第6話 双極性障害のわたし〜子ども時代
私は、とある海沿いの街で生まれた。
母と父は、いわゆる「でき婚」だった。
私さえできなければ、と母にはよく嫌味を言われたものだ。
私がほぎゃあと産まれた時には、父はパチンコ屋にいた。
それくらいの程度には、望まれない子どもだった。
3歳の時に、両親は離婚した。
私は母に引き取られた。
ちなみに、私には姉が2人いる。しかし、父親が私だけ違う。いわゆる、異父姉というやつだ。
母は、姉2人の育児を放棄したので、姉のことは祖父母が養子縁組をして育てた。
私のことは、気が向いたのか母が育てた。
それによって、私と姉2人との間に軋轢が生じることになる。
姉2人は祖父母が育てたのに、私のことは母が育てている。
そのことが気に入らない姉2人にも、チクリチクリと嫌味を言われたものだ。
母は、私のことを女手一つで育てた。
と言っては聞こえが良い。
私は、母の機嫌が悪い時には、
「お前なんか産まなきゃよかった」
「堕ろしたかったのに育ち過ぎて堕ろせなかった」
「お前なんか死ねばいいんだ」
等々、あらゆる罵詈雑言を浴びせられた。
また、夜には寝返りを打てば「うるさい」と怒鳴られ、喘息の発作が出た時には薬をくれるどころかうるさいと怒られ、ぬいぐるみと2人、隅っこに立たされていた。
そのうちに、私は母のいびきが聞こえるまでじっと耳を澄ませて、母が寝入ったところで眠りに就くようになった。
とにかく、眠りの浅い、物音に敏感な子どもだった。
「明日は怒られませんように」とお祈りをしていた。
罵詈雑言を浴びながら生活していたある日、声が出なくなった。今思えば、ストレスか。
母は、私のことを
「口なし」
「耳つんぼ」
と、差別用語で呼んだ。
そんなある日、母と姉がどうやら私のことでケンカをしていた。
私のことをどこかへ捨てようとしているようだった。
恐怖と焦燥感に駆られた私は、子どもながらに必死に考えあぐねて、1つの答えに辿り着いた。
洗面所に行き、母の使っている顔用のカミソリを持ち出した。
母と姉の前で、手の甲をザクザクに切り刻んだ。
「生まれてきてすいません、捨てないでください」とお願いした。
5歳の時だった。
滴り落ちる血と涙、呆気にとられた母と姉。
私は、自分を傷付けることで、関心がそっちに向くのではないか、もしくは母と姉が喜んでくれるんじゃないかという答えに辿り着いた。
結果的に母と姉はドン引きして、私は捨てられずに済んだ。
消えない傷が、5歳にしてできてしまった。
まぁそれでも、どこぞの山に捨てられるよりはマシだ。
母は、「お前なんか鉄格子の付いたキチガイ病院にブチ込んでやる」と私を罵った。
そんな、子ども時代だった。
私の記憶にある「わたし」はいつも下を向いて、膝を抱えている。
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