第13話 繰り返す躁状態と鬱状態、でも「うつ病」
当時の私は、お金がなかった。
でも、引っ越したかった。
敷金や礼金までは出せないけど、荷物を運んだりするくらいのお金は辛うじてある。
そこで、私は寮がある病院に職場を移った。
寮なら、敷金や礼金は払わなくていい。
少しの荷物と、身体ひとつ、知り合いのいない、縁もゆかりもない、「思い出」だけが残る土地で、私はリスタートを切った。
次の職場は、手術室配属。
もともと、私がやってみたかった分野だ。
理不尽に「怒る」とか退職届を突きつけられることもなく、ちゃんと「叱る」ことをしてもらったし、看護師として育ててもらえた気がする。
が、しかし、手術室は、急な手術も入るし残業も多い。シビアな場面も多い。ピリピリすることも多くて、メンタル的には以前とは違った形ですり減っていた気がする。
それでも、楽しいとか、やりがいがあるから一生懸命働いていた。
そのうちに彼氏もできた。
一見すれば、順風満帆にも見える。
しかし、入職して1年経たないくらいから、だんだんと悪魔が忍び寄ってきた。
鬱状態がだんだんと顔を出してきたのだ。
夜、なかなか眠れなくなった。
もともとの聴覚過敏がひどくなり、時計の音や隣の些細な音、外の音、いろんな音が気になるようになった。
耳栓をして、イヤーマフをして寝るようになった。
私は、職場の近くの心療内科を受診した。
生い立ちや今までの出来事をいろいろと聞かれる。
私は、被虐待児だ。
家庭環境もかなり複雑。
そういったところで、トラウマというか、人格形成において、何かしらの問題はある。
例えば、自傷行為。
自分を大切にするということが、何より苦手な私だ。
つらくなったり、私なんかと思えば、息をするように自分を傷付けられる。
その時は満足。
後になって後悔。
そんな時間を過ごしてきた。
心療内科では、「うつ病」と診断が付き、抗うつ剤や睡眠薬が出された。
自傷行為という代償と、出された薬を飲みつつ、何とか日々の仕事をこなしていた。
この頃、もう私の自傷行為は、リストカットを卒業していた。
もう切るところがなくなったから。
ODや、瀉血をするようになった。
瀉血は、自分の血を抜くこと。
仕事柄、いとも簡単だ。
ODは、風邪薬や咳止めが主だった。
いわゆる「ブロン遊び」も嗜んだ。
記憶をなくしたまま仕事をして、仕事が終わった頃に意識がはっきりすることもあった。
酒で薬を煽り、血を抜く。
そして、意識をなくす。
休みの前日は、ほぼこのルーチンだったと思う。
手術室に配属になって2年半。
ついにその時が来てしまった。
瀉血によって極度の貧血になっていた私。
寮から職場までの1kmすらも、しんどくて一仕事になっていた。
極度の貧血で身体に血液が回らなくなり、激しい頭痛で職場で倒れ込んでしまった。
動悸もひどいと思っていた。
思っていたより、私の身体は限界だったようだ。
すぐに入院。
貧血を診るための私のヘモグロビンの値は、5.3だった。
ちなみに、基準値は12.0くらいだ。
私は、一般の半分くらいしか血液が回ってない状態で手術室の激務をこなしていたわけだ。
鉄剤を点滴する。
輸血をする。
検査や売店に行くときは車椅子に乗せられた。
外出も、倒れるからと禁止された。
貧血によって、私の心臓はそれくらい危険な状態に晒されていた。
私が瀉血をしていた頻度は、週1〜2くらいで献血をするくらいの頻度と量だ。
そう考えると、貧血が急速に進むのもよくわかる。
2〜3週間入院して、1ヶ月の自宅療養。
鉄剤や輸血のおかげで、体調はだいぶ良くなった。
そして、そんなこんなで鬱状態も抜け出した。
しかし、入院や休職でお金に関する焦りが出てきた。
傷病手当金といっても、給料の満額が出るわけではない。貯金を切り崩す生活。
そんな中で、調子もいいし、ということで「夜の世界」でバイトを始めた。
デイサービスでも週1で働くようになった。
つまるところ、週6〜7日働いていた。
おそらく、今考えれば躁状態になっていたのかもしれない。
お金に困って、とりあえず働かなきゃ、あれやこれやと選んだのがそれらだった。
仕事が終わって、夜の蝶になる。
また仕事に行く。
休みの日にはデイサービスでバイトをする。
そんな生活を、数ヶ月送った。
たくさん働く自分を、誇らしいとすら思っていた。
私はすごい、頑張れる人間だ、社会貢献している、そんな風に思っていた。
しかし、それもいわゆる「躁状態」から来るものだったのだろうが、当初は「頑張る自分」が「普通の自分」だった。
頑張れない時の自分は鬱状態。
私は、当時は躁状態と鬱状態を繰り返しているとは思っておらず、躁状態がいつもの自分、鬱状態になれば調子が悪くなったと思っていた。
そして、それに応じて主治医も薬を変えていた。
月に1度の通院。
そして、調子のいい躁状態のことはだいたい話には出ない。
鬱状態で困っている時の話ばかりになる。
なので、「うつ病」の病状が良くなったり悪くなったり、ということで診断はずっと変わらないままだった。
復職して数ヶ月は調子良く働いていた。
数ヶ月経ち、また瀉血をするようになった。
オマエは懲りてないのかー!と当時の自分に言いたいが、当時の私は必死だったのだろう。
とうとうつらくなって、夜のバイトは辞めた。
瀉血をするようになり、まただんだんと貧血が進んできた。
そのうちに、デイサービスのバイトも辞めてしまった。
二度あることは三度ある、と言われるが、一度あることは二度ある、とは言われない。
きっとそれは、一度目で懲りて反省をして同じ過ちを繰り返さない、という自戒の念が込められているのだと私は思っている。
しかし、私にはそれは通用しなかった。
また、悪魔が私を攻撃してきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます