近衛兵

二六イサカ

近衛兵

 アクセルと侍従が外に出てみると、先刻より群衆の数が倍以上に増えていることは、火を見るより明らかだった。今や宮殿正面は、地平線を埋め尽くす程の夥しい数の群衆の戦列と対峙していた。


 宮殿と群衆の間には貧弱な鉄柵があるのみで、議会から送られてきた兵士達が大砲を敷いてそれを守っていたが、彼らは群衆のあまりの多さにすっかり恐れ慄いていた。


 兵士達は自分たちに敵意がないことを示すために群衆と談笑したり、大砲を触らせたりしていたが、ついには辛抱堪らず敵に寝返ってしまう者もいた。


 アクセル達が兵士達の持ち場に近づくと、それに気づいた兵士の一人が顔を真赤にしながら、「国王は俺達を兄弟や友人と戦わせようというのか!俺はもう耐えられない!」と絶叫するやいなや、群衆の元へと駆けていった。


 これがきっかけとなり、堰を切ったように兵士たちは持ち場を離れた。兵士達が市民のひとりひとりと熱く抱擁を交わすたび、群衆の中から大歓声が巻き起こった。


「圧制者に死を!革命バンザイ!共和国バンザイ!」


 群衆の熱は最高潮に達したようだった。国王を守るはずの兵士達はみな消え去り、宮殿は丸裸になった。一連の様子をみていた侍従は小さく「ああ、なんということだOh mon dieu」と呟くと、顔を真っ青にして建物の中に引き返していった。


 アクセルは群衆の渦を一瞥すると、なにも言わずに侍従の後を追った。


 1階のエントランスには、真っ赤なコートを着た近衛兵達が待機していた。近衛兵達は、外から帰って来たアクセルを丸く囲むと一言も言わずに静かに命令を待った。


 アクセルが手短に「外の兵士達は逃げた。準備しろ」と告げると、彼らの目が月明かりのように光った。


 近衛兵達は武器を確認したり、ポケットから酒瓶を出して飲んだり、胸元で十字を切ったりして、各々の準備を始めた。にわかに騒がしくなった1階を横目に、アクセルは国王が待つ2階の広間へと足早に向かった。


 2階は一足先に戻った侍従がもたらした外の情報によって、葬式のように静まりかえっていた。


 貴族の大半は革命によって国を捨て、宮殿に残っている連中はほんの僅かだった。連中は互いに国王のそばに留まった自分たちの勇気を褒め称え合っていたが、アクセルは彼らのことをよっぽどの夢想家か、救いようのない馬鹿だと内心軽侮していた。


 幽鬼のように部屋を生気なく歩き回る彼らの姿は、この革命の顛末を雄弁に物語っていた。

 

 アクセルは近衛隊の指揮官である大佐の姿を部屋の隅に見つけると、そばに寄って、部隊はいつでも動かせる、と伝えた。大佐はただうなずくのみで、何も言わなかった。


 大佐は心ここにあらずといった様子でどこか一点を見つめていたが、心当たりがあるアクセルは、その視線の先にあるものが部屋の壁に掛かっている絵であることが直ぐにわかった。


 大佐は特別絵画が好きなわけでは無く、また宮殿には無数の絵画が飾られていたにも関わらず、不思議と大佐がこの1枚の絵の前に立っている場面を、アクセルは何度か観たことがあった。


 アクセルは絵画を観ても何も面白くなかったが、絵画を将校が熱心に観るさまというのは、何処と無くおかしかった。


 大佐は同郷であり、年も一回り以上離れているアクセルを弟のように気にかけてくれ、アクセルの方も、部下には不条理を強いない大佐を慕っていた。


 アクセルはこの有事に大佐がどのような態度をとるのか気になっていたが、果たしてどうか、絵に惚ける大佐の姿に一抹の不安を覚えずにはいられなかった。

 

 侍従長が「国王陛下の御成りです」と告げると、貴族たちが二列に分かれて整列し、真ん中に道を作った。


 奥の部屋の扉が開いて国王が姿を見せ、広間の真ん中に作られた道を歩き始めると、貴族たちは恭しく腰元のサーベルを抜き、「国王バンザイ!国王バンザイ!」と叫んだ。


 大佐が国王の傍に近づき、部隊はいつでも動かせると伝えると、小さな声で「ありがとうMerci」と息を吐くように呟いた。


 国王は侍従長と大佐からされる状況説明を、痛みを堪えるように目を瞑って、うなずきながら黙って聞いていた。国王の頭から一本の白髪が抜け落ちる様を観た時、アクセルは心から目の前の老人を哀れに思った。

 

 国王と侍従長といくらかの会話を済ませた後、大佐はアクセルを呼ぶと、一足先に1階に降りて部隊を展開させるよう命じた。


アクセルは階段を駆け降りて部隊に指示を出すと、大半を玄関口の前で戦列を組ませ、少数の狙撃班を窓際に配した。血のように赤いコートを身に纏った近衛隊が宮殿から姿を表すと、宮殿と対峙する群衆は怖気づくどころか、いきり立って声を張り上げた。


遅れて大佐が降りて来ると、アクセルに言った。


「陛下は隣の議会府に移動した。我々はここで敵を足止めする」


アクセルは、主のいない宮殿を命懸けで守るのですか、という言葉を押し留め、ただ「了解Jawohl」とだけ答えた。


群衆は門を打ち壊し、ついに鉄柵を越えて宮殿の敷地に侵入してきた。三色旗を持った小汚い男を先頭に、鍬や斧を手に持った集団が玄関口に突撃して来ると、大佐の号令一下で一斉に近衛隊は発砲した。瞬く間に集団の先頭がなぎ倒され、残りは逃げ帰っていった。


これに恐れをなしたのか、群衆は一瞬静まり返った。しかし群衆の中から、若い女が1人の倒れた男の傍に駆けていき、何かを叫んでは男の胸元に顔を埋めて嗚咽すると、それを観た群衆は勇気を取り戻したのか、再び突撃を再開した。


 今度は寝返った兵士たちが先頭に立ったので、近衛隊との激しい撃ち合いとなった。近衛隊は一歩も引かずに玄関口を固守していたが、寝返った兵士達が宮殿防衛用の大砲を撃ち出すと、形勢は逆転した。


 砲弾は近衛隊の兵士達の頭上に降り注ぎ、その戦列を破壊した。砲弾は建物にも打ち込まれたので、所々で火災が発生していた。アクセルは建物に被害が出るたび、そちらを気にする大佐の姿を戦闘中に認めた。


 近衛隊は当初の半分ほどにまで打ち減らされ、じりじりと建物の中に押し込まれようとしていた。不意に大佐はアクセルの襟首を掴むと、耳元で大きく叫んだ。


「君は動ける兵士を連れて、議会府へ行って陛下をお守りしろ。私は建物に戻って、逃げ遅れた者がいないかどうか探してくる」


 国王とその近習は議会府に行き、その他の貴族も既に逃亡し、宮殿は既にもぬけの殻であることを知っているアクセルは大佐を止めようとしたが、制止する間もなく大佐は煙る建物の中へと姿を消してしまった。


 アクセルは動ける負傷者を抱き起こし、満身創痍の部隊をまとめると、庭園を挟んで隣にある議会府へと急いで向かわせた。近衛隊がいなくなった宮殿には、喊声を上げた群衆が雪崩をうって侵入してきた。


 群衆は家具や書籍、美術品の数々を手当り次第に破壊して、暴力の限りを尽くした。庭園の半分を抜けたところで、アクセルは部下に部隊を任せると、1人宮殿へと引き返した。


 草陰に隠れつつ、群衆で溢れかえる宮殿の様子を外から伺っていると、2階の広間に面している窓が1つだけ空いていた。アクセルが危険も顧みず、窓に向かって「大佐!」と叫ぶと、大佐が一瞬顔を出した後、何か薄い板のようなものを窓から落とした。


 刹那、銃声と激しい物音が部屋の中から聞こえたかと思うと1人の人間が群衆によって同じ窓から放り投げられ、地面にぶつかって鈍い音が鳴った。


 アクセルが傍に駆け寄ってみると、それは紛れもなく大佐であった。アクセルは何度も「大佐!大佐!」と呼びかけたが返事はなく、既に事切れていた。


 大佐をどうしようかアクセルが逡巡していると、こちらに近づいてくる集団があったので、アクセルは仕方なく薄い板だけを抱えて、議会府へ走った。


 庭園を息も絶え絶えに抜ける間、木が焼ける匂いが鼻から離れなかった。


 議会府に着く頃には、血と硝煙でアクセルの着ているコートはボロボロになっていた。アクセルは議会府に先着していた近衛兵達が、革命軍の兵士達に武装を解除され、拘束されている様を観た。


 憤慨したアクセルは、制止する兵士達を振り切り、この場にいる革命軍の指揮官の元へ歩いていった。指揮官は中尉だった。


 怪訝そうに自分を見つめる中尉に向かってアクセルは、自分は近衛隊の副官であり、陛下を守る義務があるから、速やかに拘束されている部下達を解放すること、そして陛下はどこにいるかとまくしたてた。


 中尉は落ち着き払って、アクセルが近衛隊の副官であると聞くと、議会府の中にある小部屋に案内した。中尉は、肩で息をするアクセルを落ち着かせるため、取り敢えず椅子に座らせようとしたが、アクセルは興奮したままで、先程と同じ質問をもう一度中尉に浴びせた。


「国王は議会によって一切の権限を剥奪され、今は身柄を拘束されています。同時に議会は近衛隊の解体も決定しました。残念なことですが、我々は貴方の身柄も拘束しなければなりません。」


 中尉が慇懃にそう答えると、アクセルの動きが止まった。同時に急に足が震え出し、そのまま椅子に腰をおろしてしまった。中尉は兵士にお茶を持ってこさせ、アクセルを労った。


 アクセルが茶を飲んで少し落ち着くと、中尉は、近衛隊指揮官のラ・トゥール大佐はどこにいるかと訪ねた。


「宮殿を守って、戦死しました。」


 アクセルがそう答えると、中尉は何も言わず、手元の書類に何かを書き込んだ。


「御存知の通り、共和国は四方を敵に囲まれています。専制を倒しても戦争は終わりません。そこで革命軍は貴方のような優秀な将校を欲しています。待遇も近衛隊にいた頃と変わりません。悪い話ではないはずです。」


 中尉に不意にそう言われ、疲れ果てたアクセルは思わず口角を上げた。


「断ったらどうなるのです」


 アクセルは挑戦的に中尉に聞き返した。中尉は顔色一つ変えず答えた。


「群衆は最後まで国王の側で戦った近衛隊を許しはしないでしょう。戦場で華々しく死ぬか、断頭台の露に消えるか、貴方はどちらを選びますか?」


 しばらくして中尉は、アクセルを1人部屋に残して持ち場に戻った。アクセルは自分が勇気を失ったと思った。中尉の半ば脅迫のような提案を受け入れたこの日この時、自分は自らの意思で生きるために必要なもの失ってしまったのだと思った。


 アクセルは手で顔を覆おうとして、自分が両手で絵を抱き抱えていることにようやく気がついた。中尉がアクセルのことを怪訝な顔で見たのも無理はなかった。アクセルは自分と同様に、ボロボロになった絵をまじまじと見つめた。


 画面の手前には見すぼらしい羊飼いの男が木にもたれて休んでおり、その周りで、のどかに羊たちが草を食べていた。羊たちの後ろには廃城と小川があり、さらにその奥には山々と、今まさに沈まんとする夕日が描かれていた。


 アクセルは描かれている羊飼いの男が、ひどく疲れているように見えた。こんな絵のために大佐は死んだのかと、アクセルは心のなかで呟いた。


 兄のように慕い、尊敬していた大佐。この絵が大佐の死に値する程のものではないと思うと、やるせない気持ちになった。アクセルは絵を持ったまま、椅子の背もたれに深くよりかかった。


 ひどく疲れ、一気に自分が何百歳も年をとったように思えた。アクセルはそんな自分の姿が、絵の中の羊飼いの男に似ているとふと思った。その時だった、一瞬ではあるが、絵の中の羊飼いの男が、横たわる大佐の姿に観えた。


 驚いてもう一度よく絵の中を凝視してみたが、やはり大佐はいなかった。だが、羊飼いの男と大佐の姿が重なった時、アクセルの脳裏に様々な情景が浮かんできた。


 革命前の日々、宮殿、太陽、近衛隊、閲兵行進、王と妃、受勲、舞踏会、故郷、そして大佐。過ぎ去った日々の思い出によって涙が頬を伝った時、アクセルは大佐の気持ちがようやく分かったような気がした。






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