第1話:いつもの日

 ジンバルマウントの設計変更がひと段落つくと同時に、遠雷のような音がわずかに聞こえてくる。今日はここまでと思い仮想空間の時計に目をやる。2042年8月25日19時36分。もう12時間くらい作業していたことに驚きつつVRグラスを外すと、目を酷使していたことを痛感した。昨今のグラスの映像は現実と区別がつかないが、それでも目は疲れてしまう。


 目頭を揉みながらコーヒーを注いでウッドデッキへ出ると、黄昏の空の遠くのほうに光の玉が下りていくのが見えた。ケネディ・スペースセンターの民間宇宙港に着陸する重量級ロケットだろう。夕方になって熱さがやわらいだ夏の風をうけながら、湖と森からなる地平線に光の玉が消えていくのを見るのは気持ちが良かった。ここ、フロリダ州オーランド郊外は夏の日本と変わらない高温多湿の地獄のような環境だが、夜になれば同じように落ち着いてくる。盆踊りの音がきこえてきても違和感がない。


 遠くを見るのは目に良いらしい、とか、たいぶ伸びた黒髪が目にかかってそろそろ切らなければ、なんて考えながら地平線のほうを眺めていると、後ろから聞きなれた明るい声がした。


「ヒナタ、お疲れ様。ごはんにしよー」


 振り向けば、腰まであるプラチナブロンドと明るい褐色肌のコントラストのまぶしさが疲れた目に刺さった。胸以外はよくて高校生、あるいは中学生のようにも見えるその少女は、なぜかデニムのオーバーオールに麦わら帽子までかぶっていて、脇にはカゴいっぱいの野菜をかかえている。畑にいたら何かの広告にさえなりそうだ。


「なんで絵にかいたような農業娘になってるの。ミライ・エクシオールさん?」


 ミライ・エクシオール。聞いている情報では18歳。”ミライ”は日本語の”未来”ではなく、月の光を意味する名前らしい。一見すれば西アジア系の明るくつつましい移民の少女だが、その実はコンピュータサイエンスの天才、16歳で博士号持ちにして資産家。私には不釣り合いなこの豪邸もミライの家だ。もちろん、庭のプールも、車庫にある高級車も、エアモビリティも。


「家庭菜園はじめたの知ってるでしょ。ヒナタ・ナツキ=サン。前回は虫にやられたけど、その恨みをぶつけてレーザー殺虫機を導入したら大成功して豊作なの。今日は夏野菜カレーよ!VR空間にひきこもっている不健康な人にはちょうどいいんじゃない?」


 びしっ。とこっちを指さしてくる。「年上を指さすものではありません」「1.5年の差なんて誤差よ」なんて言いながら野菜の入ったカゴを受け取り、着替えてくるように促す。


 ミライと私、夏木 陽葵は、ある同じ目的をもって2年前から同棲している。そして、この豪邸の地下にある膨大なコンピュータリソースも、ほぼ無限に近いクラウド費用も、ネットワークも、部品の発注費用も、必要なものはすべて彼女が用意してくれている。良く言えばパトロンとデザイナー。投資家と起業家。悪く言えば資産家と無職のヒモ。いや、飼い主とペット?…悲しくなるからやめよう。わんわん。


 彼女の詳しいことはあまりわからないし、聞かないようにもしているが、この人を敵に回すとレーザで焼かれるらしいということはわかった。あと知っていることと言えば、日本風のカレーが大好きということくらいだ。家庭菜園まではじめるほどに。


 2人でキッチンへ向かう。私たちの、いやミライの資産力を考えれば人生を1万回くらいやりなおしても料理などする必要はないはずだが、私はこの時間が好きだったから文句はなかった。ミライは使用人を雇うことはなく、すべて機械にまかせることを好む。そして機械ができないことは自分でやる。私たちがやっていることを他人に話すことは危険というのもあるだろうが、以前からもそうだったらしい。これも知っていることのひとつだろうか?


 もちろん、ふだんは市中にあるレストランドローンができたての料理を運んできてくれている、しかし日本風のカレーを提供するレストランはサービス圏内にはなかった。ミライはオーランドにカレー店をつくろうとしたこともあったが、365日3食すべてカレーになる可能性があったので必死に止めた。そんなこんなで、21世紀半ばになっても残念ながら人間がやらなければならない家事はまだ存在しているわけだ。


 いつものようにカレーをつくり、火を通したピーマン、パプリカ、トマト、ナス、オクラ、ベビーコーンをのせる。不格好なものもあるが、初心者の家庭菜園とは思えない良い出来の野菜で、華やかな夏野菜カレーができた。ミライはいつのまにかテーブルに座って「早く食わせろ」のオーラを出している。手伝えよ。


 “待て”ができない犬のようにものすごい勢いで食べ終えたミライは、少し落ち着いたのか、2杯目をよそいつつ計画についての話をはじめた。


「それで、我らが計画の進捗はいかがでしょうか、ヒナタ=サン?」

「ほとんどの設計は完了したと思う。やろうと思えば改良できるところはいくらでもあるけど、もう大きな効果が見込めるところはないと判断してる。どこかでけじめをつけないと終わらないから」


 私は自分に言い聞かせるように言った。私たちの計画には決められた締め切りはない。しかし、確実に、絶対に、1回で成功させる必要がある。こういう時、永遠に改良をつづけてしまうのが技術者の性だ。


「ふんふん。で、そのあとは?」


ミライは3杯目のカレーにとりかかった。もうちょっとゆっくり食べなさい。


「来週は最終チェックとしてミッション全区間の簡易シミュレーションをやる。問題なければ最終シミュレーションを回す。こっちはそれぞれ条件を変えたり異常を発生させたりするタイプで、そのシナリオはおそらく500万通りくらいになるはず。同時にフライトコンピュータの機械学習ができるから、その前に準備をお願いすることになると思う」


「いまのヒナタ語を翻訳すると…つまりハードウェア設計はほぼ終わったってことね?」

「カレーを山ほど食べて幸せそうなミライ語でいえば、まぁ、そうかな?」


 ここまでおいしそうに食べてくれる人のためにつくる料理なら、家事も悪くないものだ、と思う。


「あれを1人でつくっちゃうなんてね。ほんとすごい人に出逢えたものだわ。さすが私の直感」

「いまどきそんなに難しいことじゃないよ。もっとすごい人はいくらでもいる。それにアビオニクスの部分はミライにやってもらってるから1人じゃない」

「意味ない謙遜なんかしないで。あなたは私を見習って少しは自信をもったほうがいいわ」


 一理あるかもしれない、と考えていたら、ミライがお皿をさげながら「設計が終わったらパーティしましょ!」とゴキゲンに歩いて行った。皿洗いくらいはしてくれるらしい。まぁ、洗うのも乾燥するのも収納するのもすべて自動なのだが。


 また遠雷のような音が聞こえたので外を見ると、宇宙港から光の玉が上がっていくのが見える。机のタッチパネルを操作して、ズーム映像を窓にオーバレイさせた。衝撃波を全身にまとったペイロード200トン級の完全再利用可能な中型ロケットが鮮明に映し出される。


 ここ1・2年、ロケットの打ち上げ頻度が少し上がった。低軌道コンステレーション――数十万基からなる衛星通信網――を構築していた全盛期にくらべればかなり少ないほうだが、予測される質量と打ち上げている質量が合わないということがネットの宇宙フォーラムを賑わせている。「大手の衛星開発が失敗して重量が大幅に増えているのでは」とか、「億万長者が秘密で有人宇宙旅行をしている」とか、「秘密の軍事衛星」説から「宇宙人とコンタクトをしている」説までさまざまな予測がされている。今上がっていったロケットも公開されていない。何が積まれているんだろう?


 気が付くと、ミライが私の後ろに立っていた。


「あれが…憎い?」


 ミライが面白そうに問いかけた。


「ううん。ただ、美しいと思う」


 私は答えた。純粋な気持ちだった。


「あなたのロケットも、美しいのかしら?」

「わからない。でも、美しくなければ宇宙には行けない」


 そう、私は。いや、私たち2人はロケットをつくっている。


 この世界を壊すために。

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