センパイ、僕を嫌いになってください
清水らくは
センパイ、僕を嫌いになってください
空港のデッキに、かれこれ一時間はいる。
飛行機が走り出すたびに、カメラを向ける。飛びたつ直前、飛びたった後、そして舞う様子を撮影する。
本当は、カメラなんていらないんだ。
僕の目から入った情報は、すべてそのままインプットされる。でも、怪しまれないようにカメラを持っている。
もともと、飛行機が好きってわけでもない。
でも、仕方ないんだ。
家族を守るために。
「もう来てたんだ」
教室に入ってくるなり、朗らかな声でそう言う人。
3年2組のセンパイ。丸顔に赤いリボンを付けていて、見るたびに高級なメロンを思い出す。もちろん本人には言ったことがない。
「センパイ、今日は来る日でしたっけ?」
「先生が急用で、部活中止になったの」
「そうなんですか」
「写真見てたの?」
「ええ。印刷したところで」
センパイは飛行機の映った写真を手にとって、くるりと回りながら見た。
「こういうの、好きなの?」
「え、ええ。まあ」
「それっぽーい」
満面の笑みを向けられて、僕は少しうつむいた。
僕は、女の子が苦手だ。どう接していいのかわからない。中学校に入って以来、仲良くなった女の子はいなかったし、ほとんどしゃべることもなかった。
だけど、新聞委員会に入って状況は変わった。どこかに入らなければいけないからとりあえず入ったのだけれど、とても和気あいあいとしていて、皆優しくて、楽しい委員会だった。特にセンパイはいつも明るくて、僕によく話しかけてくれる。
好きになるよね。
そう、僕はセンパイが好きだ。こんな気持ちになるのは、生まれて初めてだった。
つい二週間前までは、それだけで幸せで、新聞委員会の時間が待ち遠しかった。こんな僕でも、好きな人と理由があって一緒にいられる。委員会万歳。そう思っていた。
今だって、楽しくないわけじゃない。話していられるだけで、嬉しくて仕方がない。
けれども、胸が痛い。
いつか僕は、幸せな時間を失ってしまう。卒業とか、そういう意味じゃなくて。僕自身がいつか、それを決意しなくてはならないのだ。
「これ、見たことないやつだ」
「あ、ベトナムの飛行機かな?」
「すごーい」
「そんなことは」
僕がくわしいのではない。「やつら」が調べて、勝手にインプットしてくるのだ。最近僕は、知りたくないことをどんどん知っていく。
「せっかくだし、記事の相談しようか」
「はい」
僕らは、次の新聞に向けて話し合いをする。こういう時間だけが、続いていけばいいのに。
夜中寝ているときにも、時々頭の中で何かが動き出す。
奴らは遠慮しない。いつでも情報が欲しいときに、僕の頭の中をのぞいてくる。
本当に嫌だ。嫌だけれど、我慢しないといけない。誰にもこのことは言えない。
なんであの日、あんなことになってしまったんだろう。
いつもと同じ道を通っていれば。気になってのぞいたりしなければ。
後悔ばかりしている。でも、もう、どうしようもないんだ。
目をつぶる。眠れるまで、待つしかないんだ。
「ねえ、明日取材行ける?」
野本センパイが聞いてきた。僕らは今、次の新聞に向けて取材を始めている。僕とセンパイは、「文化祭で段ボールをくれる店特集」を担当することになっていた。
「いいですよ」
「やった」
センパイと二人で取材に行く。とても楽しみだ。けれど。
どこかに行くということは、後でそのデータが採取されるということだ。もちろん、誰と行っていたとかはあいつらには興味がないだろう。けれども、なんか、嫌だ。
「あの……スーパーとかですよね?」
「そうよね。でも、いろんなところで聞いてみるといいかも」
「そう……ですね」
これまで行ったことのあるお店なら、それほど情報も興味を持てないだろう。ただ、新しいお店だとどんどんデータを吸収されてしまう恐れがある。
でも、センパイは好奇心の塊のような人だ。きっと変なとこにも行くつもりなんだろう。
腹をくくらないといけない。大丈夫、やつらが欲しいのは人間そのもののデータじゃないんだ。
「カメラは私持っていくからから、レコーダーお願いね」
「はい」
ちょっとしたデートみたいなもんじゃないかと思ったとき、恥ずかしかった。本当に気持ちは、ぜったいにのぞかれたくない。
「せっかくだから、何か飲んでいこうよ」
僕らは今、喫茶店にいる。取材もここで最後で、あとは帰るだけだと思っていた。
「え、あ、はい」
センパイと向かい合って席に座る。委員会ではいつものことなのに、なんかちょっと、緊張する。
「なんか、憧れだったかも」
「え?」
「学校帰りに、喫茶店。ひとりでくるのはちょっと」
「そうですよね」
僕も、なんかちょっといけないことをしている気がしている。センパイは笑うと、丸い顔がより丸くなって、とてもかわいい。その笑顔を独占できるここは、特等席だ。
動きが、少しぎこちなくなってしまう。
そして、気が付いてしまった。センパイの動きも、ぎこちないのだ。
一瞬心がふわっとなって、その後、ぐっとなった。
僕はできるだけ普通に見えるように、と思った。とても嬉しいのに、とても悲しい。
コーヒーの味が、どんどん薄くなっていった。
僕の両親は、中学校の同級生らしい。
そこからずっと付き合って、今も二人でいて幸せそうだ。
そういうことがあると知っているから。
あいつらは僕に言った。「裏切れば、家族も捕まえる」
それでも僕はいつか、なんとか逃げ出せればと考えていた。両親には申し訳ないけど、僕は自由になって、普通の暮らしがしたい。いつかその方法を見つけて、海外でもどこでも逃げようと考えている。
悩んだんだ。とっても悩んで、そこまでたどり着いたんだ。
でももし、今後、新しく家族ができるとしたら。それが、愛する人だとしたら。
もしセンパイと、将来家族になったら。妄想が激しいと言われるかもしれない。けれども、可能性はゼロじゃない。もし実現して、そして僕が逃げ出したら。
それは、避けなきゃいけない。センパイの人生は、センパイのものだ。
僕は、恋をしちゃいけないんだ。
あの日、僕は何を思ったかいつもは行かない場所へと自転車を走らせていた。山を越えてみたかったのだ。そして、越えられなかった。膝を擦りむいた僕は自転車を止めて、川の方へと下りていった。「せっかくここまで来たのだから、川ぐらいは楽しみたい」と思ったのだ。
そこに、あいつらはいた。タコみたいなのでも、白くてつるつるした奴でもなかった。地球人よりも大きい、と思った。体は細くて、緑色の布を身にまとっていた。顔まで布で隠されていて、表情はよくわからなかった。ただ、向こうも驚いたような、そんな感じだった。
そして僕は捕まえられ、脳に何かを埋め込まれたのだ。
「いいか、できるだけ多くのものを見てこい」
流暢な日本語だった。ただ、少し甲高かった。機械なのかもしれない。
こうして僕は、宇宙人のスパイになったのだ。僕が見たものはすべて、あいつらにデータが転送される。それで、地球のことを学ぶようだ。
逃げたら家族も捕まる。誰かにばらしたら僕が殺される。
なんでこうなったんだ、と思った。けれども、そんなにきついとは思わなかった。ただいろいろと見ればいいのだ。
でも、だんだんときつくなってきた。自分の望み通りに生きていけないのは、とてもつらい。
そして、知ってしまったのだ。家族が増えれば、被害者が増えるかもしれない。
僕は、頭を抱えながら歩き回っていた。
「センパイ、僕を嫌いになってください」
「え?」
放課後、いつものように新聞委員会で。センパイは口を開けたままになっていた。
「あの、突然すみません。元々嫌いだったらごめんなさい」
「そんな、そんなことないよ。でもどうしたの?」
「言えないけど、僕は、嫌われないといけないんです」
センパイの目が、僕のことを見つめている。悲しそうな、困ったような目をしている。
「もしかして、他に好きな人がいるってこと?」
「いや、そうでもなくて……」
「嫌いにはなれないよ」
嫌われるようなことをするのは、できないと思った。センパイを傷つけるようなことは、したくなかった。だから言える限りのことを、はっきり言おうと決めた。
「嫌いにならないと、いつか僕はセンパイを裏切ります」
「いつかっていつ?」
「えっ」
思いのほかセンパイは食い下がってきた。瞳には涙が浮かんでいる。
秘密は明かせない。でも、説明しないといけない。悲しませたくない。でも、嫌われなくちゃいけない。
頭の中がぐるぐると回って、気が付くと僕も涙を流していた。
「ちょっと、私たち付き合ってもないのに別れ話みたい」
センパイは、目から上はぐちぐちゃに悲しみながら、口から下は笑っていた。
「あの、僕は……突然どこかに行ってしまったり、頭を抱えたり、苦しんだり、ひょっとしたら逃げ出したり……します。なんでかは言えません。ね、めんどくさいでしょ?」
「そうだね。でも、ちゃんと言ってくれてありがとう」
それは、僕を嫌いになっている顔ではなかった。
貨物列車が、橋の下を走り抜けていく。最初から最後まで見たことはなかったけれど、すごい長さだった。
宇宙人たちも、驚くだろうか。それとも、もっと長い列車を知っているだろうか。
センパイは、卒業した。
高校で、素敵な人に出会ったりするだろうか。せめて、そういう終わり方がいい。自然と、離れていくような。
でも、僕はセンパイが好きだ。だから、どうしたって、悲しい。
毎日会えるわけではなくなったけれど、連絡は取っているし、たまに会う。センパイは、優しい。得体の知れないものを抱えていると教えたのに、優しい。
いっそ大人になる前に、宇宙人が地球を征服してくれないだろうか。そしたらきっと、色々と大変だろうけど、秘密を守る必要はなくなる。まんがいち地球人が勝ったら、スパイの僕は死刑になるだろうか。それも仕方がない。
僕は、センパイを嫌いになれない。恋がこんなにどうしようもないものだとは知らなかった。
貨物列車が見えなくなった。どんなに長いものでも、終わりはある。この秘密を抱えたまま、どこまで生きていくのだろうか。
家に帰ったら、両親に聞いてみようと思った。「お互いのこと、嫌いになったことある?」僕は、どちらの答えを聞きたいだろうか。嫌いになったけれど好きに戻った。ずっとずっと好きだった。
今度は反対側から列車がやってきた。二両編成は、あっという間に通り過ぎていった。
センパイ、僕を嫌いになってください 清水らくは @shimizurakuha
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