テディベア
不二川巴人
本編
【証言1:マンションの隣の住人(45歳・女性)】
「404号室の人? さあ、詳しくは知らないわね。毎朝のゴミ出しの時に、たまに顔を見る程度で。ええ、まあ挨拶ぐらいはしますけど。決まった時間にスーツ姿で出かけるから、普通のサラリーマンなんじゃないか? って事以上は、何も知りません」
【証言2:ホームセンターの店員(33歳・男性)】
「大工用具をお求めのお客様ですか? さすがに私どもも、毎日多数のお客様にご来店頂いておりますので、個人の特定までの情報は、ご提供しかねます。申し訳ございません。お話し致しました通り、防犯カメラにも、似た顔つきのお客様は映っておりませんし……」
【証言3:不動産屋担当者(53歳・男性)】
「ああ、あの人かい? なんか、変わったお客さんでしたねぇ。どこがかって? いやぁ、契約申し込みの話がまとまった時は、物腰の柔らかそうな若者だったんですがね、それが……」
【証言4:外資系総合倉庫ショップ店員(40歳・男性)】
「不思議なお客様でした。あんなものを大量にお求めになって、さすがに私達も、個人のプライバシーに関わることですので、目的などをお尋ねすることは差し控えましたが」
◆
「っはよございまーす……」
朝8時45分。いつも通りに出社した僕は、妙な違和感に気付いた。
誰の返事もない。同僚からの返事も、上司の面倒くさそうなそれもない。
「……はい?」
オフィスを見渡して、僕は何か、悪い冗談に引っかかったような気になった。
席に、誰もいない。誰一人いない。20人ほどでいっぱいになる小さなオフィスだけど、本当に誰もいない。
その代わり、おのおのの椅子に、やたらデカいテディベアが鎮座していた。
シュールだ。なんなんだ、この光景は?
とりあえず、機械的にタイムカードを押して、中へ入る。そこで気付いたんだが、カーペットが一面真っ赤だった。おかしいな? この間まで灰色だったのに?
「……?」
ふいに、ぞわり、と寒気がした。
なんだ? このテディベア達から、人の気配を感じるぞ?
ぐるりとオフィス全体を見渡す。繰り返すが、誰もいない。じゃあ、どうして人の気配を感じるんだ?
ふと、オフィスの片隅に、大量の綿がうずたかく積み上げてあった。
なぜだろう。僕は、ものすごく嫌な予感を覚えた。
とりあえず、自分の席へ向かう。両サイドに、巨大なテディベア。それも、人っぽい存在感がある。
「お、おはよう」
ぎこちなく、隣のクマに挨拶してみる。しかし、返事はない。
「……?」
再度、そのクマを眺めてみる。やたらデカいことを除けば、ありふれたテディベアだ。
だが、腹のあたりに、赤黒いシミがあった。激烈に、嫌な予感。むしろそれこそ悪い冗談のような展開が浮かぶ。
僕は自分の机から、カッターナイフを取り出して、隣のクマの背中を裂いてみた。
ぼどり。あたかも「窮屈だった!」と言わんばかりに、中から出てきたのは……切断された、人間の上腕部だった。
それを合図にしたかの如く、ぼどぼどと、残りの『部品』が、中から溢れ出てきた。
ご丁寧に二等分された、両の手足。腰のあたりで裁断された胴体も、グズグズの
最後に、逆に生きていたら怖いレベルの、顔面をズタズタに切り刻まれて、人相すら分からない人間の生首が、さながらボーリングの球のように、ごろん、と出てきた。
「な、な、なぁっ……!?」
僕は文字通り、凍り付いていた。身体は硬直してるくせに、ガチガチと歯の根が震える。
それから僕は、何かに取り憑かれたように、全てのテディベアの中身を改めてみた。
やっぱりと言うべきか、全てが『かつて人間だったもの』の部品だった。
「うぶぅっ……!」
今さらながら、猛烈な吐き気を催して、僕は、真っ赤な床に、盛大に嘔吐した。胃の中の物が全部出ても、まだ吐いた。
……分かった。このカーペットの赤は……血だ。そりゃあ20人近く殺せば、おまけに死体をご丁寧に逐一バラせば、文字通りの血染めになるだろう。
「ととと、とりあえず警察に……!」
そう思ってスマホを取り出したところで、ちょっと乱暴な足音が複数した。なんだ? と思うと、現れたのは、数人の警察官だった。グッドタイミング、って言っていいのかな!?
「あのっ!」
僕がそう言った瞬間、屈強な警察官の腕が伸び、僕の手を取る。そして、
「殺人と死体損壊の容疑で逮捕する」
と、いやに淡々と言って、手錠をかけた。
「……は?」
なんで僕が!? 僕は何もやって……な……
……そこで僕は、さらに奇妙なことに気付いた。
オフィスの壁には、デジタル式の壁掛け時計がある。
表示されている日付は、水曜日だった。
おかしい。昨日は月曜日だったんじゃないのか?
なんで、火曜日丸一日の記憶が、すっぽり抜けてるんだ!?
いや、待て。よくよく思い返せば、過去にもこんなことがちょくちょくあった。
大方疲れてたんだろうと思って、特に気にしてなかったんだけど……
「来い」
粛々とした警官の声に促され、僕はパトカーに乗せられた。そこで、また意識が途切れた。
◆
さて。賢明なる読者諸氏は、もうご推察であろう。
そう。彼は二重人格者だったのだ。
一つの身体に、気弱な『僕』と、対照的に残忍極まりない『俺』という人格が同居していた。
そして、全ては『俺』の犯行だったというわけだ。
人格が完全にスイッチしている際、もう片方の『彼』の記憶は無い。
ひとたび『僕』が『俺』になった際は、人相からして、鬼の如きそれに変わる。
だから、彼が凶器を買ったホームセンターの防犯カメラにも『僕』は映らなかった。
しかし、いかに人格と人相が変われども、DNAまでは変えようがない。
逮捕の決め手となったのは、社長の机にこびりついていた精液だった。なぜそんなものが残っていたのかは、諸氏の想像に委ねる。
その後の彼の消息も、あえて省く。
重度の精神障害であるがゆえに、心神耗弱により、無罪となったのか?
あるいは、犯行の残忍非道さを鑑みて、十三階段を登ったのか?
いずれにせよ、『あなた』も気を付けた方がいいだろう。
いつもの職場の、あるいはいつもの教室の。
全ての席にテディベアが座っている日が、絶対にない、と、言えるだろうか。
おわり
テディベア 不二川巴人 @T_Fujikawa
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