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 時刻は深夜。ラスケイオスの中でも特に治安が悪いとの評判の区画――アキツ組の息がかかった酒場の一つ「泡沫うたかたの夢」は、今宵も訪れた客どもで賑わい繁盛していた。


 右も左も非合法のシノギに手を付けている輩や、他所で悪事を繰り返し懸賞金を掛けられているような犯罪人ばかりで溢れかえっている。


 店内はまるで独立国家のように違法薬物の使用が認められ、頼めばテーブル席までウェイターが薬物を運んできてくれる。

 その中には当然〝超越草〟も含まれていた。店内のそこここに副作用による躁鬱状態の中毒者ジャンキーの姿が見受けられるが、それはあくまで日常的な光景に過ぎない。


 店主オーナーはあくまでアキツ組の傀儡かいらいでしかなく、裏でを手渡されていた地元の役人や権力者は臭いものに蓋をしておしまいというわけだ。


 店内は薄暗く、広い店内には円形の舞台ステージが複数設けられていた。

 客同士無用な詮索を良しとしない店側の配慮のせいで、隣の客席に腰掛ける客の人相も判然としない代わりに魔石を使用したスポットライトで照らし出された舞台は、訪れた客の目に一層華やかに映っているに違いない。


 舞台上で様々な種族の女が、天井まで伸びる金属棒ポールに掴まり裸同然の衣装で妖艶な踊りを披露していた。


 見たことのない弦楽器を巧みに操る奏者が奏でる音にあわせ、鼻の下を伸ばし視線を注ぐ客に向けて挑発するようにケツを振ったり顎を引き寄せたりなどして、あの手この手で大量のチップを強請ねだっている。


 その中に一人――差し出された豊満な胸に銀貨か金貨か、はたまた大金貨をねじ込んでいる狒々ヒヒオヤジの姿を見つけた無悪は顎で差し、ウィルに話題を振った。


「見ろよ、あそこにいるのはわざわざ遠方からと称して訪れた高僧だとよ。欲に溺れる生臭坊主がアソコおっ勃てて、お気に入りの踊り子に信者が喜捨した金を胸元に突っ込んでやがる」

「そんなことより……これからどうするおつもりなんスか?」


 連日連夜『泡沫の夢』に通い詰め、店内の間取りから従業員のシフト、出入り業者の顔まで全て頭に叩き込んでいた。


 どんな客が訪れてどのような会話が交わされているのか――時に従業員にチップを握らせ情報提供者エスに仕立て上げながら根気強く一つ一つ情報を収集に専念していたが、ようやくそれも実を結んだ。


 アキツ組の幹部クラスは定期的に泡沫の夢に訪れているとの情報を入手することに成功したのだ。


 二階部分は許可された者のみ立ち入ることを許されたVIPルームに改装されているようで、甲冑を着たような肉体の門番ガードマンが常に階下に睨みを効かせて立っている。


 幹部連中は気に入った踊り子達を見繕うと、肩を抱き寄せVIPルームに姿を消していく光景を何度か目にした。


 呼び鈴ハンドベルを鳴らし、ウエイターを呼び寄せた無悪はサービスの葉巻を持ってこさせ火を点けると、肺に溜めた紫煙を一気に吐き出す。一応ここではとして通っているが、今のところ店員に怪しまれている様子は微塵も感じられない。


「これはこれは様。本日も当店にお越し頂きまして、誠にありがとうございます」


 恭しく頭を下げ、慇懃な挨拶をするウエイターは無悪がエスに仕立て上げた男だった。すっかり従順な犬に成り下がっているようで、頼んでもいないのに次から次へと情報を運んでくる便利な駒である。


「そういや、今日は二階が貸し切られてる日だったか」

「ええ。実はここだけの話……」


 そう告げると、辺りを見回して手に持った盆の上のグラスをテーブルに置いた瞬間、小声で素早く、聞き捨てならない情報を口にした。


「普段滅多に人前に顔を出さないアキツ組の頭領が、何故だが今日に限って当店にやってくるとの報せが届いたのです」

「……それは本当か? どんな人相かわからないのか」


 これが本当の犬であれば上等なドッグフードでも与えてやるところだが、エスが求めているのは餌ではなく金。物欲しそうなウエイターにさりげなくを手渡すと、すぐにポケットにしまい込む。


「いえ……おそらく店長ですら知らないと思います。なんせアキツ組の幹部の中でも、古参の人間としか関わり合いがないという雲の存在らしいですからね」

「なになに〜? ミミィに内緒で何の話をしてるのぉ?」


 耳聡く会話を聞きつけ側に寄ってきたのは、つい先程までウィルの熱い視線を釘付けにしていた兎人バーニー族のミミィだった。

 グラビアイドルさながらのプロポーションを惜しげもなく披露する全裸に近い姿に、童貞臭を漂わせていたウィルは窮屈そうに前屈みになりながらも艶めかしい肢体から視線を離せずにいた。


「お前には関係ないことだ。それよりほら、あっちのテーブルからお呼びがかかってる」


 ウエイターを手のひらで追い返し、差し出された谷間に銀貨を差し入れた瞬間にミミィは無悪の手首を掴むと、ソファの背もたれに押し倒して耳元で囁いてきた。


 華奢な身体に見合わず、兎人族というのは近距離での格闘が得意だと語るジト目の妖精姫の顔が、何故だが脳裏に浮かんだ。


醜男ブサイクの相手なんてまっぴらごめんよ。どうせなら影のある色男の相手をするほうが、よっぽどお互いのためになると思わなぁい?」

「あのなぁ、いくら俺に色気を振りまこうがお前の勝手だが、身請けするつもりは一切ないからな」

「ええ〜私みたいな器量良しの女が他にどこにいるっていうのよ〜」


 胸板に枝垂しだれかかってくるミミィを押し退けると、ウィルは不服そうに視線を反らしてジョッキを呷っていた。

 ウィルがミミィに恋慕を抱いているのはとっくに気づいてはいたが、情報を得るためにお構いなしに夜の相手を勤めたことが幾度があった。


 さすが兎――絶倫で名を馳せた無悪をもってしても、底知れない性欲の持ち主である。


「ああ嫌だ嫌だ。これだから兎人族の雌はいけすかねぇんだ。だいたい本能で強い雄を見分けるなんざ、野良の一角兎とやってることが一緒じゃねぇか。二足歩行で口を利けりゃ立派な兎人族の出来上がりってか」

「あら、乳臭い小僧もいたのね。全然気が付かなかったわ。ていうかね、亜人差別も程々にしときなさいよ。ここにはね、そこちらのチンピラよりよっぽど怖い亜人の踊り子がわんさかいるんだから。あんたも口ばっか達者にならないで、少しはアルタナさんを見習ったらどうなのよ」

「う、うるさいっ!」

「お前ら少し黙れ。ミミィ、お前も客に呼ばれてんだ。さっさと行って来い。後でたっぷりと可愛がってやるから」

「もう、仕方ないわね。後でちゃんと約束守ってよ」


 今夜も何ラウンド体を酷使しなければならないか算盤そろばんを弾きながら、尻尾を揺らし去っていくミミィを見送るとウィルは再び中断した会話を再開させた。


「話が脱線しちまいましたけど、ここだけの話……兄貴はアキツ組相手に一体何をやらかすつもりなんスか?」

「その兄貴というのを今すぐヤメろ。お前は俺から盃を貰ったわけでもないだろうが」

「サカズキ?」


 一瞬なんのことだかわからない様子で首を傾げていたが、すぐに頭を下げて謝罪をした。

 

「すみません……ついクセで言っちまうんスよ。だけどアキツ組にちょっかいを出すなんて、正気の沙汰とは思えないス。この国の住民だったらそんな奴、頭がイカれてるとしか思えないのも無理はないっスよ」

「別にどうこうするつもりはない。ただ、アキツ組の幹部とお近づきになりたいんだよ」


 そう言って紫煙を顔面に吹きかけてやると、苦しそうに咽るウィルの肩越しにお目当ての客の姿が視界に飛び込んできた。


「おっと、ようやくお出ましだな」

「な、なにをやらかすつもりっスか? えっ? ちょっと、襟掴んで何するんですか?」

「撒き餌って知ってるか」

「知ってますけど……まさか」


 見当がついたウィルは自らに訪れる未来を思い浮かべ、ジタバタと見苦しく抵抗を見せたがそれも連中の前に連れていくまでのことだった。

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