恋の五角形(ペンタゴン)

篠崎 時博

恋の五角形(ペンタゴン)

こいをして恋を失った方が、一度も恋をしなかったよりマシである』————アルフレッド・テニスン(イギリスの詩人)


 ♡

「なぁ、友也ともや

「んー?」

 ある日の昼休み、教室の窓辺まどべで黒板消しをはたいていると、親友の涼馬りょうまが話しかけてきた。

「あのさ」

 手招てまねきしたので黒板消しを一旦いったん置いて涼馬のもとへ行く。

「はいはい、何?」

「お前、学級委員じゃん」

「うん。…え、それが何?」

 涼馬は周囲をちらりと見たあと、耳元でささやいた。

「席替えってさ、どうにかできたり……する?」

 はぁ~とため息をついた。

 

 僕のクラスは二ヶ月に一度席替えをすることになった。その時のくじを作るのは学級委員の仕事である。

 いくら親友の頼みだからってクジに小細工こざいく仕掛しかけるなんて卑劣ひれつなことはしない。僕は不平等は嫌いなのだ。

 

「できないよ。それに席替えは運。いい席になるかは、涼馬の日頃の行い次第しだいってとこだな」

 そう言うとちぇっと涼馬は舌打ちをした。

 

「しかし、なんで急に。席替えは再来月さらいげつだろ?」

「……」

「なんだよ。急にだまって」

「あのさ…」

 彼からゴクンとつばを飲む音が聞こえた。

「さ、沙耶さやと……、話したくて」

「沙耶さん?」


 望月もちづき 沙耶はこのクラスで、いや、この学年で一番かわいいと言われている女子生徒だ。つやのあるきれいな黒髪、白い肌、丸いひとみ、少し厚いくちびる。まるで人形!……とまでは言わないが、とても魅了みりょうする外見がいけんをしている。

 そして彼女が好かれる理由はそれだけではない。言葉遣ことばづかいがきれいなところとか、悪口を言わないところ、周りに流されず自分の意見をきちんと言えるところ、などなど。そんな彼女は男女とも愛される存在そんざいとなっている。

 

「涼馬は沙耶さんのとなりになりたいんだ」

「隣じゃなくても、まぁ近くには…」


「好きなの……?」

「ばっ、アホかっ!聞こえるだろっ!」

 僕の頭を軽くはたきながら涼馬は言った。


 彼女と話がしたいと言っている時点でもうすでにバレているのに…。


 しかし、そんな沙耶さんだからこそ、彼女の恋をめぐる競争相手はものすごく多いのだ。きっと数十人はくだらないだろう。


「今度さ、バスケの大会があるんだ」

 涼馬はバスケのクラブに所属しょぞくしている。ちなみに彼はチームのキャプテンだ。

「クラスの女子も、沙耶も来てくれるみたいなんだ」

「かっこいいところ見せないとだね」

「頑張っていい結果残せたら、きっと運も味方してくれるよな?」

 恋する瞳で言う彼に、僕は純粋じゅんすいさとうらやましさを感じた。

 そんなまっすぐな彼になんだが僕は応援したくなった。

「うん、いい結果になるといいね。大会も席替えも」


 ♡♡

 さて、涼馬が気になっている沙耶さんだが、彼女に好きな人はいるのだろうか、いるとしたら一体どんな人なんだろうか。


 ちなみにみんな大好き沙耶さんは、実は僕の隣の席なのである。

 今は出席番号順に並んでいるから、新学期が始まった時からずっと隣だ。

 涼馬にとって今、僕は心底しんそこ羨ましい存在なんだろう。


 帰りのホームルーム、ちらりと右横にいる沙耶さんを見たとき、彼女は手の中の何かを大事そうに見つめていた。


「それ何?」

 気になったのでそう聞くと、ちょっと驚いた顔をしてから沙耶さんは言った。

「その……」

 開いた手のひらに乗っていたのは、なんてことはない、文房具ぶんぼうぐ屋でよく見る小さめの消しゴムだった。


「消しゴム?沙耶さんの?」

 沙耶さんは首を横にった。

 消しゴムを手に取り、ケースを外すと「波間はま しゅん」と名前が書いてあった。


「あぁ、瞬から借りたんだ」


「前に消しゴム忘れたことがあって、その時に借りたの。でも中々返せなくて…」

 それは分かる。彼は休み時間になるとスッと姿を消すのだ。ちなみにどこに行っているのかは不明。

 彼がだれかと一緒にいる姿を僕はあまり見たことがない。


「それ、代わりに僕が返そうか?」

 学級委員であるからにはプリントを回収したり、クラス内の仕事について相談したり、何かとクラスメイトと話す機会きかいは多い。瞬でも話す機会はあるはず。

「ううん、大丈夫。ありがとう」

 沙耶さんは言った。

 

 まぁ、借りた本人が返せばいいよな…。

 

 数日後、咲耶さんの筆箱から例のあの消しゴムが見えた。

「あれ、その消しゴムまだ返してなかったんだ」

 さりげなく聞いてみると

「うん、まだ」

 と小さな声で言った。

 彼が消しゴムに困ってなければいいけれど。

「あの——」

 と言いかけると

「大丈夫だから」

 普段とは違う少し強めの口調で沙耶さんは言った。

「私が、責任せきにん持ってちゃんと返すから、大丈夫」

 とても真剣しんけんな目でそう言うので、僕は「うん」以外に言えなくなってしまった。


 沙耶さんは消しゴムに目を落とす。それはまるで宝物を見ているかのような目つきだった。


 なんでずっと持っているんだろう。なんで返そうとしないんだろう。


 僕はそこでピンときた。

 もしかして“話すきっかけが欲しい”とか?

 きっと沙耶さんと瞬をつなぐもの。それがこの消しゴムなのだ。

 

 つまり沙耶さんは瞬のことが——。


 涼馬、君はかなわぬこいをしているようだ。


 ♡♡♡

 はぁ、と僕はため息をついた。

 涼馬は沙耶さんが好き。

 そして沙耶さんは瞬のことが気になっている。

 涼馬がバスケで頑張がんばっても、運良く沙耶さんの近くの席になれても、沙耶さんと親しくなっても、その恋がみのる可能性は低い。


 そして沙耶さんが気になる瞬だが、彼のまわりで恋がらみの話が挙がったことはない。というよりも彼は人に関心がないんじゃないかと僕は思っていた。


 そのときまでは。


 それは、ちょうど図書室に朝読書で読む本を借りに行ったときだった。


「ねぇ、その本僕が借りてもいい?」

 めずらしく瞬が声をかけてきた。

「え?あぁ、いいけど…」

 僕は持っていた本を瞬に渡した。

「ありがとう」

 

 その時僕が借りていたのは、とある作家のシリーズものだった。

 中学生の男の子と外国からきた転校生の二人組が学校の難事件なんじけん解決かいけつしていく物語だ。

 クラスメイトでおさななじみでもある未鈴みすずが読んでいて、面白おもしろいよとすすめられてから読んでいた。


 僕は瞬が本を貸してほしいと言ったことよりも、図書室にいることがまず気になった。

 瞬は普段ふだん、僕たちがあまり読まないような、つまりは本屋の店頭に並んでいるような大人が読む小説を読んでいる。だから朝読書の本も図書室では見ないものがほとんどだ。

「珍しいね、瞬がここで借りてるの」

 そう言うと

「……まぁね」

 そっけない返事をして貸出かしだしカウンターの方に行ってしまった。

 

「あらら、行っちゃったね~」

「わっ、びっくりしたー」

 後ろから声をかけてきたのは図書委員のもえだった。ちょうど返却へんきゃくされた本をたなもどすところだったらしい。

「瞬君、最近はよくここに来るんだよね」

「え、そうなの?」

「しかも、あんまり読まなそうなやつ借りるのよ」

「なんで?」

「知らない。かっこつけてるのか分からないけれど、やっぱり大人の小説って読むの難しいんじゃない?」

「はぁ、なるほど…」


 瞬がどんな本を借りているの確認したくなった僕は、萌にたのんで瞬が借りた本の貸出カードを見せてもらった。

 カードの本はさっき渡したシリーズの他に、偉人いじんの伝記シリーズ、人気漫画の小説版、外国小説などがあった。

 人気漫画の小説は未鈴が最近読んでいた本だった。未鈴が好きな漫画だったらしく、小説版は漫画には載っていない番外編ばんがいへんも書かれているのだとか。例の二人組シリーズを勧められた時に、図書室に置いてくれることになったのをうれしそうに話していた。


 彼が借りた本のカードに目を戻す。そこには共通した名前が書いてあった。


 加藤かとう 未鈴

 伝記の本を除き、全てに未鈴の名前が書いてあった。


 まるで未鈴のあとを追うように瞬は本を借りていた。


 瞬が図書室を利用するのは…。


 まさか……ね。


 ♡♡♡♡

 沙耶さんと比べると、未鈴はわりと正反対な方だ。比較的ひかくてき大人しい沙耶さんに対し、未鈴は元気で明るくてよくしゃべるタイプの女子だ。運動が得意でバレーボールのチームに入っている。運動するときに邪魔じゃまだからだと、いつも髪は短くそろえている。


 夕方、先生の仕事の手伝いでおそくなった僕はクラブ活動が終わった未鈴と昇降口しょうこうぐちで偶然会った。


「今帰り?」

「うん、そうだけど」

「じゃあ、友也、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

「ん?」

「帰りながらでもいい?」


 二人で歩きながら話すのは久しぶりだった。家も比較的近いこともあって、低学年くらいまでは一緒に帰ることが多かった。


「話って何?」

「あのさ……、晴人はると君ってどう思う?」

「晴人?いや、どうって言われても……」


 なぜ急に、と思ったけど、そうか、もしかして——、

「もしかして晴人のこと、す——○※◇×△!!」

 言いかけた僕の口を未鈴は無理むりやり手でふさいだ。

「私が聞きたいのは友也にとってどんな感じかって話!」

 キッとにらみながら僕に言った。

 …女子ってこわい。


 水島みずしま 晴人はると

 クラスの中心人物。

 そして感覚で勉強も運動もげる天才。

 ただし、それを自慢じまんしたりすることは決してない。そして必要とあらば、努力もしまないところもある。

 羨ましいが、できたやつなのである。

 さらに顔もととのっており、沙耶さん同様に彼の人気は高い。

 

「いいやつだと思うよ。頭いいしなんでもできるけれど、それをひけからすことはしないし、努力を惜しまない。僕はすごいと思う」

「そうそう、そうなの‼︎やっぱり晴人君っていいやつだよね〜」

 頷きながら未鈴は言った。

 いや、分かっているならなぜ聞いた…。


「ねぇ、ついでに晴人君って好きな人いるのかな」

「好きな人か…。うーん、聞いたことないな」

 彼とこいの話などしたことがない。

「じゃあ、どんな子がタイプ?髪は結んでる方がいいとか、お洒落しゃれな子がいいとか、頭はいい方が好み?」


 そんな質問、もう晴人のことが好きって言ってるようなものだ。


「ありのままでいる子じゃない?」

 僕はそう答えた。別に未鈴のためを思って言ったわけじゃない。

 晴人の好きな人は分からない。でも、きっと人を見かけで判断するようなやつじゃないと、彼の人柄ひとがらでなんとなく分かる。


「そっか…。ありのままね」

「うん」

「このままでいいのね」

「うん」

「ほんとに、ほんとね」

「うん」

「ほんとぉ~?」

「…ごめん。僕もあまり晴人のこと知らないから、やっぱりあてになんないかも…」

「ううん、いいよ。晴人君が男子から見てどんな感じなのかが気になってたから」


 ちょうど分かれ道の十字路に着いた。

「今日はありがと!じゃあね」

 未鈴は手を振って言った。

「うん、じゃあ」


 背を向けて歩き出した未鈴はすぐに立ち止まった。

「ちょっと、待って!」

「ん?」

「今話したこと、絶対、ぜっっっったい、誰にも言わないでね……!」

 未鈴は険しい顔を僕に向けながら言った。

「い、言わない、言わないよ」

 そう言うと未鈴は笑顔になった。

「よかった♪じゃあねー」

 

 沙耶さん同様、人気者の晴人にかれる理由は僕にも分かる。けれどひそかに未鈴を気にしている瞬が気の毒に思ってしまった。


 しかし、まぁ人の恋路こいじなど他人にはどうにもできないのだ。


 ♡♡♡♡♡

「またおれの方が速かったな、涼馬」

「くっそ〜」


 100メートル走の記録日。走り終えた涼馬に勝ちほこった顔で晴人は言った。

 彼ら二人は気づくとなぜかいつも張り合っている。勉強でも。運動でも。


 実際には、涼馬がライバル視しているというよりか、晴人が涼馬をからかっていることが多いように思えるけれど。


「あいつ……、今度のテストではぜってー負けねぇ」

「まぁまぁ」

 更衣室から教室に戻る時、涼馬はずっと晴人についてぶつくさと言っていた。


「ってか、なんであいつなんかがモテるんだ?あのイヤミっぽい感じのどこかモテるんだ?顔か?所詮しょせん顔なのか⁉︎」

「落ち着いて、涼馬。晴人の顔はいいのは確かだけど」

「お前、どっちの味方なんだよ」

 ムスッとした顔で涼馬が言った。

「ごめん、ごめん」

「この間の家庭科の授業だってさ、ちょっと俺ががしたくらいで、“料理教えようかって”、ぜってー馬鹿にしてるよな?」

「涼馬もやればできるって、いちいち気にするなよ」

 

 帰りのホームルームで、涼馬が言っていた国語の小テストの結果が返ってきた。

 またしても晴人に負けたようだ。涼馬を見ると机に顔をしていた。

 

「やっぱ晴人にはかなわないな。涼馬もくやしがるわけだわ」

 放課後、僕は自分のテストの結果を晴人に見せて晴人に言った。

 僕は七十点、晴人は満点だった。

「まぁ、大体いつもこんなもんだよ」

 イヤミなく、さらっと晴人は答えた。


 教科書をランドセルにめながら僕はなんとなく聞いてみた。

「ねぇ、どうして涼馬のこといつもからかうの?涼馬のことをどう思っているの?」


 晴人は、フッと笑ってから言った。

「…涼馬か。涼馬は、あいつはすごいんだ。勉強もバスケもめちゃくちゃ努力しててさ。俺、大抵のことは何となくコツをこつめばできるけど、特別何かに一生懸命になったこと、実は無いんだよね」


「あいつさ、いつも、汗だくになりながらバスケに打ち込んでるし、休みの日も走り込んだりしてさ、見えないところでも練習してるんだ。それでも負ける時は負ける。けど、あいつは絶対にあきらめないんだよ。俺にはきっとできない。俺に無いものをあいつは持ってる」


「え…。あ、そ、そうなんだ…」

 僕はとまどった。思っていたのは違う返答がきてしまった。

 休みの日の走りこみとか初耳なんだけど…。


「えーと、それってつまりうらやましいってこと?」

 普通、人は羨ましいと相手をからかうものだろうか…。


「ふん。まぁ、そうだな。あぁ、あとからかうと、すげーかわ……、いやおもしれーから」


 え、今、何、かわいいって言いかけた??


「あ、やっべ、もうこんな時間か。俺、もう行くわ、じゅくあるし。じゃあな」

「え、あぁ、うん……」

 

 バタバタと走る彼を見送って僕は考えた。

 何かが引っかかる。何かが…。

 晴人は涼馬に何か特別な何かをいだいている、…ようなそんな気がした。


 ♥

 ここ数日で僕はクラスメイトの秘密をいろいろ知ってしまったようだ。

 誰が誰を気にしているのか、僕は持っていたノートに書き出した。一旦いったん頭の中を整理したかったからだ。

 

     涼真

   ↗︎ ↘︎

 晴人     沙耶さん

  ↑ ↓

 未鈴  ← 瞬


「なんだこれ…」


 いびつながらもそこに五角形が成立していた。


「とーもや! 帰ろっ!」

「うっうわあああぁっ‼︎」


 後ろから涼馬が声をかけてきたのであわてて紙をかくした。

「んな、驚くことないだろ。ってか何か書いてたっしょ?見せろよ~」

「なんでもない」

「あ、分かったイラストだろ!友也、昔から描くの好きだしな〜」

「……イラスト、いつか見せるよ」

「マジ?約束だぞ」


 帰りながら僕はノートに書いた五角形を思い出す。


 五角形のことを「ペンタゴン」というのだと教えてくれたのは、化学にくわしいじいちゃんだったな。


 じいちゃん、僕は秘密の五角形を知ってしまったよ。


 ちらりと隣にいる涼馬を見る。

 彼の話す内容は沙耶さんとバスケのことがほとんどだ。


 …言えない。


 言えるわけがない。


 恋の五角形を。


 このクラスの恋事情を。

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恋の五角形(ペンタゴン) 篠崎 時博 @shinozaki21

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