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「オヤジ、お疲れ様です。この後は予定通りに事務所に戻りますか」

「……いや、その前に大鰐会長の墓前で報告することがある」


 下で待機させていた若頭の伊澤真いざわまことが、エントランスから出てきた無悪の姿を確認するなり後部座席の扉を開けて出迎えた。


 通行人が驚いて道を開ける相貌の無悪とは対象的に、伊澤は珍しくホスト出身という経緯もあって優男然とした佇まいの男だった。


 タバコをくわえれば長年叩き込まれた動作で即座に火を点ける。

 暴力とは無縁そうな頼りない身形みなりに似合わず、どんなシノギも伊澤に任せれば多少の無理難題は確実にこなす才能を有していた。


 少なくとも現時点では使える駒だと気に入ってとして側に置いている。


 ――俺の役に立つか、それとも立たないか。


 無悪の逆鱗に触れて再起不能に陥る部下ばかりのなかで、ただ一人一年以上咎めを受けることなく続いている稀有な男だった。

 

「かしこまりました。まずはオヤジが五体満足で戻ってきたことに安堵しましたよ」


 アクセルを踏んで加速すると、冴えない運転手が転がすタクシーの前に割り込んで走行する。


「最悪の場合も考えてたがな。もしもの場合を想定して、タマを取られる前に一人でも道連れにしてやろうかと覚悟していたが、本宮だけは別格だった。アレを相手取るには骨が折れそうだ」

「オヤジがそこまで仰るほどの方ですか」

「なんにせよ、今すぐどうこうするわけではない。先ずは会長を弾いたクソ野郎を見つけ出すのが先決だ。でないと俺が罪を背負わされることになるからな」


 臆したつもりは一切ないが、あの会議の場で反抗するのは最後の手段であって、間違いなく悪手であることには間違いなかった。


 会話の中に選択肢はいくつもあって、結果的に生きてビルを脱出できたのは僥倖ぎょうこうだったのかもしれない。


「墓地に着いたら起こせ」


 伊澤に伝え、しばしまぶたを閉じる。見えてくるのは顔もわからぬ狙撃者ヒットマンの背中――体を休めるために一時の休息について目的地の霊園に辿り着くと、伊澤を一人車内に残して革靴の底を鳴らしながら敷地の奥へと突き進んでいく。


 一際大きな墓石の前で足を止めると、会長が生前好んで飲んでいた日本酒を瓶ごと逆さまにして、水代わりに振る舞ってやった。


 ――昔から豪快に酒を飲む人だったな。 


 神も仏も信じちゃいないが、せめて形だけでもと冷たい墓下に眠る恩人に手を合わせ祈りを捧げた。


「オヤジを殺した奴は生き地獄を味わせてやる。だからもう少しだけ地獄そっちで待っててくれ」


 次に訪れるのは、晴れて幹部の椅子に座る報告の時だと顔を上げたその時――誰もいなかったはずの霊園に乾いた発砲音が轟いた。


 樹々にとまっていたカラスが飛び交い、額からドロリと溢れ出す生温い血と脳漿が無悪の世界を暗く染める。


 ――なにが……起こった?


 全身から力が抜け落ちていく、睡魔に似た感覚に抗うことができずに膝から崩れ落ちる。


 無悪の背後で何者かが会話をする声が聞こえた気がしたが、もはや声の主を探る時間も残されてはいなかった。


 薄れゆく意識の中で、残された力を振り絞って振り返ろうとしたが止めの一撃が後頭部に撃ち込まれ、意識はそこで断ち切られた。

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