第11話:宇宙の日2

 数十分ほどの飛行の後、宇宙船は宇宙ホテルにドッキングした。まだ理解できていない。どうやら私は今、宇宙にいる。低軌道400kmの高度を、秒速7.8kmで飛んでいる。


 宇宙ホテルは、直径15mの膨張式モジュールが7つ結合した宇宙ステーションだ。膨張式モジュールはさながら白い紙風船のような見た目をしている。中心となるモジュールには水や酸素、物資が入っているモジュールで、そこから上下左右前後についている6つのモジュールがそれぞれホテルの1室になっている。この宇宙ホテルは地球の広い範囲を見れるように――特にオーロラが見れるように、かなり傾斜角が高い軌道を回っている。運用は無人だ。


 ハッチが開いて中に入ると、イメージしていた宇宙ステーションとはまったく違う。ヨットクルーザーのような、シンプルながらも高級感あるインテリアだった。宇宙酔い対策だろうか、明確に上下がある設計だった。そして、大きな窓に一面の地球が見えている。


 地球。私たちは自然と窓に吸い寄せられた。地球が見える。地球だ。私たちの惑星だ。あれが地球なのか。すごい。という感覚しかない。表現ができない。いくらか時間がすぎ、ふとミライを見ると同じように言葉を失っていた。それからもしばらく、2人で食い入るように地球を眺めた。海を。砂漠を。都市を。雲を。氷河を。昼も夜も90分で過ぎ去っていく。たくさんの人工衛星も見える。手が届きそうなところを通信衛星が飛んでいく。それから、夜に入った時に宇宙を見た。このホテルの一室は常に地球のほうを向いているので宇宙はあまり見えないが、端の方に星が見える。天の川も、あまりに見えすぎてむしろリアルではない感じすらする。表現できない。


「すごい…」

「うん…」

 

 2人とも語彙を失い、それしか言えない。すこし落ち着いて、喉が渇いていることに気づき、とりあえずボトルの水を飲む。無重力の慣例を思い出し、水をボトルから押し出して、浮かんでいる水を食べてみた。小学生のときから何度も動画で見たことを実際にやっている。まさか自分が宇宙に来るなんて。


 それからまた2人で窓にはりついて地球をながめた。だんだん会話ができるようになってきた。「アフリカ大陸だ」「サハラ砂漠ね。すごい」「船。船も見える」「地中海も見えてきたわ!」「イタリアって本当に靴の形してるんだ…あれはトルコかな?」


 とつぜんミライが黙ったので、見ると何か辛そうにしている


 「ミライ?大丈夫?体調悪い!?」


 私はちょっと焦る。無重力になると三半規管がおかしくなるので、宇宙酔いに悩まされるという知識はあった。無重力で嘔吐すると溺死するかもしれないということも。しかし、ミライが黙った理由はそうではなかった。


「私の故郷が見えた――もう砂漠になってた。でも隣の国は緑があった。宇宙からでも国境が見えるというのは本当なのね」


 宇宙から国境は見えないという説と、国境が見えるという説があることを思い出す。国境という線は見えないという意見と、植生や建造物によって明確に境界が見えるという意見だ。ある意味では両方とも本当なのだろう。


「…私の故郷は、ある独裁国の国境近くの小さな村だったの」

 

 ミライは黒海のあたりを目で追いながら話し始めた。


 「低軌道コンステレーションが構築されたとき、そんなに影響はなかった。私の村にも導入されたわ。学校とかにね」


 独裁者は一般的に、国民が自由な情報にアクセスすることを嫌う。そして当時の低軌道ブロードバンド衛星コンステレーションは、衛星間リンクはそんなに活発ではなかった。つまり、ユーザのパケットは低軌道衛星に届くが、それは衛星から反射され、その国内にある地上ゲートウェイに降ろされる。つまり衛星を使っていても通信は国内で完結するから、すべての通信を検閲しやすくなり、監視・情報操作とはむしろ相性がよかった。どこの国でも積極的に導入され、貧しい国でも学校や公共設備にネットワークが提供されるようになり、生活レベルが向上したと聞いたことがある。


「そして隣国は自由主義国だった。IT系に力をいれて急成長している国で、関係が悪いわけではないから、国境といってもただの裏山という感じだったわ」

「国境のむこうにはコンピュータのリサイクルセンターがあってね。私は毎日こっそり国境を越えて、ジャンクを拾ってパソコンを直すという遊びをしていた」


 それはいつのことかと聞くと、しばらく悩んだあと「5歳くらいかしら?」と言う。ジャンクPCを組み立てる幼稚園児。やっぱりこの人はなんかおかしい。


「でも、6Gのモバイルダイレクト衛星があがってから、世界は変わった」


 私たちの前を巨大な通信衛星が通り過ぎていく。


 それまでの低軌道衛星コンステレーションは、地上側にも数十センチくらいのフェイズドアレイ・アンテナを備えたユーザターミナルを置いておく必要があった。しかしユーザが増えるにつれて、より高速に、より大人数にと進化していき、システムはどんどん肥大化した。それにあわせてロケットも大型化・低コスト化がすすんでいったから、ユーザターミナルなく、衛星からモバイルと直接通信できるようになるまでそんなに時間はかからなかった。


 しかし当時のモバイルは、衛星通信で使っている周波数よりかなり低い周波数を使っていた。つまり良質な通信をするには、衛星のアンテナを大きくせざるを得ない。過渡期には直径1kmにもなるアンテナを備えた低軌道衛星が上げられたこともあった。現在のモバイルは衛星通信をサポートするように高い周波数のシステムが内包されているし、低い周波数の電波を照射せざるをえない場合は複数の衛星が連携してビームを形成しているので、むしろ小型化されている。


 しかし、技術的に可能になったといっても、電波を照射してサービスをするにはその国の許可が必要だ。そして独裁国ではモバイルダイレクト衛星のサービスを認めることはなかった。


「6Gのコアシステムはメガクラウドでしか動作しない。というかメガクラウド業者くらいしか6Gシステムを作れなくなってしまった。そして西側先進国の企業であるメガクラウドは、独裁国にリージョンを置けなかった――。つまり、独裁者にとっては6G通信を許すと検閲ができなくなる危険性があった」


「でも、隣の国でサービスをしていれば、国境付近ではどうしても電波が漏れるのよ。電波漏洩は本来許されないことだけど、国際通信連合も西側国家のほうが強いから、それは黙認されたんでしょうね。もちろん、独裁国は技術レベルが低いから気づいてなかっただろうし、隣国もレピータとかWi-Fiをわざと国境付近に置いて自由な通信をできるようにしていたと思う。だから国境に近い私たちはほとんど自由に通信できるようになってしまった」


「子供だからだったのかもしれない。私はそれがいいことだと思って、親や村の人たちに修理したモバイルをあげたの。自由な通信ができるモバイルを。でもそれが間違いだった」


「村の人々は自由な情報に触れたことがなかった。先進国の人たちがいかに裕福な暮らしをしているか知らなかったし、自由な世界には悪意がある嘘がたくさん書かれているということも知らなかった。」


「結果として…村は陰謀論の集団のようになった。それが隣の村に広がり、さらに隣の村に広がり、反政府活動が大きくなっていった。でも独裁国家よ。ある日、政府軍が送り込まれて1夜にしてほとんど殺されたわ。父も。母も。」


 歴史の授業で習ったことがある。西アジアの一国の独裁政府が国民を虐殺し、その動画が世界に公開されたことがきっかけになって、世界中の独裁国で革命が起きた。なぜその動画自体を見ることができたのか不思議だったが、結局は世界中の情報統制や検閲システムは崩壊していたということらしい。


「私はそのすべてを録画してネットに流した」

「じゃあ…ミライ。あれはあなたが」

「そう。わたしは一度世界を壊したことがある」


 ずっと一緒にいた人が、教科書に載っているような大事件を起こした原因をつくったと知って、それなりに衝撃を受けた。


「そのあと、政権は1か月もたたないうちに転覆したわ。そうしてできた新しい政権は、自由主義らしくなり、自由な通信を受け入れた。それでまっとうな国になっていたなら、私はここにいなかったかもしれない。でも、さらに多くの人々が先進国の暮らしを画面越しに見ることができるようになった。想像もつかないような裕福さと、それをだれでも享受できる世界があるということを」


「皮肉なことに、革命が起きた国のほとんどは独裁時代より貧しくなった。わずかな収入は先進国に握られたインフラとITサービスに支払われる。国全体がネット中毒になったような感じね」


「何をすればよかったかなんてわからない。でも、こんないびつな情報システムがなければよかったと思った。だから世界を壊したいと思った。そしてあなたに出逢った」


「でも一度、宇宙に来て判断したかったの。宇宙から私の生まれた場所を見るとどうなのか、衛星を見るとどうなのか。本当にこれを壊すべきなのか」


「たぶん、私たちがやろうとしていることは正しくない。やってもなにもいいことは起きないし、なにも解決しない。通信も、測位サービスも使えなくなる。直接的には殺さないけど、たぶん数百万の人が死ぬ。数千万の人が路頭に迷う」


「それでもあなたは世界を壊す?」


 ミライは地球を見ながら私に問いかけた。


 私も地球を見ると、漆黒の地表の上にオーロラが輝いていた。それはあまりにも美しく、星空さえかすむようだった。私はしばらく何も言えず、宇宙が作りだすその現象に見とれていた。


 そしてまた、太陽の光が差してくる。ミライを見ると、まっすぐとこちらを見つめていた。無重力に浮いたプラチナブロンドが輝く様は、まるで後光が差しているように見えた。


 きっと私たちはいま、私たちが心の底から壊したいと願っている数十万の星のひとつになっているのだろう。


 私は決心した。というよりも、なにも変わらなかった。


「やるよ。あなたと一緒に。そのためにここにいるから」


 私はミライにキスをした。


 この世界を壊すために。

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