旅する者たちの物語
弥生るっか
抗う必要のない運命に、なぜかオレは抗った。
…… 1 ……
オレたちは、造られるときにみな番号をつけられる。
生まれたばかりの頃はその番号順に整然と並び、しばらくの間はとなりの番号のヤツらにぎゅうぎゅうと挟まれ、ともに過ごすことになる。
「オレたち、どこかに行くのかな」
「さあな。けどずっとここにいるってわけでもないだろう。オレたちには役目がある」
彼の言うとおりだろう。
しかし役目といっても、オレたちが直接何かを負うわけじゃない。どこへともなく、ただただ流れ旅をするだけの。オレたちを待っているのは、そんな役目だ。それまではこうやって、となりのヤツと他愛のないコミュニケーションをとりながら、黙々と粛々と控えるだけの日々。
退屈など感じない。オレたちはそういうものなのだから。
そうしてオレにも旅立ちのときが訪れた。
それでも生まれた時からとなりにいる彼らとしばらくは行動を共にしたが、何度目かの逗留地からの出発の際に、とうとう別れることになった。しかしそれはオレたちが生まれた時から決まっている運命だから、どうということもない。旅を続けるオレたちは常に一期一会であり、仲間に対する未練はない。
……はずだったのだが。
これはどういうめぐり合わせか、単なる気まぐれか。
もういくつめになるかわからない逗留地で隣り合った彼とは、非常に気が合った。こんな気分は初めてだ。
どう言えばいいのだろう。破れ鍋に綴じ蓋……いやそれはちがう、ううん。そう、折れ目がぴったりと合うような、端と端が揃うような、そんな感じか。とにかく隣にいて、とても居心地がよかった。
オレたちは閉ざされて真っ暗なその場所で、これまでどんな旅をしてきたとか、こんな場所でこんな目に遭ったんだとか、いろいろな話で盛り上がった。オレもだったが彼もかなり饒舌にしゃべり、こんな風に良い気分でいるのは自分だけではないのだと実感することができた。
彼 ── 番号は長くて大変だ、末尾6Aとしよう ── は、とても楽しそうにオレに問いかける。ちなみにオレは末尾3Sだ。
「3Sさん、ぼくたち、いつまでこうして話せるでしょうね」
……愚問だ。
しかし、そう言葉に出して言うのはためらわれた。
きっと彼だって、わかっているはずだ。オレたちがこうしていられるのは僅かの間で、今すぐに引き離されてもおかしくはない。例外的に長く一緒にいることもあるらしいが、その可能性はわずかだ。すぐにそのときは訪れるだろう。
寂しいなどと、思ったところでどうしようもないのだ。
ガシャン。
唐突に光が差し込み、その光の向こうから巨大なアームが伸びてきた。
それはこの場所からオレを引きずり出そうとする、いつもの使者だ。
さよならだ。
そう言おうとして。しかしそれが出来ずに、オレはほとんど無意識のうちに身体を捻って抵抗してしまった。
そんなつもりはなかったのに。決められた運命に抗ってどうする。
しかしその抗いが功を奏し、アームはオレをうまく掴むことができずに、身体が少しだけ引きずられながらもその場に留まった。6Aは少し驚いているようだ。
再度アームが動き、今度こそオレを掴もうと伸びてくる。
「3Sさん」
思いも寄らなかった。
今度は6Aがオレの身体に張り付き、アームの邪魔をしようとする。
「6A、危ないぞ」
「平気です」
オレにしがみつく6Aを振り払おうとしてアームはその間接をギシギシと動かすが、上手く払えずにオレたちはまとめてあらぬ方向に飛ばされてしまった。
軽い衝撃。身体に少し傷がついてしまったようだ。
オレを掴むのを二度失敗してしまったアームは、諦めたかのように別の仲間をひとり掴み、外へと連れ出す。そう。実際、ここから連れ出されるのはこの場に詰め込まれている連中のうち、大体誰でもかまわないのだ。
その彼は運命を悟っているように静かなままで、軽く挨拶をして出て行った。
……本当は、自分もああでなければならないのに。
オレたちは再び元いた場所に整理され、入り口が閉まり、また闇が訪れた。
……。
「6A、なんて無茶を」
「最初に無茶をしたのは3Sさんですよ」
彼が嬉しそうだったから、オレもなんだか楽しくなってしまった。
これで少しだけ長く、この楽しい時間が続くのだ。それがいいことなのか、この後に来る別れをより寂しいものにするだけなのかはわからない。けれど二度とない時間だからこそ大切にしたいし、彼もまたそう思っていてくれるのが嬉しい。
「次はもうさっきのようには出来ないかもしれないな」
「でも次は、一緒に旅立てるかもしれない」
そう。旅は必ずひとりでしなければならないというわけではない。一度に二人、三人とまとめて次の場所に向かう時もある。こればかりは本当に運だが。
そして願いは叶った。
オレと6Aは、次に光が差し込んできたときには、一緒にアームに掴まれた。ああ、たった今さっき離れ離れになるはずだったのに、共に別の場所へと旅立てる、これはとても幸せなことだ。例えその先に絶対の別れが待っているのだとしても。
次の場所でも、オレたちは沢山の話をした。そしてまたその次の場所でも。それはとてもとても楽しい旅で、こんな楽しい時間は二度とはないんじゃないかと思うほどで。生まれたときにはわからなかった、それまでの旅では気付かなかった、こんな出会いもあるのだと。
けれど、わかっている。
オレも彼もわかっている。
いつかは必ずそのときが訪れ、そしてそうなったらおそらく、オレたちは二度と再び会うことはないだろう。
光が差し込む。
そして彼が言った。
「ぼくは、行きますね」
ああ、今がそのときだ。
逃げも隠れも出来ない。
もとより、抗いきれる運命ではなかった。わかっていた。オレにできたのは、ほんの少しこの時間を長く保つための抵抗だけだった。それが通じたのも、二度とはない奇跡だったのだ。
「3Sさん、大丈夫です。あなたならきっと、どこへ行っても楽しく過ごせます」
これからの場所でも、ぼくと過ごしたこれまでのように。
最後にそう言って、6Aはオレの視界から消えた。
ありがとう、と、ようよう言ったオレの言葉が彼に届いたかどうか。
「千円のお返しでございまーす」
オレからは見えなかったが、おそらくいつものようにアームからアームへと彼の身体は受け渡され。
オレが残されたレジスターは、ガシャンというやけに大きな音を響かせながら閉じて、また暗闇が訪れた。
次はオレの番だろうか。それとも、別の仲間が連れてこられて、オレと隣り合わせになるのが先だろうか。そう、それもこれもまた、運命。
人から人へと受け渡される、千円札であるオレの、運命なのだ。
そうしてまた、オレの長い旅が始まる。
次の場所に行っては新しい出会いがあり、中には擦れすぎて気の合わないヤツもいたりするが、その度に彼、6Aの最後の言葉を思い出し、オレはなすがままの旅を続ける。彼が言ったように、楽しいときを満喫できるようにと。
まれに彼と同じ末尾6Aの番号を持つ者と出会ったが、あの彼との再会は、ただの一度もない。あるとも思わない。手から手へとただただ流れるばかりの旅だが、これも必要で不可欠で、オレたちが担った大切な役割なのだ。
彼もどこかで、この役割に胸を張って旅を続けているだろうか。
願わくば、喜ばれるばかりで憎まれることのないようにと。
誰のものにもなり得ぬオレたちが、等しく喜びを与えられるようにと。
おまけで、よくわからない複雑な折紙に利用されることがなければ良いなと。
二度とは会えぬだろう友よ、どうか元気で。
…… 2 ……
―― 閑話休題。3Sとはまた別の、お札のお話。
私は随分長いこと、この場所に留まっている。
大抵の仲間はあっちへこっちへと連れまわされ、長い長い旅を満喫しているというのに、なぜか私は、本当に長い時間をここで過ごしている。
ここはとある小売店。
私は時にここの金庫に納められ、ある時には出発予備軍としてレジスターの中に移し変えられるのだが。
あと一回で私の出番かと思いきや、私の上に重ねられる新参者。
そして仲間十枚で括られ、また金庫の奥へ。そこから銀行へと向かう仲間も多いが、私のいる束は、まるで狙ったようにその場に残される。
再びレジスターに移されても出番のないまま。
これは一体、どういう確率だ。
そんなこんなでもう4~5年はこの場所にいる。すでに奇跡の域ではなかろうか。
私たちは普通に旅をしていれば1~2年ほどの寿命だと聞いたことがある。しかし、長いこと旅をしていない私はといえば、まだまだ張りのある姿のまま、このとおり元気だ。元気なのはいいのだが、私は一体何のために生まれてきたのか……。
そんな私に、とうとう光の向こうから迎えが来た。
ああ、忘れて久しい、旅立ちの光だ!
金庫やレジスターを行ったり来たりする、狭い世界の光ではない!
まあ気分の問題なのだが、それはともかく。
その場にいた仲間達から、次々と祝福の声が上がる。
「ようやく出陣だね!」
「気をつけて、よい旅を!」
「元気で!」
ああ、素晴らしい仲間達よ、もう二度と会うことはないだろうが、きみたちの言葉を私は忘れない。いつまでも胸に抱いて、誇りを持って旅をしよう。
いざ、参る……!
一方、彼のいなくなったレジスターの中。
「とうとう行っちゃったな」
「ぼくがここへ来て話を聞いたときにはまさかと思ったけど、運命ってわからないな」
「でも旅立つことが出来たんだ、彼はこれから、他の仲間と同じように誰かの役に立てるよ」
「良かったね」
「良かったな」
わいわいと、自分のことのように喜び合う仲間たち。
そしてガシャンとレジスターが開き、新たな仲間が滑り込んでくる。
「ただいま」
「えっ」
「えっ」
それは先ほど感動の旅立ちをしたばかりの、彼だった。
「さっきの客、二度買いだわー……」
彼の呟きに、全札が涙した。
こうしてまたこの場に留まる私だ。
ああなんか、こうなるような気はしてた。と思えば気も楽だ。
そう、それもこれも、運命さ。
…… 3 ……
―― そして話は再び、3Sへと戻る。
もうどれくらい、旅を続けただろうか。
生まれてからこれまで、長いような短いような、ただただ渡り歩くだけの単純な旅。
時には狭い機械の中でじっと過ごし、そこから送り出され、革の財布へ、そしてレジスターへ。たまに銀行へ、そしてATMへ。
色々な場所に行った。
様々な出会いがあった。
それは楽しい旅だったが、そろそろ潮時だろうかと思う。
身体のあちこちが磨り減ってきた。身体を折り曲げられた時の傷は、とっくに消えなくなって、ずっと残ったままになっている。本当にこのままでは、真っ二つになってしまうのではないかと危惧するほどに、オレの身体はぼろぼろになっていた。
次に銀行に連れて行かれたなら、そこが最後の場所となるのかもしれない。
きっとオレは、細かく切り刻まれ再生紙となるのだろう。一昔前なら焼却処分だったのだから、まだほんの少しの間でも、別の姿となって何かの役に立てるだけ、今は良い世の中なのかもしれない。
これからは、楽しかった旅の思い出を反芻して過ごそうか。
ゆっくり思い返すのもいいだろう。まだ記憶に残ったままの、あのときのことも。
しかしこれはまた、数奇な運命。
確かにオレの旅はすぐに終わりを迎えた。
しかしどういう巡り会わせか、オレはダンボールなどの再生紙になることなく、別のものへと生まれ変わった。
貯金箱だ。
確かに身体は細かく切り刻まれたが、印刷を残したままプレスされ、なにやら可愛い形の貯金箱にされたようだ。そう、お札のままでありながら、別のものへと生まれ変わったわけだ。
他のものとどう違うのか、良いか悪いかはわからないが、しかしオレは満足している。まだ誰かに夢を見させることが出来るのだ。残念ながらオレは一万円札ではなく千円札だから、少々高級感には欠けるかもしれないが、そこは我慢してもらうとして。
さあ、どこかの誰かの目標の、小さな礎となる小銭を引き受けよう。
ふと、憶えのある気配を感じた。
まさか。いやしかし。
ほとんど欠片のようになった、オレに寄り添うこの番号は。遠い遠い、けれど色あせることのない記憶と重なる、この気配は。
「……6A……?」
「3Sさんですか?」
まさか。まさか。まさか。
── こんな。
こんな奇跡が、あるのだろうか。
塊となった終の棲家で、オレたちは再会した。
「また、会えたのか」
「お疲れ様でした」
「……奇跡が、二度起きた」
「二度起きたら奇跡ではなく、運命ですよ。なぁんてね」
年老いたはずの彼の声は、若々しく楽しげだった。オレの声はどうだろうか。
「また沢山、今度こそ最後まで、いろんなことを話しましょう」
「これまでの旅のことを全部? それは長くなるな」
「そしてこれからここに投入される、夢の欠片のことも」
「そうだな。それがいい」
そうしてほどなくオレたちは買われ、小さな家の小さな棚の上へと置かれた。
与えられた運命に、呪うことも祈ることも忘れるほどに、オレたちはそれに忠実だったけれど。こうなることもまた運命だったのなら、誰に感謝すれば良い。
もう旅は終わった。
けれど今度こそ本当の最後の瞬間を迎える時まで、オレたちはここで、生きていく。
新しい始まりを祝福するように、最初のコインが、コロリとひとつ、落とされた。
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