虹の端まで行きたくて

浅川瀬流

虹の端まで行きたくて

「はーい、今から夏休みの自由研究について説明しますよー」


 お昼休みが終わって午後の授業が始まるまでの間は、ホームルームとよばれている。二十分という短い時間の中で、先生や各委員会からのお知らせ、ときにはレクリエーションをするのだ。

 そんなホームルームの時間、広子ひろこ先生のはきはきとした声が三年一組の教室に響いた。対照的に、あちこちから不満の声があがる。


「まだ六月じゃん」

「宿題やだー」

「めんどくさーい」


「はいはい、静かに。早めにお知らせしておけば、入念に調べものができるでしょ」


 広子先生はそう言って、どんどん説明を始める。納得のいかないやつもいるみたいだけど、宿題の話なのでみんなしかたなく耳をかたむけた。


「今年の自由研究は、グループでやってもらおうと思います。二人以上なら誰と組んでもオッケー。違うクラスの子とやるも良し、別の学年の子とやるも良し。仲間と協力して調べたり実験したりして、結果を模造紙にまとめてください。その名の通り、どんなことをテーマにしても良いですから、楽しんでおこなってくださいね」


 自由研究の説明が書かれたプリントが前の席から回ってきた。オレも自分の分を一枚取って、後ろの席に回す。プリントをながめていると、隣の席のりんが声をかけてきた。

「ねぇねぇ、峻也しゅんやは何調べる?」


 周りのみんなも、何を研究するかと盛りあがっている。

「うーん、夏休みになってから考える。興味のあることも特にないしなー」

「えぇー、つまんなーい」


 去年は父さんに手伝ってもらって、万華鏡まんげきょうを作った。あれくらいの大きさのものなら時間もかからずできるし、今年も似たような感じにするか。

 そういえば凛は、段ボールでデカい本棚を作っていた。わざわざオレの家まで自慢しに来たのを覚えている。


 ◇


 ――五限、六限と授業をいつも通り終え、帰宅する。手洗いうがいを済ませてリビングに行くと、母さんは韓国ドラマに集中していた。


「ただいまー」

 母さんはオレに気づき、一時停止ボタンを押す。

「おかえりー、峻也。帰ってきて早々で悪いんだけど、おつかい頼んでも良い?」

 母さんはそう言って食卓の上におかれたエコバックとメモ用紙を指さした。


 ドラマ見てる暇あるなら自分で行けよ……とも思ったが、母さんに反抗したところで勝負は目に見えている。オレがいくら文句を言っても、ド正論で返されるんだ。


「えー、今日のおかずにもよる」

 ぶっちゃけ何がおかずでもおつかいは行くが、ちょっとだけ抵抗してみる。

「今日はなんと肉じゃがです!」

 エッヘンという効果音がつきそうなポーズで母さんは宣言した。


 に、肉じゃが!? よし、喜んでおつかいを頼まれよう。


 友達は、好きな料理といったらカレーやらハンバーグやら定番料理を口にするけど、オレは母さんの肉じゃがが大好きだ。これがお袋の味、というやつだろう。


 そんなわけで、オレは近所の商店街に足を運んだ。母さんから受け取ったメモを頼りに、材料を買っていく。八百屋のおじちゃんは「おつかいエラいな」と、果物をサービスしてくれた。

 だけど気分よく帰っている途中、ポツポツと雨が降ってきてしまった。雨粒が道路に次々と模様を描いていく。天気予報は晴れだったのに、急に降ってくるなよ。食材がぬれたら困る。


 オレはあわてて近くの公園に寄り、雨宿りできそうな土管にかけこんだ。


「「うわ!!!」」

 いってぇ。土管に入るなり誰かとぶつかった。

「いたた……って峻也じゃん」

 正体は凛だった。頭をさすりながら「雨宿り?」と聞いてくる。


 風もだいぶ強くなってきて、雨が土管の中まで侵入してきた。オレたちはなるべく真ん中に座り、身を小さくする。

「オレは買い物の帰り。傘持ってなくてさ」

「ふーん。あ、わたしはね、妹をピアノ教室に送ってきたんだー。どうしようって思ってたら、ちょうどいい場所を見つけたの」

 にひひ、と笑う凛の髪は雨でぬれていた。オレはポケットから使ってないハンカチを取り出し、凛に渡す。学校には手をかわかす機械があるから使い道はないのに、母さんが持ち歩けとうるさいのだ。

 まさかこんなところで役立つとは。

「女子力高いねぇ! ありがと~」


 凛は家も隣で家族ぐるみで仲が良い。夏休みも一緒に旅行に行くぐらいだ。一緒にいるところをクラスの奴に見られるとよくからかわれていたが、お互い特に気にする性格ではなくスルーしていたところ、そういうこともなくなった。


「峻也の家、今日のご飯何?」

 凛は髪をふき終え、俺の買い物袋をのぞきこむ。

「肉じゃが」

「おお~! 峻也の大好物じゃん!」


 そんな会話をしていると、どうやら雨が上がったみたいだ。外が明るくなってきた。凛は先に土管から出ると、んーと大きく伸びをする。オレもまねして両手をあげた。


 ふと、空を見あげる。


 虹だ。ちゃんと端から端まであるアーチ型。


「ねぇ、虹出てるよ!」

 凛はその場でぴょんぴょんと飛び跳ね、大はしゃぎ。歩いていた人たちもスマホをかまえて撮影している。

 虹なんて久しぶりに見た気がするな。よく、虹のふもとには宝物が眠っていると言われるけど、実際はどうなっているんだろう。


「虹の端って、行けんのかな」


 無意識につぶやいたオレの独り言を、凛はしっかり聞いていたようだ。

「いいじゃんそれ! 自由研究それにしようよ!」

 大きな目をさらに大きくしてオレを見る。

「お、おう」

 凛の勢いに押されるまま、オレは返事をしてしまった。


 そうしてオレたちは「虹の端に行き隊」を結成したのだった。


 ◇


 だけど、全然雨が降らない。それどころか雲一つない青空が広がり、真夏並みの気温をたたき出している。凛は学校に来るたび「梅雨なのに、なんで雨降らないのー!」となげいた。

「じゃあ、てるてる坊主作るか? 逆さにつるすと雨降るらしいぞ」

 そう提案してみると、凛は目をキラキラと輝かせた。

「峻也すごい! 天才!」

 授業中にも作っていたら、広子先生にしっかり没収されたけどな。


 てるてる坊主の効果があったのかはわからないが、翌日は朝から雨が降った。オレたちは雨があがるのを今か今かと待ちわび、下校時刻になるころには雨があがり虹が出ていた。


「凛! 早く!」

 オレは凛の手を引き、虹の見える方へ全力疾走した。けど、走っている最中に虹は見えなくなってしまう。もっと早く行かないとダメか……。

「ご、ごめんね。わたしが足遅いから……」

 凛は残念そうにつぶやく。

「いや、大丈夫。次は自転車で行こう」

「たしかに! 天才!」

 さっきの落ち込んだ表情はどこへやら。凛はあっという間に笑顔になった。


 ということで、二回目は自転車でトライ。けど、結局何回やってもたどり着けなかった。それどころか、虹に近づいている感じもしない。一体どうしたら行けるんだろう。


 あっという間に梅雨も終わり、夏休みに入った。雨の日も少なく、降ったとしてもいつも虹が出るわけじゃないから、ヒマな毎日を送る。


 ある日、凛の家で自由研究について模造紙にまとめていると、いとこの将生まさきくんが遊びに来た。将生くんは五歳年上で小さい頃はよく遊んでもらっていたけど、最近は部活が忙しいらしくて、なかなか会うタイミングがなかった。

 お菓子を手にしながら将生くんはオレの横によいしょと座る。


「自由研究か~! 二人は何調べてたの?」

「虹の端に行けるか実験してるんだよ」

 オレがそう言うと、将生くんはちょっと困った顔をした。

「そっか。……頑張ってる二人に水を差すのは良くないかもしれないけど、虹の端には行けないと思うよ」

「「え! なんで?」」

 将生くんの発言に、オレたちは思わず前のめりになる。


「虹って太陽の逆側に出来るんだよ。太陽を背にして立った時に、光が屈折くっせつや反射すると……って、難しいかな。小三じゃあそろそろ授業で習うかもしれないね」

「……そっか」

「……行けないのか」


 三人の間に沈黙が広がる。将生くんはなにやら腕を組んでうーんとうなっていたが、少しすると「そうだ!」と手を叩き、立ちあがった。

「端に行くことはできないけど、近くまで行くことはできるよ」

 将生くんはオレたちを庭に連れ出し、ホースを持ってきた。ホースから水がアーチ状に飛び出す。将生くんは一人でブツブツ言いながら、あっちを向いたりこっちを向いたりしている。

「見えた! 二人とも来て来て」


 オレと凛は顔を見合わせ、将生くんのそばへ寄った。


「「……虹だ!」」


 水が雨粒の代わりとなり、小さな虹を作っている。


「ね、雨上がりの虹より近くで見れたでしょ」

 ドヤ顔をしている将生くんを見て、オレたちは笑ってしまった。


 ◇


 ――ガタッ。電車が大きくゆれ、俺は目を覚ました。すぐさまよだれをふく。

「……うわ、思いっきり寝てたわ」


 今日は午前も午後も面接で疲れたんだろう、きっと。それに午後の企業は圧迫面接ぎみだったし。

 それにしても、懐かしい夢見てたな……。

 忘れもしない小三の夏休み。凛と二人で虹を目指して走り回った。あれからもう十三年もたったのか。


「次は〇〇駅。お出口は右側です」


 最寄り駅で降り、改札を出ると外は雨が降っていた。誕生日プレゼントでもらった折り畳み傘を広げ、雑踏の中を歩き出す。


「ただいまー」

 玄関には黒いパンプスがある。それも雨でぬれていた。

「おかえりー、面接どうだった?」

 凛は企業パンフレットをテーブルに広げていた。家を出る前のきちっと整えられた髪はおろされ、ラフな部屋着姿だ。


「午前はちゃんと話せたと思うけど、午後は圧迫っぽかった。凛は?」

「グループ面接だったんだけどさー、前の子が同じようなこと答えるから、すごくおどおどしちゃったよ」

 凛はてへっと舌を出しておどける。

 俺も部屋着に着替え、向かいの席に座った。着替えている間に凛が用意してくれたコーヒーを一口飲む。


「そういえば、電車の中で夢見たさ。虹の自由研究したときの」

「えー懐かしい! 私、今もあの模造紙、実家に残ってるよ」

「俺も。なかなか捨てられないよな」

 夏休み明けに自由研究の発表会があったが、俺たちの発表は大好評だった。将生くんに虹の仕組みを教えてもらったあと、図書館に行ってちゃんと調べ、検証結果をまとめた。広子先生からも、調べるだけじゃなく実践したことを高く評価してもらった。


「小学生のときってさ、無敵! って感じだったもんね。なんでも出来る気がしてた」

 そう言って凛はコーヒーに視線を落とす。凛も俺もまだ内定が一つもない。周りのやつはどんどん内定をもらい、焦りやストレスがたまる毎日だ。


 でも今日夢を見て、昔の自分に元気をもらった気がする。


「まあな。でも今からだって遅くない。やろうっていう気持ちがあの頃より弱いだけで、意外とできたりするもんだよ」

「……なんかかっこいいこと言うじゃん。天才」

 凛は口角を上げてニヤリと笑う。


 タイミング良く、窓から陽が差しこんできた。雨があがったみたいだ。

 二人でベランダに出る。そこには端から端まであるキレイなアーチ型の虹が出ていた。俺たちは顔を見合わせ、どちらからともなく手をにぎる。


「行くか!」「行こう!」と声がそろった。


 つないだ手はあの頃より大きい。だけど俺たちは、あの頃のように全力で走った。

 虹の端に向かって。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

虹の端まで行きたくて 浅川瀬流 @seru514

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ