第五十二話 鬼帝国宿舎

 ――魔法学園島西部二十一番 貴族居住区


 転移魔法陣のある広場から、鬼皇姫の宿舎がある扉に向かう――各国に通じる門はそれぞれの文化を象徴しており、鬼帝国貴族宿舎への門は木製だった。


「スセリ殿下が、鬼皇姫ヒオリ様に面会を希望されている」


 スセリ殿下の護衛をしている女性二人のうち、ひとりが門衛に要件を伝える。門衛は念話で指示を仰ぐが、許可が降りたようで門を開ける――鬼族特有の魔力を通さなければ開かない仕掛けだ。


 門をくぐると、風景が一変する――見上げても頂の見えない高さの樹木は、鬼帝国特有のものだろうか。道の両脇に広がる鬱蒼とした森からはどこか妖しさも感じるが、精気に満ちた木々の作り出す清浄な空気に身が引き締まる。


(だが……あの門をくぐった時から、すでに誰かの魔力に触れているように感じる)


「兄様、少し空気が冷たく感じます」

「そうだな……この冷気は、どこから……」


 カノンも感じているようだ――スセリ殿下は二人の護衛に目配せをして進んでいく。


「……相変わらずだな。ヒオリのいる場所に近づくと、雪の降る彼の地を思い出す」

「懐かしゅうおすな、おひい様。あの時はまだリエンもいなくて、うちがお姫様にお付きしたんどしたなぁ」

「またユラハ姉は、私の知らない時の話で自慢して……それに、ロイド様たちもいるのに」


 黒髪を長く伸ばして、人帝国の軍人が着るものらしい軍服を身に着けた女性がユラハさんで、髪が短くて同じ服を着ているのがリエンさんという人だ。同い年でもユラハさんの方が護衛としては先輩ということらしい。


「ふふ……まさかお姫様が、アウレリス殿下の次にロイドはんに声掛けされるやなんて」

「ユラハ、一体何のことを……」


 スセリ殿下は返事をしかけて、何かに気づいたように俺を見る――そして、何も言わずに歩を速めた。


「護衛より先に進む姫様がどこにおられるんですか。うちらも行こか、リエン」

「は、はい。ロイド様、自己紹介は後ほどっ……!」


 スセリ殿下を追って俺たちも急ぐ――すると、鬼皇姫殿下のものらしい屋敷が見えてきた。これも木でできているが、土台と屋根は石でできている。


 屋敷をぐるりと囲んだ高い塀の中から、水の流れる音が聞こえてくる。庭園に何か仕掛けがあるようだ――カコン、と規則的に音がしている。


「どうやら、ヒオリの護衛二人の間でも、意見が割れているようだな」


 スセリ殿下の言葉通り、屋敷の閉ざされた門の前には男女一人ずつが立っていて、互いに剣呑な気を放っている。


「ヒオリ様はまだ誰ともお会いにならん。足労のところ悪いが、帰ってくれねえか」

「それを決めるのはニオウ、貴方ではありません。ヒオリ様がお許しになっているのですから、門を開けるべきです」


 鬼帝国の護衛たちは教室でもその姿を見たが、金色の髪に鬼族の角を持つ男と、紫色の髪を持つ女の二人――ジルドの従者のヴェローナも似た色だったが、魔力の系統は異なっている。


「ラクシャ、俺が通すべきじゃねえと言ってるんだ」

「私はお通しするべきだと思います。ヒオリ殿下も、スセリ様が来られたら喜ばれることでしょう」


『兄様、このままだとあのお二人は……』


 もはや、一触即発という空気だ。護衛同士で手合わせをしたりすることはあるだろうが、この状況では私闘と言うほかはない。


 俺たちが訪問したことで、鬼帝国の護衛同士が衝突した――そうなってしまうと、鬼帝国の生徒たちとの間に必要のない壁ができてしまう。


「スセリ殿下、申し訳ありません。これから彼……ニオウと二人で話します」

「……それが鬼帝国のルールであれば、仕方あるまい。しかし私達に配慮する必要はない、ここで見届けさせてもらおう」


 スセリ殿下の左右に控えるユラハとリエン、二人ともが身体に『気』を帯びる――人帝国では他国とは魔法の概念が異なり、魔力のことを気と呼ぶことがある。


 三人ともが、かなりの体術の手練れだ。ユラハは『銃』に刃がついた特殊な形状の武器を背負っており、リエンは両腰に短めの双刀を帯びている。それらよりもさらにただならぬ気を放っているのが、スセリ殿下の腰に帯びた剣だ。


「心配せずとも、私の剣は攻守備えているのでな。存分にやってくれて良い」


 スセリ殿下のこれまでの印象は、皇姫たちの中でも秩序を重んじる人物のように見えていた。


 しかし、それは争い事を頭から否定しているということではない。理由があれば、力比べも良しとする――それが人皇姫の姿勢のようだ。


「見せもんじゃねえんだが……証人がいてくれるのなら、それに越したことはねえ……!」

「……あなたのそういった性格は、正さなくてはならないと思っていました」


 ニオウの角に金色の魔力が集まり、弾けるような音を立てる――雷の魔力、それも相当の使い手だ。腰に帯びた剣を抜刀するとき、圧縮した魔力を放つつもりだろう。


 しかしラクシャの方も負けてはいない。持っている武器は金剛杵こんごうしょで、鬼帝国特有の金属製の刃がついた武器だ。魔力に反応する金属のようで、闇の魔力によって漆黒に染まっている。


 このまま二人が全力の技を出せば、両者ともにただでは済まない。だが、鬼皇姫に会わずには帰れない――スセリ殿下の目からはその強い意志が感じ取れる。


 魔力が充溢し、ニオウの髪の毛が逆立つ。弾ける電光が一瞬視界を白く染めた、その瞬間だった。


「――おらぁぁぁぁっ!」

「――っ!」


 《鬼道剣術 雷道 『七ツ薙ななつなぎ』》


 《鬼影杖術 闇道 『螺旋車らせんぐるま』》


 流派と魔力の系統は違えど、彼らの『武』には同じ鬼族が生み出した源流がある。


 ヴァンス・フリードであったときの記憶が脳裏を過ぎる。『七ツ薙』『螺旋車』その二つの技を受けたことがある――一度見た技ならば、あとは魔力を相殺させれば止められる。


(ここで怪我をさせるのは惜しい。その力は然るべきところで見せるべきだ、二人とも……!)


 技が繰り出された後に割り込むことはできない――だが、いつ技が放たれるかを読んでいれば不可能ではない。


 《第一の護法 激流に浮かぶ葉の如く――『浮葉ふよう』》


「なっ……!?」


 アウレリスの連撃をしのぐために使った技、『浮葉ふよう』。流れを読むことで相手の攻撃を先読みし、体力と魔力が続く限りは回避を可能とする。


 今回は避けるだけではなく、二種類の魔力を相殺する必要があった。相手の魔法を再現する『湖月』で『天騎護剣』を雷と闇の魔力で覆い、二人の技を相殺する。


「剣一本で……俺の斬撃を、止めただと……?」

「……私の打撃も同時に……それも螺旋車を、剣で止めるなんて……」


 ニオウの『七ツ薙』は、文字通り七回の斬撃を放つものだ。最初の抜剣が最大の威力で、同時に雷の魔力が斬撃の形となって六回の斬撃を行う。


 ならば雷の魔力が伝達しないように透明な魔力で遮断し、物理的な斬撃のみをこちらの剣で弾けばいい。


 そして『螺旋車』は金剛杵を回転して繰り出す重い一撃――そこに闇の魔力を載せて威力を上げているが、こちらの剣を砕かれないように力を逃がしつつ、光系統の魔力をぶつけて相殺した。


「ロイド・フィアレス……竜皇姫がその力を認めたっていうのは、やはり伊達じゃないらしい」

「リューネイアだけではない。他の皇姫たちも、ロイドの実力を認めている」

「なん……だと……?」


 これだけ驚いているということは、鬼帝国護衛の二人は、俺とアウレリスの試合を見ていなかったということだ。主君の元に戻ることを優先する気持ちはよく分かる、それこそが忠義というものだろう。


「……二人がかりで止められるなんて。どうやって割り込んだの?」


 ラクシャが問いかけてくる――ニオウとラクシャは、最速で技を繰り出したと思っているが、それは違う。


 アウレリスとの戦いで、俺がヴァンスだった頃に数度使ったことのある技を思い出した。他者の連続する意識に干渉することで、攻撃を遅らせる方法が存在する。


 《第二の護法 旅人は惑い、緩やかに幻灯を見る――『悠幻ゆうげん』》


 相手に幻を見せる、幻術の一種。二人の間に割り込むために必要な一瞬、その時間を魔法で強制的に作らせてもらった。


「……自分がやられたことすら分からねえとはな」

「そういった相手を見つけるというのも、この学園に来た理由ではないのか?」


 スセリ殿下に問われて、ニオウは苦渋を顔に出すが、静かに剣を鞘に納める。


「人帝国と俺たちの国の間には因縁がある。それを知っていて、スセリ様をヒオリ様と会わせようというなら、その真意を確かめてからにしたかった」

「……私はヒオリの友人として、彼女の顔が見たかった。できるなら、屋敷の中に通してもらいたい」

「承りました。ヒオリ様からは、来客があればお通しするようにと言われています。ですが、今はまだ休まれているかもしれませんので、少しお待ちいただくかもしれません。よろしいですか?」

「彼女が起きるまで待たせてもらう。話したいことが色々と溜まっているのでな」

「……分かった。ヒオリ様のご友人であるスセリ殿下に、無礼なことをした。後で俺のことは罰してくれて構わない」

「スセリ様はそのようなことは望まれません。これからは同僚の方をあまり困らせないことですね」

「ぐっ……」


 リエンに痛いところを突かれたニオウは、それでも言い返すことはできずに素直に退く。ラクシャはそんな相棒を見て笑っていた――そして、スセリ殿下たちを屋敷に招き入れながら、俺に会釈をしてくれる。


「兄様は、誰かとお会いするたびにお友達が増えてしまいますね」

「それはどうだろう。まだ緊張感はあるんじゃないかな」


 ニオウとラクシャの二人とは、同じ護衛同士で連携できるといいが――さっき二人を止めたことが、今後どう影響してくるかだ。

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