第五十三話 雪の幻

 ヒオリ殿下が御座おわす屋敷の門を、ニオウとラクシャの二人が開ける。


 木製の屋敷には靴のままでは上がれないらしく、入るところで靴を脱ぐ。


「こういうところの作法はうちの国と似てますなあ、おひい様」

「郷に入っては郷に従え、ということか。ロイド殿たちは問題ないか?」

「はい、僕たちも各国の作法は学んできましたから」


 カノンも靴を脱いでそろそろと屋敷に上がる。スセリ殿下たちが歩くと廊下の木床の一部が軋む箇所があるが、これはわざと音を出すような造りにしてあるようだ。


『お兄様、足音が全然してないです』

『ん……ああ、つい癖で』

『そういうことを当たり前にやってしまうんですから……』


 魔力感応で、感嘆を通り越して呆れ気味のカノンの様子が伝わってくる。意識してやっていたことでもないので、俺は肩をすくめるほかはない。


「……ロイド、あんたは護衛になる前に隠密でもやってたのか?」

「隠密というわけではないですが。僕は生来、護衛としてあろうと思っていますので」


 ニオウの言うことは一部では当たっている。前世における俺は『その場に存在しない者』として護衛を務めることがあったからだ。それは確かに『隠密』に通じるものがある。


「生来、護衛か。あんたは、そうあることができたんだな」

「……ニオウ」

「ああラクシャ、済まん。余計なことを言った」

「咎めるわけではありませんが。普段はここからは、男子禁制となっております」

「では、僕は外で待っています」

「普段は、と申し上げました。ヒオリ殿下から、今日は『クラスメイト』であれば通して良いとうかがっております」

「……そんな話、俺は聞いてないが」


 ニオウは不服そうに言うが、ラクシャに微笑みかけられると、頭を掻いてその場を離れた。


「……良いのか?」

「はい、気分を変えたいのでしょう。御一行はそのままこちらへ」


 ラクシャに先導され、さらに進む――そして、紙張りの戸の前で静かに床に膝を突き、ラクシャは戸を静かに開けた。


「どうぞ、お入りください」


 ラクシャは先に部屋に入ろうとしない。スセリ殿下と護衛の二人、そしてカノンが入っていく。


 その後に続き、室内に足を踏み入れた瞬間だった。


(っ……なんだ、これは……!)


 辺りの風景が一変する。吹雪の雪山の中に、俺は立っている――先を進んでいた皆の姿は見えなくなっている。


 幻術とも違う、ただ『他者の魔力に触れているだけ』。


 魔力感応で言葉や感情を伝えることができても、心象風景をそのまま見せられることはそうはない。


 吹きすさぶ雪がさらに強まる。視界を完全に遮られそうな密度の雪――魔力感応だけで確かな冷たさを肌に感じる。


 雪の向こうに、何かが見える。それは、天に向かって伸びる巨大な柱のようなもの。


「――兄様っ」


 カノンに声をかけられ、我に返る。雪山の風景から、木の匂いがする部屋の中に戻ってくる。


「ロイド殿、どうした?」

鬼姫おにひめ様の御前やと思って、緊張するとか……可愛いとこあるやないの」

「ユラハ姉、ロイド殿に失礼でしょ……すみません、不真面目な先輩で」

「いえ。すみません、少し考えごとを……僕こそしっかりしなければ」


 カノンが心配そうに見ているが、大丈夫だと笑いかける。


 今見た風景を、俺しか見せられていない――あるいは、俺にしか見えなかったのか。


 広い部屋を仕切る戸をさらに開けると、その奥がヒオリ殿下の寝室のようだった。御簾で隔てられており、奥で身体を起こす人影が見える。


 ――もう四年になるのか。たった四年だったと言うべきかな。


 この光景が、俺の魂に刻まれた記憶に重なっているのか。


 アルスメリアの言葉を思い出すたびに、俺の確信は強まっていく。この魔法学園には彼女を探すための手がかりが必ずあると。


「……ふぁぁ……」


 御簾の向こうで、大きく伸びをする人影――スセリ殿下は小さく嘆息するが、それは怒っているわけではなく、ヒオリ殿下の人となりを知っているからこそ出たもののように見えた。


「起こしてしまったか、ヒオリ。身体はもう良いのか?」

「はい……おかげさまで、すっかり。船旅をしたので、少し疲れてしまったみたいです。旅は、楽しかったのですが」


 微風に舞う粉雪のように、柔らかで優しい声の響き。聞いただけでカノンも目を見開き、感銘を受けている。


「皆さんと一緒に試験を受けたかったのですが、国を離れる時から少し調子を崩してしまいまして。特別に場所を変えて試験を受けさせてもらいました」

「実技以外の結果は、皇姫たちの中でも優秀だったと聞いている」

「模擬戦をしていない私は、本来一般科に所属するべきでしょう……それでも皆さんとご一緒させてもらえたのですから、一度は実力を見せなければいけませんね」

「……そうだな。皇姫同士ではまだ手合わせはできないが」


 皇姫同士が模擬戦であっても戦うことは許されていない――教官であっても彼女たちの行動を制することはできないので、皇姫たちが自主的にそう定めていることになる。


「ヒオリの相手をできるような魔法使いとなると、特別科でもそうはいないだろうか」

「……そうでしょうか?」

「ん……?」


 ――御簾の向こうにいる人物の瞳が今、確かにこちらを見ている。


「そちらのあなた……お名前を聞いてもいいですか?」


 ヒオリ殿下は俺に問いかけている。スセリ殿下は後ろに控えている俺を見やり、何も言わずに頷いた。返答しても良いとの許可だ。


「遅れ馳せながら、挨拶させていただきます。僕は特別科の生徒で、ロイド・フィアレスと申します」

「……ロイドさん……とても大きな、河の流れのような魔力をお持ちですね。澄み切っていて、見ているだけで心地良い」


(俺の魔力が、見えている……『魔力変化』で色がついていない状態で、無色の魔力が見えているのか)


「……スセリちゃん、少しだけ、ロイドさんと二人でお話してもいいでしょうか」

「それは……私は構わないが、ラクシャ殿のことは良いのか?」


 部屋の隅にいたラクシャの姿が消えている――おそらく、ヒオリ殿下の意思を尊重するということだ。


「それなら、うちらは外に出てましょうか。カノン様、少しうちとお話せえへん?」

「は、はい……その、同級なので、私のことはカノンで大丈夫です」

「じゃあカノンちゃんって呼ばせてもらうわ、うちのことはユラハでも姐さんでもええよ」

「私はリエンと言います。カノン様、彼女の言うことはほどほどに聞いておいていただければ幸いです」

「何を揉めているのだ……ではヒオリ、また後でな。元気そうな姿を見られて良かった」

「私もスセリちゃんに会えて嬉しいです。前に会ったときより少し背が伸びましたね」

「それはお互い様ではないか……と、立って並んでみなければわからないか。教室に来られたときに確かめるとしよう」

「はい。ありがとう、スセリちゃん。それに、ロイドさんと空気が似ているあなた……妹さま、でしょうか?」

「「っ……」」


 俺とカノンは思わず顔を見合わせる。俺たちに血の繋がりはないが、それでも空気が似ているというのは、家族として過ごしてきた時間によるものだろうか。


「はい、カノン・フィアレスと言います。天帝国伯爵家の者です」

「私はヒオリ・アマツミと申します。お兄さまのお時間を少しだけいただいていいですか?

「そ、その……僭越ながら、兄様の気持ち次第になります。兄様は私の護衛ですが、主従関係というわけではありませんので」


 そう言われると即座に承諾するのは気が引けるが、スセリ殿下もユラハさんたちも、俺に何か託すような目で見てくる。


「僕でよろしければ、鬼皇姫殿下のご意向に沿わせていただきたく思います」

「ありがとうございます」


 皆が俺を残して退出していく。ユラハさんは俺の横を通り過ぎる時に、小声で囁きかけてきた。


『ロイドはん、二人きりになっても変なことしたらあきまへんえ』


 そんな不心得は天に誓って無いことなので、苦笑いする他はない。スセリ殿下がさすがにユラハさんの奔放さを見咎めて、振り返って鋭い視線を送ると、ユラハさんは自分の身体を抱いて震え上がるような身振りをしつつ退出していった。


 そのとき御簾の向こうで、ヒオリ殿下が咳をした。


「ヒオリ殿下、お身体の具合がまだ……」

「いえ……大丈夫です。スセリちゃんにこのことを知られてしまうと、休むようにと言われてしまうので。少し咳が出るくらいで、身体は元気ですよ」

「咳は身体に障ります。原因が分かれば、僕も回復魔法などは使えるのですが……」

「この咳は、病によるものではありません。子供の頃からのものなのです」


 当たり前のものとして、身体の不調を受け入れている。彼女は抑えて咳をしていたが、大きく魔力が乱れていた。


 ――心配しなくてもいい。これくらいのことで気に病むことはない。


 ――君に気を遣わせることはしたくない。それが、私の我儘わがままだとしても。


 アルスメリアの顔は思い出せない。それなのに、御簾の向こうで苦しそうにする彼女の姿と、気丈な言葉ばかりが思い出される。


 これは病ではないと、アルスメリアも言っていた。


 それでも彼女を癒やそうと、俺とアルスメリアの周りにいた人々は手を尽くそうとした――ただの気休めにしかならなくても。


 だが、今がどうなのかは分からない。ヒオリ殿下とアルスメリアは違うのだから、俺にできることがあるかもしれない。


 ヒオリ殿下の体調不良の原因は、これまでに見当をつけることができていた。


「この屋敷に入る前から、感じていました。ヒオリ殿下の魔力がとても大きく、僕らはそれに触れて、『冷たい』と感じたんです。それは殿下にお目にかかって、確信に変わりました」

「……試験では、制御は上手くできていたのですが。それに気がついたのは、きっとロイド様だけでしょう」


 制御の技術が優れていても、それでも抑えきれなくなっている――魔力の漏出を。


 しかしヒオリ殿下はその魔力を『隠蔽』している。スセリ殿下たちも気づいてはいるだろうが、もしヒオリ殿下がそのまま魔力を剥き出しにしていたら、あの雪山のような幻を常に見続けることになるかもしれない。


 俺は『隠蔽』されているものを、無意識に読み取ってしまった。ヒオリ殿下の心象風景――カノンも肌で感じ取った、冷たさの先にあるものを。


「この状態では、出席しても皆さんに迷惑をかけることになります……でも……」

「……ヒオリ殿下は、教室に行きたい。そう思っていらっしゃるのですね」

「…………」


 ヒオリ殿下はすぐに答えを返さなかった。しかしその無言が、何よりも雄弁な答えでもあった。


 他国の皇姫に対して、出会ったばかりで申し出ることではない――差し出がましいことだ、それは良く分かっている。


 それでも、言わずにはいられない。


 御簾の奥から彼女が出たいと望むなら、そのためにできることをするのが俺の務めだ。


「僕は……その、経緯についてはまた後ほどお話できればと思いますが。特別科のクラス委員の役割に任じられています」

「クラス委員……ロイド様は、そのような役職に就かれているのですね」

「はい。クラス委員として、全員が教室に揃うことができるように、役割を果たしたい。ヒオリ殿下のご心配ごとが無くなるように、協力させていただけたらと思っています」

「協力……というのは……」

「そのために、お手を借りたく思います。御簾越しでも構いませんので、手をこちらに差し出していただけるでしょうか」


 無意識に溢れ出す魔力をどうすればいいのか。方法は幾つがあるが、そのうちの一つは、付近の誰かが魔力の受け皿となり、余剰魔力が拡散しなくなるようするというものだ。


 しかし皇姫殿下に『手を差し出すように』などと言うのは、勿論不敬にあたる。彼女が教室に来るための助けになりたいというのも、行き過ぎた干渉と思われても仕方がない――しかし。


「……ロイド様に、ご迷惑をかけるようなことにはなりませんか?」

「はい、全く問題ありません」


 迷いなく答える。少しでも心がぶれれば、信頼を得ることはできないだろう。


 この部屋の面した庭先から、鳥の鳴き声が聞こえる。


 ――ヒオリ殿下が、動いた。御簾に向けて、彼女は右の手を伸ばす。


「どうか、ご無理はなさらないでください。すぐには無理でも、必ず近いうちに教室に行けるようにしますから」


 俺を気遣う言葉。諦念を感じさせる声に、必ず成功させなければならないと思う。


 『魔力循環』――アルスメリアの余剰魔力を自分の身体に流すために習得した、天帝国の秘儀の一つを。

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六姫は神護衛に恋をする ~最強の守護騎士、転生して魔法学園に行く~  とーわ @akatowa

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