第5話:休暇の日
ミライにつくってもらったソフトウェアを組み込み、シミュレーションのイテレーションを回す。これもクラウドは使うのは危険なので、地下にあるオンプレミスのサーバ群で計算するしかない。実行を開始すると、計算完了までに約28時間と出た。クラウドの無尽蔵なリソースを札束で殴れば数秒で終わるだろうけど…それをミライに伝えると目が輝きだした。
「つまり、ヒナは1日休みってことよね!?」
無職のヒモの身なので年中休みでは、とも思ったが、悲しいのでやめておいた。そうだ。休暇だ。胸を張ろう。
どれだけ効率よく開発しようと心がけていても、作業が中断してしまうことはある。スペックシートだけではわからない点を確認するべく実物を発注したり、その解析を依頼したり、ファブに特注品対応が可能かを確認したり。ほとんどは平行して進められる別の作業があるが、その情報がわかるまでほかの作業ができないこともある。
そのようにして時間ができたとき、ミライは私を旅行へつれて行く。彼女いわく「あなたは気分転換というものを知らない」「コンビニでアイスを買うくらいで気分転換した気になるタイプ」「無理やりにでも気分転換しないと頭がおかしいブログ記事とか書きそう」ということだ。わりと当たっているところがむかつく。
カリブ海、中央アフリカ、北海道。ミライはいろいろな所へつれていってくれた。私ひとりでは絶対に行かなかっただろうし、そもそもファーストクラスや高級ホテルなんて一生縁がなかっただろう。そしてなじみの”ゼロG”マッサージチェアは北海道の温泉に行ったときのものだ。ミライの福利厚生は非情に手厚い。
でも今回は28時間しかない。私はベッドでごろごろしながらネットの宇宙ニュースでもチェックするつもりだったが、ミライはどこかへ行く気満々のようだった。超音速プライベートジェットで弾丸旅行でもする気だろうかと思ったら、ミライはすでに見覚えのあるネズミっぽい黒い丸耳と白い手袋をつけている。
「ハハハッ!いくわよ、ディズニーワールド!」
準備がよろしいあたり、すべて予想済みだったらしい。
2人でエアモビリティに乗り、目的地がディズニーであることを伝える。プリフライトチェックが終わると垂直に離陸し、数十秒ののち水平飛行へ遷移した。到着までは15分。隣に座っているミライは初めてディズニーへ連れて行ってもらえる6歳児そのままの挙動をしている。
「フロリダに住んでるのに1回も行ったことないのよ。この土地の王に会ったことすらないなんて不敬だと思わない!?」
「私は何度か会ったことあるよ。ネズミさん」
「…は?」
「東京にはディズニーがあるから、誰でも行くよ」
私は当たり前のこと言ったつもりだったが、ミライはこちらを見たまましばらく石のように固まって、ドナルドのぬいぐるみに顔をうずめた。
「妻が寝取られた人の気持ちってこういう感じなのかしら…」
例えがよくわからないが、わりとへこませてしまったようだ。ワールドは初めてだから、とか、きっと日本のミッキーとアメリカのミッキーは違う人だよ、などとなだめていたら泣きながら「中の人などいないぃ!」と怒られた。そういう意味ではないが。なんかごめん。
そうこうしているうちに都市ほどの広さがあるディズニーワールドの上空に着いていた。エアモビリティがヘリパッドに着陸しペラの回転を止めると、ヘリパッドごとポートに移動していく。ポートの駐機場に到着してキャノピが開いた。すでに各所から感じられるディズニー感にミライの機嫌も治ったようで。すっかり6歳児にもどっている。
平日なのでそれほど人は多くないが、それでも観光客はたくさんいる。「ミライのことだから全館貸し切りくらいしているかと思った」と言ったら「テーマパークが閑散としてたら面白くないじゃない」と不思議な顔をされた。無限の資産を持っても健やかに育ってくれてお姉ちゃんうれしい。神様ありがとう。と思ってしまう。
半世紀を経て拡張されたディズニーは、もはや1日では回り切れない。どこにいくか悩みまくっている6歳児をなだめつつ、まずはディズニー・スペース・パークへ行くことにした。「休みなのにまたロケット!?」と不満そうだ。
パーク内に置かれているクラシックなロケット――サターンVやスペースシャトルのハリボテに集中しないように意識しながら、2人でパークをめぐった。絶叫マシン、ポップコーン、チュロス。人間に必要なものは半世紀以上たっても変わらない。お昼ごはんを食べ、久しぶりの夢の国を満喫しつつ、次のアトラクションへ向かう。
――そこは宇宙をテーマにしたプリンセスのお話の、こじんまりとしたアトラクションだった。小さい子向けのせいか、私たち以外に人はいない。そしてそこは、ドーム状の天井、円形に並んでいる椅子。そして…星空をつくる魔法の機械。つまりプラネタリウムだ。
私の様子がおかしくなったことをミライは察知したようだった。「子供向けみたいだから次に行こうか」と気を使ってくれたようだったが、せっかくなので見ることにした。宇宙のプリンセスのストーリーを交えながら、たくさんの星空が映し出されていく。
“ほんもの”の星空を十数年ぶりに見た。気が付くと頬を涙が伝わっていた。泣いている私を初めて見たミライはとても慌てていたが。しばらく席を離れたくなかった。
私はミライに話すことにした。
「私の家は、プラネタリウムを営んでいた」
私が生まれたころ、プラネタリウムはそこそこ人気だったらしい。自然への意識の高まりがあったし、少しレトロな所がむしろオシャレで、かつ天体投影機が進化して映像がとてもきれいになった。
そのころ、初期の衛星コンステレーションが構築され始め、それはかなりの光害をもたらした。なるべく光害を減らすような工夫はされたが、当然限界はある。観測天文学としては悲しむべきことだが、しかしプラネタリウムにとっては追い風で、”ほんもの”の星空を見に来る人が増えた。
問題だったのはその後だ。衛星コンステが進化し、ついにモバイルと低軌道衛星を直接接続できるモバイルダイレクト衛星が出てきたとき、衛星は巨大化しすぎていて、光害対策のために黒く塗るなどというのはまったく意味がなくなっていた。
そこで、衛星コンステレーション企業は批判を避けるために、こぞって宇宙天体望遠鏡をうちあげた。超高性能な天体望遠鏡が、中軌道からラグランジュ点にまで大量に投入され、さらにそれらが観測したデータはすべてオープンになり、だれでも参照できるようになった。コンステ企業としては節税にもなっただろう。天文学者は歓喜し、一般人は進化したVRグラスで見たこともないような高精度の宇宙を見ることができるようになった。もはや誰もプラネタリウムを見ることはなくなった。
そして両親は命を絶った――。
両親は星を見ることが好きな人だったのだろう。私が生まれる前、つまり人類がまだ地表から”ほんもの”の星空を見ることができていたころは、2人でよく山へ行き星を見ていたそうだ。天文学に関するたくさんの書籍や記録があった。
遺書には、「ごめんね、お父さんとお母さんは、この世界に耐えられませんでした」という謝罪の言葉のほかは、これからの私がどのように生活すればよいかばかりが書かれていて、どうして死を選んだのかということは書かれていなかった。
だから、幼いころは経済的な理由で自殺したものだと思っていた。お父さんとお母さんが耐えられなかったこの世界をとにかく壊す方法を考えた。しかし世界を壊す方法について考えるにつれ、両親は「2度も星空を奪われたこと」に絶望したのではないかと気づいた。
客観的にみれば、趣味が奪われて自殺する親というのは、無責任な人間だろう。しかし。星空というものはそんなにすごいものなのだろうか?それを奪われたら、子を残して死を選ぶほどに価値があるものなのだろうか?私はそれが気になった。そのためにロケット工学の道に進むことを決めた。
もう一度上映が始まった。星空の下、ミライは私をだきしめてくれた。
“ほんもの”の星空を見て、確かめなければならない。だから今、ここにいる。
この世界を壊すために。
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