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 目を覚ますと、そこは三十人程度で満席になるすたれた映画館のようだった。


 俺を除いて観客は誰一人いない。

 映写機から伸びる青白い光の筋が、空中に漂うほこりを照らして正面のスクリーンにモノクロの映画を投影している。


 ポップコーンも炭酸飲料もなしに惰性で映画を鑑賞していたが、どうして映画など観ていたのか頭を捻ってみても理由を思い出せない。


 作品名も不明。映画監督も不明。出演俳優は誰一人として思い出せない。なにからなにまでわからないことずくめだった。


 映画の内容は終始胸糞悪い展開で進んでいく。主人公の父親はアルコール依存症でギャンブル三昧の浪費家。

 一回り以上年若い母親は、貞淑ていしゅくなふりをして若い男に囲まれていないと生きていけない惨め女。


 母親の連れ子で愛を知らずに育った少年がこの作品の主人公にあたる。この世に生まれ堕ちた瞬間から協調性の欠片もなければ、最初からブレーキが取り外されたみたいに暴力を振るうこともいとわない。


 手負いの獣じみた生存本能に突き動かされ、近寄るもの皆傷つける暴力を武器に生きている危うい役柄を、見事に演じきっていた子役には鬼気迫るものを感じた。


 自らの境遇を呪い続けた主人公が、破滅へと突き進んでいくバッドエンドの物語は趣味ではなく、観ているだけで嫌気がさしてくる。


 一昔前のフランス映画にありそうな、ただただ陰鬱な雨が振り続ける映画のようでそれが芸術性と言われてしまえばそれまでの話だが、主人公の周囲に振り続けていたのは雨は雨でも血の雨である。


 自らを暴力で支配し続けた両親を金属バットで滅多打ちにし、児童福祉施設に送られたあとにも度重なる問題を引き起こす。


 少年院を行ったり来たりする生活を送るうちに裏社会に自然と染まるのは既定路線だった。生まれ持った暴力性を遺憾なく発揮し、天職とも呼べる極道の世界に身も心もどっぷりと浸かっていく。


 自分の為なら――オヤジの為なら――邪魔めざわりな人間を容赦なく崖の下に蹴落とすなど朝飯前。


 弱肉強食を体現し、弱者から奪えるものは全て奪う。利用価値のない人間、苛つかせる人間、意に背く人間がいれば命を奪う行為も顔色一つ使えずに平然と行ってきた。


 唯一手を差し伸べてくれた恩人のもとで、傍若無人に暴れ回る日々を送っていた主人公は、ついに一介の組長の座に就く。

  

 しかし、主人公はさらなる高みを望んでいた。


 いつか裏社会の頂点に立って全てを牛耳ってやると、夢物語ではなく本気で実行に移すつもりでいた。その先に破滅が待ち構えているとも知らずに――。


 最期は自業自得としか言いようのない非業の死でフィナーレを迎えた。無間地獄に叩き落された男の物語に、ようやく幕間まくあいが下りたのである。



       ✽✽✽



 訴えかけるメッセージ性もなければ、終演後のカタルシスも存在しない。

 駄作も駄作。改めて何故このような作品を観ていたのか、やはり思い出そうとすると頭の中にもやがかかってしまい、肝心な記憶を引き出すことが出来なかった。


 兎にも角にも、用が終わったのならここにいる意味もなし――映画館から出ようと腰を浮かすと、誰もいなかったはずの隣の席から突然声がかけられ、驚いて振り返る。


「どうだったかい? 映画の出来は」

「……誰だ、あんた」


 最初から隣で一緒に鑑賞していたとでもいうように、優雅に足を組みながら悠然と構える燕尾服モーニング姿の男は、似合いもしないカイゼル髭をしきりに指先で弄りながら作品の出来について訊ねてきた。


「私はこの映画館のしがない雇われ館長だよ。そんなことより教えてくれないか? 君が観た映画の出来を」

「駄作だな。製作の意図はわからないうえに、監督の独りよがりが目立つ作品だった。観てる側にストレスしか与えない。最初から最後まで醜悪極まる内容すぎて誰から見ても不興を買うに決まっている。少なくとも金を払ってまで観たいとは思わない」


 正直な感想を伝えると、男は何が可笑しいのか、必死に笑いを堪えながら酷く気に障る視線を寄越してきた。


「それはそれは、辛辣な助言アドバイスをどうもありがとう。だけどね、一つ教えてあげよう」

「なんだ」


 いちいち勿体ぶる男の態度が苛ついてしょうがない。


「気がついてないみたいだけど、というか忘れてるだけなんだけど、君が観ていた出来の悪い映画とやらはそっくりそのまま君が歩んできた人生を再生した映像に過ぎないんだよ」

「俺の人生? あんた頭おかしいんじゃないのか」

「まあまあ、最後まで黙って聞きなよ。何が言いたいかって言うとね、君が抱いた感想は、客観的に眺めた自分の人生に対する自己評価そのものなのさ」


 男が話している意味の一割も理解できないでいると、突然指を鳴らす。

 それを合図に閉じていた幕間が再び開いた。スクリーンには主人公が最後に息絶えるシーンが映し出されている。


 物語のクライマックスで、カメラの画角の外から何者かが発砲し、主人公が頭を撃ち抜かれるシーンを何度も見せつけられる。だんだんと怒りがこみ上げてくるのはなぜなのか。


「ちょっと待て。言うに事欠いて、この映像がすべて俺の人生だって? ふざけたこと言うなよ。俺の人生はもっと、もっと……」


 はじめから違和感を感じていた。

 何かがおかしいと。


 どうせ男の安い挑発だろうと、これまでの順風満帆だった人生を振り返ろうとしたのだが恐ろしいことに過去の記憶が何一つ思い出せなかった。


 それどころか、自分の名前さえ一文字も浮かび上がってこない事態に、髭を弄っていた男は全てお見通しと言わんばかりに話を続けた。


「そろそろなにも思い出せなくなってる頃だろう。いいかい、君は一度現世で死んだんだよ。ここは一度死んだ人間が、これまで歩んできた人生を振り返る最後の場所なのさ。走馬灯をイメージしてくれればわかりやすい。ちなみに、あと数分もすれば君の濁りきった魂は浄化することも許されず、この世から永遠に消滅するんだけど……って聞いてる?」


 ――俺が……死んだ?


 男の言葉を脊髄反射で真っ向から否定することは簡単だった。なのに、額から伝い落ちてくるナニかを拭き取ったそのとき――指先に付着した液体がドス黒く変色した血であると知ると自らの身に何が起こったのか、遅ればせながら全て理解した。


「そうか……俺は本当に死んだんだな」

「やっと理解してくれたかい。さて、ここからが本題だ」


 再び指を鳴らすと、映像は一気に巻き戻されて映画のタイトルが映し出された。


『異世界極道物語』


「なんだ、このクソダサいタイトルは」

「おいおい、随分と人間風情が失礼な口を利くじゃないか。まあいいや……早速で悪いけど、本題というのは君にとある世界へ渡ってもらいたいんだ」

「意味がわからない。詳しく説明しろ」

「いいかい? その世界は地球の常識も通用しなければ、物理法則も異なる異世界なんだ。君にはその異世界で第二の生を送ってもらいたい。たったそれだけのことさ」

「つまり、俺は生き返えることができるってわけか?」

「厳密に言うと、〝死んだことをなかったことにする〟わけなんだけど、今の君には関係のない話だから気にしないで。それで、どうする?」


 決断を迫られ、しばし男の話した内容を反芻はんすうした。


「断ってくれてもいいけれど、さっきも言ったように君の魂は汚れきっていて、とてもじゃないが輪廻転生リサイクルは受け付けられない。つまり産業廃棄物ゴミクズとして処分される手筈なんだけど、どうするか決めてくれないか」

 

 唐突に与えられた蜘蛛の糸。未だに理解が追いつかない部分があるが、復讐の機会を失った俺が異世界とやらで再び蘇ったところで、その人生に意味があるとはとても思えない。


 ――俺の人生は射殺された瞬間に幕を閉じたんだからな。


「意味ならもう一度与えてやればいい。私はその過程を見届けたいんだ。そのためにこうして人間に機会チャンスを与えているのさ。ハリウッドも顔負けのスペクタクルショーをみせてくれるのか、はたまた愛に生きて愛に死ぬラブロマンスを見せてくれるのか、それとも世界を揺るがす大騒動に巻き込まれるのか――君は一体どんな人生を観せてくれるんだろうね」

盗撮のぞきが趣味とは、良い趣味とはいえねぇな」

「まだ君の心が揺れ動かないのであれば、特別に良いことを教えてあげよう。君はきっと食いつくはずさ」

 

 男の言葉を合図にスクリーンに大鰐会長の死のシーンが映し出される。


「実はね、これから君に渡ってもらいたい世界には君の恩人と、君自身を殺した犯人も渡っているんだ」



       ✽✽✽



 また一つ、暇潰し程度にはなりそうなを堪能できる。


 第二の人生を受け入れた人間が旅立つと、がらんとした座席に座っていた男は抑えきれない衝動に身を任せ、仰け反りながら盛大に笑い声をあげた。


 笑いすぎて生まれて初めて呼吸困難で死にそうになり、涙しながら呼吸を整え、誰に聞かせるわけでもなく一人呟く。


「これだから、本当に人間ってやつは面白いんだ」

 

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