれはやむを得ない。
求心力が低下すれば様々な憶測を立てられるのは世の常――それは大鰐会長とて有り得ない話ではなかった。
「私個人の望みは、ビジネスパートナー足り得るアキツ組の長期的な安泰であります。それにはまず何より、組内部の結束力を高める必要があることはご指摘するまでもなくおわかりになりますよね? トップ不在だと思われかねない現状を打破するためには、ここらで次期頭領の座に就く男の存在を周知してみてはいかがでしょうか」
そう言って震えるウィルを押し出す。
「……へ?」
「ちょっと待て、まさかその足抜けしたっていう小僧に、アキツ組の頭領の座を継がせようって魂胆じゃねえよな」
激昂するオルドリッチと、プールのあとのように唇を真紫に染めるウィル。
対称的な二人の様子に笑いを噛み殺して演技を続ける。
「何ポカンとしてるんだ。さっさとオルドリッチ様に証拠を見せて差し上げろ」
でまかせもでまかせ。ウィルがアキツ組に復帰したいはずもなく、次期頭領の座を狙っているなど口から出任せもいいところなのだが、正統な後継者の権利を有する存在だといち早く外部に知らしめる必要があった。
これは無悪の勘――。
動物の本能とも言っていい。根拠などどこにもありはしないのだが、ウィルを紹介したときのオルドリッチの慌て振りを見てただの勘は信憑性を増した。
――頭領は、既にこの世に存在しないのではないか。
突然の事態にオロオロとするばかりのウィルに代わり、懐にしまい込んでいた羊皮紙を取り出すとオルドリッチの正面に掲げてみせた。
「えっと……オレは生まれてすぐに実の親に棄てられたんです。そんで遠縁の婆ちゃんに育てられたんですが、社会で働く年齢に差し掛かると婆ちゃんは堅実な仕事に就くよう勧めてきたんです。だけど、その、昔から不良に憧れてたオレは、婆ちゃんの言いつけから逃げるように家を飛び出す計画を立てたんです。本当に悪いことをしたと思ってるんスけど、ある日の深夜――遂に計画を実行しようとしたところで不覚にもバレちまいまして……引き止めることを諦めた婆ちゃんからその時教えてもらったんです。その手紙と一緒に、実の親がどんな人間だったのかを……」
無悪の手に握られた手紙をひったくると、オルドリッチは血走った目で記された文字をひたすら追いかけた。
手紙は謝罪から始まっている。自分達が世間から褒められるような仕事をしていないことを侘び、実の息子を血生臭い世界に関わらせたくない一心で、息子を遠縁の親戚のもとに預けたことを後悔していた。
無悪には到底理解できないが、当時の頭領は実の息子を人並みに愛していたようだ。
文面の最後に、願わくば慎ましく平穏無事な人生を送ってほしいと切なる願いがこめられていた。
その願いは無悪が介入したことで水泡に帰すこととなるのだが、悪いとは一切思わない。使えるものは何でも使うだけだ。
「ほ、本当に頭領の息子なのか?」
「オレも信じ難いですが、顔が父親の若い頃とそっくりみたいです。ここまで腫れた顔だとわからないと思いますけど」
「というわけです。今は頼りないですが、数年も経てば継いだ
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