第18話 神のお告げ?

「この公式使えば一発じゃない?」

「確かに。けどさ、どうしてその公式を使おうって思うんだよ。その発想が出てこないんだよな」


 早速、夕食後にリビングで凪沙から数学を教えてもらっている。


 テーブルの上には教科書、問題集、プリントが山のように積み上げられており、俺はこの山に足を踏み入れたのかと思うと、辟易してしまう。登頂できる自信はもちろんない。けど、俺ができることはしっかりやりたいと思っている。


 賢い凪沙の分析によると、やはり俺の弱点である数学から手をつけるべきとのことだ。数式を見ると、スマホを触り出す病について伝えると、「ずっと見張っといてあげる。わたしが特効薬になってあげるよ」と優しく笑みを浮かべながら言われた。


 色んな意味で凪沙には、敵わないみたいだ。


「んー、この文章見たら浮かんでこない?」

「うん。ならん。なに、神のお告げ?」

「うん」真顔で凪沙が頷く。

「え……」


 お互い見つめ合ったまま、沈黙が続く。


「嘘に決まってんじゃん。それはホンモノの天才だね。わたしは天才じゃないから、数をこなして、典型パターンを一つずつ覚えていっただけ。どう? 陸人は天才?」

「俺は……天才の片鱗を見せてるときないか?」

「わたしと同じ凡人だね。じゃあ、頑張って手を動かして、覚えましょうね〜」


 赤子をあやすような口調で、凪沙は言った。

 

 子ども扱いされている気がするなぁ……。俺は不満を抱きつつも、基礎から丁寧に勉強を教えてもらうことになった。


「どう?」

「神。マジで助かった! 凪沙って本当に頭いいんだな!」


 俺はずっと一人では攻略できなかった問題を理解することができた。凪沙が基礎から教えてくれたおかげだ。

 段階を踏んで、問題のレベルを上げていくことの大切さを身に染みて感じた。


「良かったぁ。そんなに褒めても何も出ないからね?」


 凪沙はそう言いながら、頬を赤く染めて、照れている様子だった。


「いやぁ〜。もしかして、俺もAクラスに入れんじゃね?」

「すぐ調子に乗るんだから。陸人は英語だけならAクラスだね。英語だけなら」

「おい、強調するな」


 英語だけならAクラス、耳にタコができるほど色んな人から言われた。褒められているわけではなく、間違いなく貶されているのだ。

 小学生の頃から英会話を習っていたこともあって、英語に対する苦手意識はなかった。中学生まで続けていたから、その貯金もあって今でもなんとかやっていけている。単純に英語の勉強が好きというのもあるだろう。


「そういや、凪沙は英語もできんの?」

「五教科の中じゃ、一番苦手かも」

「へー。俺を頼りたくなったら、いつでも言ってきてくれていいからな」


 俺が厚意で言うと、凪沙はひどく嫌そうな顔をした。

 

「どんだけ嫌そうなんだよ」

「だって、陸人に貸しを作ったらさ、なに要求されるかわかんないじゃん?」

「失礼だな。別に凪沙に対してなんも思わねーよ」


 同居人をそういう目で見てしまったら、同居は続けられなくなるだろうな。


 そういう目で見ているつもりはないけれど、可愛いと思ってしまいそうな瞬間は度々あるわけで、いつか見え方が変わってしまう日が来てもおかしくないのかもしれない。そうならないように意識はしないように気をつけているつもりだ。


「なっ、本当になにも思わないの?」

「あぁ。凪沙が想像するようなことは、これっぽっちも考えたことがねぇ」

「ふーん。あっそ。……お茶」


 凪沙はスッと立ち上がり、空のコップを持ち、冷蔵庫に向かった。俺のコップも空になっているというのに、俺の分を入れるといった気遣いは全くないようだ。この数秒の言動から推察するに、凪沙は──ご不満。


 お茶を入れ終えると、椅子に座り、こちらを一瞬見て、睨みを利かせ、すぐにスマホに目を落とした。


 あー、なんか怒ってるわぁ。凪沙の感情当て検定とかあれば、俺、準一級くらいなら取れるんじゃね? 凪沙が俺のことをわかりすぎるように、俺も凪沙のことをそれなりに理解できるようになってきた。


 やはり、幼馴染というのはそういうものなんだろうか?


「な、凪沙さーん」

「なに? 勉強しないの?」

「するけどさ。凪沙が怒ってるから」

「魅力のないわたしのことは放っておいて、勉強しなよ」

 

 やっぱり、それで怒ってんのか。凪沙って怒っている理由を直接は言わないけど、大ヒントは与えてくれるんだよな。わかりやすい。

 めちゃくちゃわかりやすくて助かるけど──


「凪沙って面倒くさいところあるよな」

「……そんなことないし」


 本人も自覚している部分はあるのか、怒りというより気まずさから目をそらしているように感じた。


「そんなことあるんだよなぁ。でも、放っておけないんだよな」

「……なんで?」

「んー。前にも言ったけど、家族みたいなもんだからじゃね? 切っても切れない縁っていうか。凪沙とは一生付き合っていくもんだと思うし」

「いっ、一生……!?」

「バカっ。そういう意味じゃなくて、え、えーっと、何かしらの形で関わりを持ち続けるだろうなってこと。だから、気まずい関係のまま過ごしたくないし、これからも気まずい雰囲気なったとしても、俺がちゃんとなんとかする。解決するから。そこは安心してくれてもいい」


 凪沙は何も言わない。


 言い終えた俺は、いつもの如く羞恥心に苛まれている。言った後にいつも後悔するんだよな。あぁ〜、恥ずかしい!!!

 どうしてベラベラ心の中に秘めておいた方がいいことを喋っちゃうの? 俺って。


 なんだか俺がこれからも凪沙と関係を続けたいみたいじゃん! いや、凪沙との同居は居心地がいいし、新鮮で楽しいから間違っていないんだけど、そういうのは本人に言うべきじゃないよね? 絶対そうだよね?


 俺はその場の空気にあてられやすい性格なのかもしれない。おぉ……。


「……ありがと」


 凪沙は小さくそれだけ言い、部屋に入って行った。


 どうやら丸く収まったようだが、羞恥心が完全に消えるにはもう少し時間が必要だ。

 勉強でもしようかとペンを持とうとしたとき、ラインが届いた。凪沙からだ。


『男らしいとこあるじゃん』


 絵文字で彩られてもいない、たったそれだけの文章だ。そんな短い文章でも、何か熱いものが込み上げてきて、ガッツポーズが出た。心の中だけじゃなく、しっかり腕を挙げて。


「あと、ひと頑張りするか」


 そうして俺は数式と向き合うことにした。

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3年間疎遠だった幼馴染と同居することになった。 久住子乃江 @ksm_0805

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