第2話:開発の日1

「むぐぅ…!?」


 苦しい。呼吸ができない。柔らかい。


 そんな感覚のせいで起きると、私の顔面はミライの胸に埋まっていた。離れようとするも、かなりキツく抱き着かれていて逃げられない。


 爆砕ボルトで分離――!?と錯乱しはじめたころ、なんとか抜け出すことに成功した。寝相のわるい相棒をしばしながめ、その胸にあるものを注視し、なにを食べたらこんなにでかくなるのかと思う。毎日おなじものを食べているのだが。量が圧倒的に違うせいだろうか?私もミライくらい食べればいける?現実的ではないだろう。エンジニアリングでも解決できないことはある。


 なんとなくむかついたので、ミライのほっぺをむにむにすると「むにょぁ」などと言いながらもぞもぞしている。おもしろい。


 ひとしきりミライで遊んで満足したので、朝の支度をすませいつもの環境に向かう。「まるで無重力」を謳う”ゼロG”マッサージチェアに座り、VRグラスをかけ、CADソフトウェアを起動する。なんでマッサージチェアなのか?日本の温泉にいったとき「それに座っていたヒナは今まで見たことがないくらい幸せそうだった」ということでミライが買ってくれたものだ。実際、集中力と継続力は大幅に増加した。VR空間からマッサージチェアを操作できる仮想コントローラもミライが作ってくれた。


 VR空間に入ると、白いグリッド床が永遠に続く世界のなかに、ダークブルーの53フィートコンテナが1つ置かれている。無機質な背景だが、コンテナ自体は質感が再現されていて実物と見分けがつかない。フィートなどという旧石器時代の単位を無視すれば、コンテナは全長16.15m、幅2.59m、高さ2.896mもあるのでかなりの威圧感だ。


 表示設定を呼び出し、コンテナと補助機器を非表示にすると、私が設計したロケットが空中に横たわって浮遊する、もう2年間も見続けているそれは、透視図にしなくともボルト1本にいたるまでどこになにがあるかわかる。


 私たちのロケットは、全長15m、直径2.3mと少し寸胴なものだ。よくある民間ロケットよりもSLBM:潜水艦発射型弾道ミサイルに近い。2段式で、燃料がケロシン(灯油)、酸化剤が液体酸素で飛ぶ。あまりにも簡素になったせいで、普通のロケットに比べるとハリボテのようにすら見える。


 このロケットの開発コンセプトはまず「コンテナに入る」。そして「極めて安価」ということだった。ミライの資産は膨大だが、計画のためにはこのロケットを広く使ってもらう必要があるからだ。


 完成した状態でコンテナに収められて移動することができ、コンテナ自体が射場となる。コンテナには液体酸素製造機も入っているので、燃料を注入し、ペイロードを搭載し、電源をつなぐだけで準備が整う。コンテナ上部も扉になっているので、あとは勝手に起立して打ちあがる。1基あたり約5億円程度。打ち上げ費用は燃料代だけなので約300万円。ロケットの能力としては低軌道に約1000kgを投入できる。もちろん2段ともに垂直着陸でき完全再利用が可能で、使い捨てならもっといける。大型ロケットには敵わないが、このサイズのロケットとしては革命的に安価にできた。


 というわけで、今日は設計の最終チェックの作業をする。仮想空間ならこのロケットも指をひねるだけでくるくる動かすことができる。まずは第一段のエンジン側から見ていこう。チェックであり、ブラッシュアップではないぞと自分に言い聞かせる。


 第一段には6基のエンジンが円周状に並んでいる。このエンジンの燃焼室やノズルはGCFRP:グラフェン・カーボン複合材でできている。グラフェンは炭素原子の厚みしかないシートで…つまりめちゃくちゃ薄い鉛筆の芯だ。しかし引張強度はステンレスの200倍近く、最高の電導性がある。半世紀ほど前、黒鉛をセロテープではがしつづけるとグラフェンが得られることで研究がすすみ、ノーベル賞が贈られた。


 人類は大きな面積をもつグラフェンをいっこうに作れなかったが、2030年中盤に大量製造方法が見つかり急激に進歩した。停滞していたコンピューティングに超伝導CPUという革命をもたらし、次にグラフェンの3次元ナノマテリアルが電池の性能を飛躍的に向上させ、さらに大面積のグラフェンの製造法が普及して複合材を作れるようになった。これらを第6次産業革命と言う人もいる。


 このエンジンはその技術の恩恵を受けた、巨大なグラフェンシートとカーボンの積層複合材でできている。ミライいわく「じゃあぜんぶ炭ってことじゃん」ということだが、せめてダイヤモンドとか言ってほしい。もちろん複合材なのでグラフェン単体の性能からはかなり下がるが、それでも圧倒的だ。数メートル四方までのグラフェンシートを好きな2次元形状に製造して積層できるオンデマンドサービスができたおかげで、現代のロケットエンジンは恐ろしく軽量に、単純になった。あまりに単純化されたので、エンジンの設計はパラメータを入れると半自動的に決定される。


 現代のロケットが進化したのはエンジンばかりではない。ロケットは燃料と酸化剤を混ぜて燃やして(爆発させて)飛ぶが、これらをものすごい圧力でエンジンに押し込む必要がある。爆発しているところに無理やり燃料を押しこむのだから当然だ。このために、かつては燃料と酸化剤の一部を燃やしてタービンを回転させ、その軸動力でポンプを回転させるターボポンプというものが主流だったが、この開発は容易ではなかった。大学ではVR空間でターボポンプ設計する科目があったが、9割の生徒が3秒以内に爆発していた。私?5000秒以上動作させましたとも。えへへ。5日も徹夜したのは後にも先にもこの時だけだ。死ぬ寸前だった。二度とやりたくない。


 2042年となった今ではリチウム・空気電池が2000Wh/kgをたたき出すようになったので、ほとんどのロケットで電動モータポンプが主流になり、多くのロケット工学者が過労死から救われた。20年ほど前に初めて電動モータ式のロケットをつくったベンチャー企業があったようだが、バッテリはそのころから20倍近く進化したといえる。宇宙で空気電池が使えるのか?ロケットには大量の液体”酸素”が積まれています。


 とはいえ私たちのエンジンには――そもそもポンプがない。エンジンをながめながら、ノズルスカートの横に何もないのはけっこうな違和感と少しの恐怖を感じる。


 私たちのロケットはタンクを加圧して燃料を押し出すようになっている。ガス圧送式とも呼ばれるこれがシンプルさの理由だった。ガス圧送式は宇宙開発の黎明期に使われていたし、小さくて信頼性が求められる姿勢制御スラスタには今でも利用されている。しかし現在の主流ロケットにはない。タンクを加圧するということはつまりタンクの強度が必要ということで、その重量増加を考えるとあまり高圧にできず、エンジン効率が下がってしまうためだ。


 そこで私は、エンジンに利用したGCFRPをロケットの胴体、つまりタンクにも利用することを思いつき、さらにタンクとエンジン部もグラフェンシート材で接続した。グラフェンはそのすごい引張強度のほかに、圧倒的な熱伝導率も誇るという特性がある。エンジンの熱は極低温のタンクに伝わり、燃料と酸化剤を温め、膨張して加圧される。エンジンを冷却するシステムも不要だし、タンクを加圧するヘリウムタンクすらも不要になった。ふつうのロケットなら燃料や酸化剤を断熱しておきたいので、タンクに利用するにはあまり向かないGCFRPだが、この構成であればそのデメリットがない。


 最初はいつも通りの、電動ポンプを備えたロケットを設計していたが、エンジンノズルのGCFRPを設定している時にこのアイデアを思い付いた。このようなロケットは今までなかったから、この方針でいくかどうかはかなり悩んだ。自分をあまり信用していない技術者の性として「誰もやっていないということは、なにか落とし穴があるのではないか?」と考えてしまう。しかしシミュレーションを繰り返しても問題なく動作するようだし、タンクのコストは上がっても全体としてはかなり安くなる。試行錯誤を繰り返してみると、圧力もポンプ式とあまり変わらないところまで上げることができた。さらに、燃料と酸化剤は上下に分けるのではなく、外側をケロシンタンクに、その中心に薄膜の液体酸素タンクを沈める構造にした。液体酸素が膨張してケロシンタンクを圧迫するので、圧力の調整も不要になった。


 ミライに相談すると「ちょーデカいヘアスプレー缶つくるってこと?」「まぁ、せっかく世界を壊すんだったらロケットも世界初のほうがカッコいいわね」という適当な返事が返ってきたので、悩んでいたのがアホらしくなりこの方針でやることにした。


 これらの変更によって、ロケット本体の重量は1トンを切った。全備重量が約45トンあることを考えると、怖いほど軽い。


 打ち上げ時の気温変動や始動用のため、温めやすい小さな燃料・酸化剤タンクを内部に追加し、電池で動作するヒータも付与してある。VR空間で始動モードを命令すると、ヒータが始動用タンクを加熱、バルブが解放されて燃料が噴射され、レーザートーチが着火した。エンジンは問題なく動作している。燃焼炎はその衝撃波によってきれいなショックダイヤモンドを作り出している。しばらく燃焼をながめる。何回見ても飽きない。


 エンジンをクラスタ化しているのは、全長を抑えるためにある。もちろんコンテナに収納できるようにするためだ。同じものをたくさん作るとコストダウンの効果が見込めるということもあるが、自動製造が進んだ現代ではこの程度の生産量はもはや誤差の範囲にすぎない。エンジンを傾け制御するジンバル機構も電動サーボで直接動作できる範囲に収まり、油圧システムがなくて済むという副次的なメリットもできた。VR空間で制御プログラムのテストモードを動作させると、目の前にあるエンジンが極めて機敏に動作した。問題なし。


 1段の燃焼が終了したので分離システムをチェックする。ラッチ式の解放機構が作動して1段と2段が外れ、視界から消えていく。問題ないようだ。2段目も構成は基本的におなじだが、真空中で動作するためエンジンノズルが長くなっていることと、タンクの底がへこんでいて、エンジンはその中に収まっているところが大きく異なる。これも全長を短くするためだ。こちらもVR空間では問題なく動作した。


 4分割式のフェアリングが開き、ダミーとして置いてあるただの立方体ポリゴンのペイロードが見えた。2段の燃焼が終了し、ペイロードが分離される。


 軽く確認する限りでは異常はなかった。満足した私は簡易シミュレーションを終え、結果データの分析に取り掛かった。


 この世界を壊すために。

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