これは誰が為の物語

夜光虫

これは誰が為の物語


 今でも夢だったのではないかと思う。 彼との出会いは、高校2年の春頃だった。 あんな強烈な出会いは、二度と体験することは出来ないだろう ‐


 1日目‐


 その日も、学校帰りに用事を済ませると、いつものように神社の境内を通り、家路を急いでいた。


 私はこの境内が好きだった。 家から程近い神社で、飼い猫のヨルがお気に入りのお賽銭箱の前で私の帰りを待っているからだ。


 チリンとヨルの鈴の音が聞こえると、それだけで我が家に帰ってきたような安堵感とヨルへの愛おしさが込み上げる。 


 向拝所こうはいじょに差し掛かり、立派な松の木の影から賽銭箱の前を覗き見ると、ピタリと体が硬直する。

  

 ‐え?


 ヨルは、若い男性に頭を撫でられ、気持ちよさそうに目を細め、チリンと鈴の音を響かせている。 その男性は20代前半くらいだろうか。 日がのび始めたとはいえ、もうすでに薄暗いはずの境内だが、彼の周りだけ、やたらとはっきり見える。


 身なりはTシャツにジャージの上下とシンプルだ。 整った顔と、切り揃えられた前髪を横に流し全体的に長めにカットされた髪型は、どこか韓国のスターを思わせた。 ……いや、そんな事はどうでも良くて。


 はっきり見えるはずである、彼は全体的に僅かに発光していたのだ。 いや、それすらも置いておくとして。 ……犬のような獣耳が生えているのである。 いわゆる普通の人間の耳も生えており、その位置よりもやや上に、大きめな獣耳が生えて見えた。


 よもやと彼の背後を見てみると、見るからにふかふかそうな立派な尻尾までついている様だが、ズボンはどうなっているんだろうか? 


 ちぐはぐだ。 しかし、繊細な毛の流れや質感、時折気配を探るようにピクリと左右に動く様子が、ちぐはぐなはずのその様相に妙なリアリティーを与えていた。


 彼が発する淡い光が、ヨルの漆黒の毛並みを青白く照らし、まるで目の前のファンタジーが現実のものだと言わんばかりに網膜に焼き付いて離れない。 幻想的な光景に息をのみ、暫し時を忘れて眺める事しか出来なかった。


 彼の視線が静かにこちらに動く。 ああ、しまった、目が合った。 なんと私の元へやって来るではないか。 こっそり通り過ぎればよかったと僅かに心がざわついたが、意外にも好奇心が勝り、私は彼と接触を試みる事にした。


 「 佐伯 縁(さえき ゆかり)……ちゃん?」


 「はい、そうですけど?」


 彼は、頭をぼりぼりと掻きながら、非常に言い出しにくそうに私の表情を伺う。


 「頭のこれ、見えてるよね?」


 何も言わずに頷き、相手の反応を伺ってみる。 彼は赤面しながらも、意を決したように矢継ぎ早に話し出した。 彼の名前はクロエ。 獣人族の生き残りで、どうやらこの世界には伴侶はんりょ、お嫁さん候補を探す目的の為にやってきたという事らしい。


 ……のだが、もうこの彼、さっきからもじもじと恥ずかしそうに人と目もろくに合わせず、声も張れていないものだから説得力がない。 せめてキャラを作りこんで、設定資料を最初から読み直してこいと思わず喉元まで出かかる。


 「あ~、もう吹っ切れたぞ。 俺は異世界の住人とはいえ、小さい頃からこの世界で暮らしているんだ。 ここでの常識は弁えてる。 つまり、見ず知らずの他人にいきなりこんな打ち明け話をする事に対する羞恥心ぐらいは持ち合わせてるの。 わかる?」


 なるほど、筋は通っている。 そういう事にしておいてやろう。 


 そこでふと、疑問が湧く。 なぜ、私にそれを話すのか。 そして私の名前を知っていたのはなぜなのかと聞くと、獣耳とヨルを交互に指さし、名前は彼女に聞いたと短く答えた。


 彼の言いたい事をまとめるとこうだ。 赤ん坊の時にこの世界に飛ばされてきて、養護施設にて育った。 彼が獣人族だと自覚したのは成人して突然獣耳と尻尾が生えてきてかららしい。 


 その時から謎の声が頭の中に響いてきて、伴侶候補を見つけないと故郷へ強制送還させると脅迫まがいの無茶ぶりをされているという。


 「言いづらいけど、ヨルの話を聞くと、君は伴侶候補の条件をクリアーしてるんだよね。 詳しくは話せないんだけど、ここに居れるように協力してほしい!」


 私は彼に断りも入れずにその僅かに光る獣耳に触れてみた。 びくりと緊張が走ったのが分かり、私までにわかに緊張する。 さわると、凄く柔らかい。 犬やオオカミというよりは、まるで子猫の耳に触れたような柔らかさだ。


  彼は、こそばゆそうに耳をピクピク動かして見せると、割と真剣な表情を見せながら、「信じた?」と小さくつぶやいた。



 2日目‐


 今日も学校が終わると、まずは病院へと急いだ。 入院しているお祖母ちゃんに、一日の出来事などを話して聞かせるのが日課になっているのだ。 とはいえ、認知症が進み、私が誰かも分からないだろう。


  昔、お祖母ちゃんが私に絵本を読んで聞かせてくれたようにゆっくりと語りかける。 いや、今日に限っては興奮して少しばかり早口になっていたかもしれない。


 「で、そいつにね、今日も会う約束をしちゃったんだけど、やっぱりやめといた方がよかったかな? でも個人情報を握られてるんだよね……、どう思う?」


 お祖母ちゃんは、目の前の虚空を見つめニコニコと笑みを浮かべるだけだった。 小さく伸びをすると「じゃあ、犬男の所に行ってくるね」と伝え、名残惜しそうに病院を後にした。



 少しドキドキしながら神社の向拝所を覗き込むと、淡い光を発しながらヨルと戯れる犬男、クロエの姿があった。 今日は先日のラフなジャージ姿とは異なり、薄手のニットに、ジャケットの上下は色合いの均一が取れ、それなりにお洒落に見える。


 「あ、どう? 実は俺、王族らしくてさ。 それっぽく見えるように奮発した服なんだけど」


 ふんと思いっきり鼻で笑うと獣耳と尻尾が一気に下を向き、しょげた様子が伺えるのが何だか可笑しかった。


 「で、具体的に私は何をすれば? 最初に言っときますけど、お嫁には行きませんからね」


 「分かってる」と頷くと、神妙な表情で向拝所にある階段に腰掛けるように促した。


 「結論から先に言うと、伴侶候補の趣味……とか、特技とかを向こうに知らせておくと、少しばかりこの世界の滞在期間が増えるらしいんだよ。 得意な事だとポイントが高いらしい」


 趣味? プロフィールではなく? 思わず頭を傾げながら、とりあえず自分の得意そうな事を思い浮かべてみる。


 小学生の頃は絵を書くのが好きだったのは覚えているけれど微妙だし。 中学は運動音痴を克服する為に運動部に入れと親に言われて、一番楽そうだからとバトミントンを選んで特に何が変わることもなかったし。 高校に至っては帰宅部だ……。


 絶句しながら頭を抱えていると、先ほどクロエに嫁候補の条件をクリアーしていると言われた事を思い出す。 むしろ今のところ予選落ち敗退なのではないかと思うのだが、何をクリアーしているというのだろう。


 「あのさ、私の何がお嫁さん候補の条件をクリアーしてるの?」問う声は覇気がなく、心なしか震えてしまっているのが自分でも分かる。


 「……」


 クロエは徐にヨルを抱き上げ、「一番は、動物にやさしい所かな?」と呟くと、なあ?と同意を求めるようにヨルに話しかける。


 くそう、手伝ってやらない事もないかな……。 ヨル、お前は帰ったら目いっぱい撫でまわしてやるから覚悟しておけよ。


 気恥ずかしさを隠すように、頭を抱えた格好のまま、今後の対策に頭を悩ませる。

 

 「なあ、ヨルがさ、よく寝る前に面白い話をしてくれた事があるって言ってるんだけど……。 文学少女だったりしない?」


 え……、少し思い当たる節があった。


 「え……と、小さなフィギュアやら、ぬいぐるみやらで即興劇を披露したことがある?」


 ぎゃ!! まさしくヨルしか知りえない情報、こいつぁ本物だああ!!


 終いには即興劇を披露してくれなどというものだから、さらに大騒ぎ。 そのバカ騒ぎが面白くて、いつの間にか、2人とも目に涙を浮かべて笑いあっていた。



 3日目‐


 病院からの帰り道。 近道だからしょうがない。 そう言い訳しながら結局、今日も神社の境内へと向かっていた。 


 向拝所の階段に腰掛けていたクロエが一瞬誰だか分からず困惑する。 トレードマークの犬耳が無い。 聞くと、最近バイトを始め、帽子やウィッグを被る事が多いそうだ。


 まじまじとウィッグを見つめ、上手く隠したものだと関心する一方、いつもの淡い発光が余り感じられず、何よりいつもの覇気がない。


 思わず顔色を伺いながら、無造作に数冊のノートを手渡す。 そのノートには、拙く幼さの残る絵と文字で物語が綴られている。 お手製の絵本だった。 


 所々、成長の見られる高校生らしい丸みを帯びた文字で、訂正や追加の文字が書かれており、最近手直しを加えた事が伺えた。


 クロエは暫く真剣に目を通すと、いつの間にか階段に大人しく腰掛けていた縁に向き直った。


 「これ、いつ頃書いたの?」


 「ん、お祖母ちゃんに見せるのに小学校低学年位の時に書いたのを思い出して……手を加えて持って来てみた」


 「すごい、これ、話すごくよく出来てる。 最後まで仕上げてみようよ、これ! こういうのがほしかった!」そういうとノートを閉じ、興奮気味に感想を語り出した。 


 不覚にもクロエが見せる笑顔に少しドキリとしてしまう。 悪い気はしなかった。 近くにいたヨルを抱き抱えると、火照った顔を隠すようにふかふかなお腹の毛に顔を埋め、そのまま匂いを味わうようにゆっくりと深呼吸をする。


 「ただ、余り時間が無いみたいなんだ」


 告げるクロエの表情は暗い。 いつ異世界へのお迎えが来るか分からない状況だという。 かといって絵まで仕上げるとなると、まだまだ時間が掛かるだろう。 それならば……。


 「……これ、文章だけで仕上げてみていい? そうしたらこの舞台設定とか、もう少し練れると思う。 文章だけとなると、一から書き直しだけど、絵本にするよりは断然早いと思うんだけど……」


 「小説か! いいじゃない! 絵は勿体ないから後で挿絵にしよう! とりあえず目標は決まったな! 改めてよろしく頼むよ、縁ちゃん」


 縁は照れくさそうに下を向きながらも、差し出された手をしっかりと握り返した。 内心、ぬいぐるみで即興劇を見せる事にならずに済んでほっとしたのは内緒だ。



 早速、小説の制作に取り掛かる。 授業中、見舞いに行った病室の机の上、時には睡眠時間を削り、無我夢中で書き続けた。 ……いつの間にか、クロエの為の時間は、自分の為の時間に変わり、クロエに作品を見てもらう事で刺激を受け、今までにないアイデアが浮かぶこともあった。


 放課後すぐに病院へ向かう縁に友人らは、たまにはカラオケに行こうと息抜きを提案してくれた。 だが、この頃には小説を完成させ、お祖母ちゃんに読んで聞かせたいという新たな目標も生まれていた。


 一番最初にお祖母ちゃんに読んでもらおうと絵本を作ったのが切っ掛けで始めた物語作り。 クロエに最終章を披露する前におばあちゃんに読んでもらいたいんだ。


 「……あまり根つめるなよな」何かを察した友人の一人が放課後、声を掛けてくれた。 「ありがとう」と笑顔で返す。 誰にも言えない、あいつへの芽生えた気持ちを、いつかは相談出来る日が来るのだろうかとぼんやりと考えながら。



数日後‐


  最近は食も落ち、寝て過ごすことが多くなっていたお祖母ちゃんが、病院の集中治療室へ移る事になった。 


 容体は落ち着きを取り戻したが、母は務めていたパートを休み、叔母と二人で交代しながら面会終了時間ぎりぎりまで身の回りの世話をすることにしたらしい。


 集中治療室の中に入る許可が出るまで、縁は待合室の椅子に腰掛けていた。 何もしていないのも落ち着かず、結局ノートを開き物語の最後を綴る。


 「で、出来た、出来てしまったけれど……」物語を書き終えると、うろうろと廊下を落ち着きなく彷徨うろつき始めた。 時間がないと言っていたクロエに今すぐにでも見てもらいたいけど、お祖母ちゃんが目を覚ましたら読んで聞かせたい。 ……どうしよう。


 クロエの事を考えていると、ふと右手に柔らかな獣耳の感触がよみがえる。 まるで子猫のような感触の大きな耳。 ……最初から違和感はあったのだ。 あの感触には覚えがあった。


 子猫の頃のヨルだ‐ よくお祖母ちゃんに撫でて貰ってたっけ。


 まさか。 お祖母ちゃんとクロエに何か接点があったりするのか? 近くに待機していた母に、何に気なしに聞いてみる。

 

 「お母さんは、クロエって知ってる? 年は私より少し上位の……」


 「ああ、もしかして黒江くろえ あき君? 覚えてたんだ? ほら、お祖母ちゃんがボランティアに行っていた養護施設の……」


 ゾワリと毛穴が開くのを感じる。 クロエの柔らかな耳の感触とヨルのそれが頭の中でリンクした。 



 神社では、クロエが狼狽ろうばいしていた。 体の光が薄くなり、耳や尻尾が消えかかっているのが分かる。 


 「佐伯のばあさん! いるんだろ?」


 薄っすらとした光は、集まりながら小さな老婆に姿を変える。 その姿は今にも消えそうに薄ボンヤリとして見えた。


 「ありがとうね、あき君。 言った通りだったろう? 縁の好きそうなファンタジーな世界なら乗っかってくれると思ったのよねえ。 私も見させて貰ったよ。 いいお話じゃないか。 あの子のお話がまた見れて心残りはもうないよ」


 薄く目に涙を浮かべ、その光を見つめながら黒江 あきは呟く。


 「何でそうまでしてあの子に話を書かせたかったんだ?」


 光は薄く瞬きながら笑みを浮かべたように見えた。


 「縁の書く物語のファンなだけさね」


 光が消えかけたその時だった。 向拝所近くの松の辺りから、大きな声が響く。


 「アルフレッドは! ゆっくりと手を差し伸べる!」


 縁が声を震わせながら小説の最終章を読み上げる。 ……読み終わる頃になると、光はあきの周りから消え去っていた。


 「お祖母ちゃん」と呟きながら泣き崩れる縁の肩を抱きしめながら、ああ、祖母の姿を見ることが出来たんだなと、それがせめてもの救いに感じられた。 彼女にも、ばあさんと俺のような霊媒体質があるんだろう。 


 暫く呆けていると、縁のスマホが鳴り、2人して体をびくりと震わせる。 電話に出た縁は声を震わせており、あきも覚悟を決めるように瞳をギュッと強く瞑る。


 「お祖母ちゃんが、目……覚ましたって」



 数日後、花束を抱えながら病院へ向かう2人の姿があった。 黒江 あきに獣耳はもう無い。 縁の手には一冊のノートが大切そうに握られている。 これからは、ノンフィクションの恋物語を紡いでいくつもりなのは、まだお互い内緒だ ‐

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