第10話 帆地槍さんは愛したい

「お義母かあさん、喜んでましたね」

 と花頼はなよりさんが言った。


 いや、もう花頼さんじゃ無い。


 僕と同じ「帆地槍ほちやり」という苗字になったんだった。


「うん、ありがとう。ゆ・・・、友子ゆうこさん」

 と僕はまだ、呼び慣れないけど頑張って名前で呼んでみる。


 そう呼ばれた友子さんは、そっと僕の手を掴んで

「当たり前の事をしただけですよ。静雄しずおさんを育ててくれたお母さんですからね」

 とそう言った。


 3月25日の土曜日、午前11時7分。

 春の柔らかな日差しが僕達にも降り注いでいる。


 今はお母さんが生活をしている介護施設で職員さんと挨拶をしてきた帰り道だ。


 僕と友子さんが先週の土曜日に結婚してから、その報告の為に来たんだけど、お母さんは友子さんとお話ができてとても喜んでいた。


 僕のお母さんは、初めて友子さんに会った昨年の12月からずっと「静雄のお嫁さんになってやってくれると嬉しいよ」と何度も言っていた。


 友子さんも月に2回は僕のお母さんに会いに来てくれて、いつも「静雄さんを育ててくれてありがとう御座います」と言っていた。

 なので、僕もお母さんに「育ててくれて、ありがとう」と何度も言った。



「それにしても、ここまで来るのに、色んな事がありましたね」

 と友子さんが言った。


「う、うん。本当に色々な事があったね・・・」

 と僕も言った。


 本当に、色々な事があった。


 僕が本当に結婚できたなんて、今でも夢を見ている様な気持ちだけど、友子さんは「これから結婚生活をじっくり味わっていきましょう」って言ってたから、僕は言われた通りにそうしようと思った。


 昨年の秋、初めてのお泊り旅行をした日、アパートの大家さんの木我こがさんに挨拶に行った。


 そこで、木我さんと友子さんの間でお話が盛り上がってしまって、結局3週間後の土曜日に引っ越しする事が決まった。


 新居は僕が住んでたアパートから大宮駅の方に20分くらい歩いた所だった。

 そこは僕も馴染みがある場所で、新居の隣の空き地には、子供の頃に僕と両親が住んでた家があった場所だったからだ。


 友子さんと新居の庭の草むしりを一緒にやったのは楽しかった。

 木我さんの言う通り雑草が沢山生えていたけど、季節のせいかほとんどが枯れていて、草むしりはあっという間に終わった。


 家は古かったけど、木我さんが時々手入れをしていたみたいで、それほど傷んではいなかった。


 水道やガス、電気の手続きなどは、全部友子さんがやってくれた。


 家の中の掃除は、友子さんが手配したプロの掃除屋さんがやってくれた。

 キッチンのガスコンロとか換気扇なんかも綺麗にしてくれたし、エアコンも綺麗にしてくれた。


「もう貯金も無くなりそうですし、家具はこれから少しずつ買っていきましょうね」

 と友子さんが言ったので、僕は大変だと思って

「ぼ、僕の貯金をあげます!」

 と言ってカバンから通帳を取り出したら、友子さんは

「じゃ、少しだけ家具を買うのに使いましょうか」

 と言って通帳を開いて、そこに記帳された数字を見て驚いていた。


「せ・・・1940万円って・・・」

 と友子さんが言ってたけど、この30年間、僕はずっと毎月8万円を貯金してきたし、時々服を買ったり病院に行ったりパソコンを買ったりしただけで、それ以外は何も使う事が無かったので、お金はどんどん貯まっていた。


 だから会社の給料にも不満は無かったし、友子さんが自分の貯金を使い切ってしまうなんて、とても悪い事をしたと思った。


 そして、僕と友子さんの関係を知った会社のみんなはとても驚いていたけど、社長が一番驚いていて、

「お前らグルだったのか・・・」

 とよく解らない事を言っていたし、吉田君は

「そんなバカな・・・」

 と友子さんを見て絶句していたし、友子さんが


「12月いっぱいで会社を辞めましょう」

 と僕に言った時、僕はすぐに「うん」と頷いた。


 僕の貯金で、10年くらいは生活できると思っていたからだ。


 やりがいのある仕事だったけど、友子さんが居ない会社よりも、友子さんが居る所に僕は居たい。


 僕が会社を辞める理由はそれで充分だったし、社長も

「おうおう、辞めちまえ!」

 と言ってたので、たぶん何も問題は無かったんだと思う。


 12月の12日に、僕は友子さんの実家に行って、友子さんの御両親に挨拶をした。

 友子さんが呼んだらしくて、そこには友子さんのお兄さんも居た。


 そして僕は、友子さんに言われた通り

「友子さんを僕に下さい」

 とご両親に言った。

「お父さんとお母さんが何を言っても、私は家から出て行くから」

 と友子さんは少し怒った様に言っていたけど、お兄さんが

「友子の好きにさせたら?」

 と言ってくれた。


 友子さんのお父さんは

「こんな男と・・・」

 と少し不機嫌な顔をしていたし、お母さんは

「私は反対よ」

 と言っていたけど、友子さんは

「私はこの家に住むのがもう我慢ならないの。この2年間は恐怖と苦痛の日々だったし、それを救ってくれた人は帆地槍さんしか居なかったし、私は帆地槍さんの事が好きよ」

 と、ものすごく堂々として言っていた。


 その剣幕に驚いたのか、それとも「2年間」という言葉にビクっとしていたご両親は俯いてしまって、それから何も話さなくなった。


 ただ、

「俺は何も手助けはせんぞ」

 とお父さんが言っただけで、お兄さんが立ち上がって

「友子。それと、帆地槍さん・・・だっけ? ちょっと外でお茶でもしようか」

 と言って僕達を外に連れ出してくれた。


 近くの喫茶店で3人でお話をしたら、お兄さんは「トレーダー」という仕事をしているのだと言っていた。

 友子さんがお兄さんと仕事の事を色々話しているみたいだったけど、友子さんが

「お兄さんが帆地槍さんにもトレーダーをやらせてみたらって言ってるんですけど、どうですか?」

 と訊いて来たので、友子さんが言う事に間違いなんて無いと思って、

「やります」

 と言った。


 そして12月の下旬に、残っていた有給休暇を1週間くらい使って引っ越しをして、インターネットとか、色々な必要な事をお兄さんに手伝ってもらった。


 新居の一室には、モニターが4つもあるPCが設置されて、何だか数字とグラフが表示された画面が映っていた。


「初期投資は300万くらいで始めればいい」

 とお兄さんが言っていて、必要なソフトとか、必要な口座開設とか、僕には分からない手続きを全部やってくれた。


 僕はお兄さんとも経済の事を色々お話する事になったけど、僕にはそういった事は全然分からない。

 だけど、お兄さんが時々

「例えば、この国がこの国と戦争をしたとする。そして、この会社はこの国とこういう取引をしていたとして・・・」

 と、まるで物語の様なお話をしてくれる時があって、その度に僕は

「こ、この会社はすごく儲かるし、こっちの会社は取引が大変になっちゃうね」

 などと、感想を話す様になっていた。


 きっとお兄さんは小説を書いたりもしているのかも知れない。

 経済の事は分からないけど、お兄さんが書こうとしてる小説の為に、僕は一生懸命に思った事を伝える様にした。


 すると、お兄さんは友子さんに

「この人、ファンダメンタルはプロ級だぞ・・・」

 と驚いた様に言っていて、友子さんがとても喜んでいたので、きっと僕の感想が気に入ったんだと思う。


 そして、お兄さんは友子さんに

「テクニカルな部分は俺が何とかしてやるから、時々ファンダメンタルについて帆地槍さんと話をさせてくれ」

 と言っていて、友子さんが何度も頷いて

「帆地槍さん、もう仕事が見つかっちゃいましたね!」

 と僕を見て嬉しそうに言ったので、

「そ、そうなんだね。嬉しいです」

 と僕は応えた。


 そして年末を迎える頃には、新居にはテレビとこたつが追加されていて、会社を辞めた僕と友子さんは二人でのんびりと過ごしていた。


 そこにお兄さんが、商店街で買ったお寿司を持ってやってきて、

「いやぁ、帆地槍さんのおかげで俺もずいぶん儲けさせてもらったよ」

 と上機嫌で家に入ってきた。


 僕はお兄さんが僕の何のおかげで儲かったのかは分からなかったけど、その日も小説のお話なのか、色々なたとえ話をしてくれて、僕はいつも通りに感想を話す様にした。


「なるほど。確かにその動きは見ておくべきだな!」

 とお兄さんは何かを思いついたらしくて、僕のトレーディング用のPCを操作して、

「こっちをロングにして・・・」

 と何やらよく解らない事を言いながら、画面の数字を見て「おお、さっそく今月の収益が出てるぞ」

 と友子さんを呼んで画面の説明をしていた。


「すごい!」

 と友子さんも画面を見ながら言っていて、「FXでもう21万円も利益が出てますよ!」

 と言いながら手を叩いて喜んでいたので、たぶんお兄さんが儲かった事が嬉しいんだと思う。


「これならレバレッジを50倍まで増やしても大丈夫かも知れないな」

 とお兄さんがまた不思議な言葉を使っていたけど、難しい話は友子さんが対応してくれるので、僕は時々お兄さんとお話するのが仕事なのかも知れない。


 あとは税理士がどうとか、保険がどうとか、経費をどうするとか、僕にはよく解らない話をしていたけど、友子さんがとても嬉しそうにしているので、僕はそれだけで幸せだった。


 だから今度は僕が友子さんを幸せにしなくちゃならないと思って、

「ゆ、友子さん。お正月が明けたら、一緒に・・・、ゆ、指輪を買いに行きませんか?」

 と言った。


 僕は婚約指輪とかに詳しくないけど、お母さんに彼女ができた事を知らせた時に、

「婚約指輪は、お給料の3か月分の値段のダイヤが付いた物を買いなさい」

 と言っていたので、たぶん60万円位の指輪を買うのがいいと思っていた。


 だけど、友子さんの指のサイズも分からなかったから、どうしていいか、よく解らなかった。


 だけど、友子さんを幸せにしたいし、僕はそれを傍で見たいので、一緒に行くのが一番だと思った。


 僕が友子さんを見ると、友子さんはお兄さんの前で僕を見たまま目に涙を溜めて両手で口を覆っていた。

 そして、

「嬉しいです・・・」

 と言って涙をポロリとこぼしたのを見て、僕は心配になって、友子さんの元に駆け寄って、

「だ、大丈夫?」

 と言うと、お兄さんがこんな僕を見て、


「なるほどな、こりゃ安心だわ」

 と言って、友子さんの頭をポンポンと手で軽く叩きながら、「良かったな」

 とだけ言って立ち上がり、


「じゃあ、俺は今日は帰るけど、また1月の4日になったら来るから、そん時は帆地槍さん、また色々お話聞かせて下さいよ」

 と言いながら玄関で靴を履いて、「じゃ、邪魔者は退散するよ。良いお年を!」

 と言って玄関の扉を開けて出て行ってしまった。


 そして僕達は初めて二人きりのお正月を迎え、近所の氷川神社に初詣に行って、

「幸せな結婚生活が出来ます様に」

 と、賽銭箱にお金を入れた僕達は、二人で同じお願い事をした。


 おみくじを引いたら、僕は「小吉」だったけど、友子さんは「大吉」だった。


 1月は新居の家具を色々買ったり、エアコンを新しいものに変えたりと、慌ただしかった。


 そして2月はお兄さんと一緒に投資とかFXとかの勉強をさせてもらって、僕の名前で会社を作る事になった。


 社員は居ないけど、友子さんが役員になってくれて、税理士と色々お話をしたりとか、僕に分からない事は全部やってくれた。


 そして3月17日に、市役所に「婚姻届」を提出して、僕達は夫婦になった。


「これからは、帆地槍さんの事を静雄さんって呼びますね。だから、私の事も友子って呼んでくださいね」

 と友子さんが言ったので、僕は頑張って名前で呼ぶ様にした。


 そして今日、僕のお母さんに結婚の報告をしたのだった。


 友子さんが僕の腕に抱き着く様に腕を絡ませて、

「静雄さん、来週あたり、温泉に行きませんか?」

 と言った。


 僕は何度も頷いて、

「行きたいです」

 と言った。


 友子さんは嬉しそうにふふふっと笑って、

「じゃ、家族風呂がある温泉宿を探しておきますね!」

 と言ったのを聞いて、僕はお泊り旅行を思い出した。


「う、うん!」

 と僕は返事をしながらも、あの温泉宿の夜の事が頭に浮かび、そして友子さんのおっぱいが僕の腕に当たるのを感じながら、「僕は、ゆ、友子さんをもっと愛したいです!」

 と言った。


 友子さんは

「私もです」

 と言いながら僕の腕に顔を埋めて、「家に帰ったら、あの夜みたいな事、しませんか?」

 と言いながら、少し顔を赤らめていた。


 僕は股間が熱くなってくるのを感じながら、何度も頷いて、

「はい!」

 と元気よく返事をした。


 家までは徒歩であと3分くらい。


 下腹部が何だか盛り上がって痺れる様な、痛痒い様な、だけど甘くとろける様な・・・


 そんな不思議な感覚を感じながら、そして不思議な幸福感を味わいながら、僕は妻と帰路を歩いていくのだった・・・

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帆地槍(ぽちやり)さんは愛したい おひとりキャラバン隊 @gakushi1076

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