第7話 双極性障害のわたし〜学生時代

私は、小学生〜中学生あたりの成績はピカイチとは言わないまでも、だいぶ上の方ではあったと思う。


例えばテストで96点取ったとしたら、多くの親は子どもを褒めてくれるだろう。

「96点!頑張ったね!」という具合に。


しかし、私の母は違った。

「96点?4点も間違えたの?ダメだね」という具合だ。

100点を取って当たり前。

それ以外は、しくじったたった数点を責められる。


小学生の時も、中学生の時も、成績はかなり上の方だったのに、母が褒めてくれた記憶はない。

いつも、何かしらにケチを付けて、褒めてなどくれなかった。

それでも、私は母に褒められたい、認められたい一心で、勉学に励んだ。

それでも、褒められなかった。


たったの数点を責められるのが日常化してしまうと、だんだんと完璧思考になっていく。

私もある意味「洗脳」されて、0か100か、といった極端な思考回路が形成されてしまった。


高校生になると、周りは受験を勝ち抜いた猛者たちだ。そして、この頃になると、勉強をすることに対するモチベーションであったり、目的であったりを見失いつつあった。

自ずと成績は下がっていく。


夢や目標がある人間は強い。そこに向かって突っ走っていく。

私はどうだろうか。

小さい頃は罵詈雑言を浴びせられ、捨てられそうになり、自分を傷付けてまで「生きること」にしがみついた。

マズローでいうところの、最下位の欲求を満たすだけでも精一杯の私が、夢や目標なんて、持てたはずもない。

そして、高校生になって、行動を制限されるようになった。

門限は18時。

門限までに帰っても、母が先に家にいたら「いつ、どこで、誰と」等々、5W1Hの尋問が待っている。

ある意味、過保護、とも言うのかもしれない。


私は、この尋問に耐えかねて、次第に嘘を付くようになり、嘘を嘘で塗り固めるようになった。


私の心の拠り所のようになっていたのは、「出会い系サイト」だった。

サイトで知り合った人と、どこかに遊びに行ったりして、気を紛らわす。

母に対して抱いている、「愛情」とか「寂しさ」とかをサイトを介して昇華させていたように思う。


困り事があった時、母ではなくサイトで知り合ったお兄さんやおじさんに相談したような気がする。


嘘に嘘を塗り固める生活が、当時の私を支えていたと言っても過言ではない。


まぁそんな生活をしていたので、夢も希望もなく受験生になった。

担任との面談でも、「夢とか、希望とか、別にないです」とのたまった。

担任は、そんな私に「お前、意外と面白いからお笑いとかいけるんじゃないか?まぁあとは手に職をって言うなら、医療系とかだな。」と言った。


こいつ、医療系とお笑いを天秤にかけてやがる…………!

と、ある意味では怒りにも似た感情が沸々と沸いてきた。

担任に対する反抗心でもあるのか、私は医療系を選んだ。

何でお笑いやねん。今でも疑問である。


ロクでもない受験生活を送り、ぱっとしない大学に進学した。

国公立で、教育ローンだの奨学金だのを借りまくって進学した。

10代にして、借金を抱えることとなった。


進学し、一人暮らし。実家から解放された。

しかしながら楽しくもない大学生活。

医療系だって、別に望んで選んだわけじゃない。

周りは志のある奴らばかり。

どうせ、自分なんか……と、遅れてきた厨二病のようになっていた。

生活費を稼がないといけないので、バイトはきちんとしていたが、授業についてはサッパリだった。


「こんなところ、さっさと辞めてやらぁ」

なんて思っていたと思う。心は荒んで、病んでいた。アパートのカーテンも閉めたまま。


そして、事件は大学2年の19歳の時に起こるのである。


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