二章 第26話 『小さな叛逆』


 処刑台に突如乱入してきた黒髪の少年に、筋骨隆々の角刈りの大男は大きく目を見開いた。

 少年とは何度か顔を合わせたが、ここまで大胆な行動を起こせるような性格だっただろうか。

 乱入者の登場に民衆の理解は追いつかずに口をあんぐりと開くばかりだ。

 一方、流石は騎士団。彼らはいち早く戦闘態勢に移行する──、


「──待て」


 ヴァーチェスが闘志を滾らせる騎士たちを制止した。

 疑問に思いつつも副団長の指示に従いつつ、柄を力強く握りしめて、いつでも動けるように神経を尖らせる。

 副団長の隣にいた美少女──風の美少年は緊張感のカケラもなく、腕を頭の後ろで組み、からころと笑う。


「秩序を乱す輩を許さない副団長が珍しいねー。もしかして、ヒガナに期待とかしてる?」

「期待ではない。ただ──」


 思い出すのはアリスの身柄を確保した時。件の少年がヴァーチェスに言った台詞だ。


『俺は必ずアリスの無実を証明します』


 嘘やハッタリで言ってるようでは無かった。

 あの少年は、妄言としか思えないアリス・フォルフォードの無罪を断固たる信念を宿しながら言ってのけたのだ。


「彼の、主人としての在り方を見てみたいだけだ。その後でも取り押さえるのは問題ないだろう」

「ふぅん」

「貴様はどうなのだ。あの少年の行為は正義に反するのではないか?」


 ルナは頬を緩めて、上司の質問に答えた。


「今、この広場には悪者はいないから僕の出る幕はないよ」



×××



 アリス・フォルフォードが処刑される瞬間を見たいがために、広場に来た訳ではなかった。

 罵倒を飛ばす民衆の群れの中に一人。

 赤髪の女性は憂いで揺れる瞳で、処刑台に縛り付けらるアリスの姿を眺めていた。

 責任を感じていないと言ったら嘘になる。

 自分の証言が引き金となり、現在に至っているのだから。

 目を背けることはできない。

 これから起こる出来事の全てを目に焼き付ける義務がある。

 広場にやってきた理由を再確認して、処刑台に目を向ける。


「…………え?」


 飛び込んで来たのは処刑台に飛び乗る黒髪の少年の姿。

 乱入者だけでも十分に驚きだが、それが見覚えのある者だった時の衝撃は計り知れない。

 突然の出来事で静まり返った広場。

 その沈黙を破って、少年は口を開いた。


「いきなり出てきて、気が狂っていると吐き捨てる人もいると思う。気持ちは分かる。自分でも正気じゃないって思っている。でも、少しの間でいいから俺の話を聞いてくれ」


 その声は頼りなく震えていた。

 きっと、こんな大勢の前で話すことに緊張しているのだろう。

 決して卑下したりはしない。王族や貴族などの民衆の前に立つような人間以外が、この大人数を前に話をするとなれば、緊張や不安に駆られない方が異常だ。

 目の前の少年は育ちこそ良さそうだが、貴族が持ち合わせている独特な雰囲気を感じなかった。悪くいえば華がない。


「俺はアリスが捕まってから事件のことを協力者と一緒に調べた。どうしても、アリスが殺したとは思えなかったんだ」

「………………」

「時間の許す限り、俺たちは調べ続けた。何の手掛かりも掴めなくて諦めそうにもなった。でも、諦めないで足掻いて、足掻いて、足掻きまくった。その先に見つけた答え。それは──」


 少年は瞑目し、呼吸を整えてから、力強く断言する。


「──アリスは無罪だ!」


 一人のざわつきが隣、また隣へと伝播していく。それは、やがて広場全体に伝わった。

 アリスが無罪である根拠を女性は一秒でも早く聞きたかった。

 知っているのは両の眼で目撃した光景のみ。当主であるエドワードの腹部に刺さるナイフ、両手を赤く染めるアリス。

 未だに鮮明に記憶している、この事実をどう解釈すればアリスを無罪へと導けるのか知りたい。


「結論から言う。この事件の真相は狂言殺人だ」

「── っ!」


 狂言殺人。

 そんなことは一瞬も頭によぎらなかった。

 浮かんでいたとしても、荒唐無稽だと切り捨てただろう。

 しかし、目の前の少年、それにウェールズ・グウィディオンの懐刀──ココ・オリアン・クヴェストの二人は荒唐無稽と真剣に向き合ったのだ。


「被害者であるエドワード・ハウエルズは、何で自分の死を偽らないといけなくなったのか。俺たちは数少ない情報を繋ぎ合わせて、事件の背景を推理してみた。今からそれを話たいと思う」


 下らないと言わんばかりに野次を飛ばす民衆たち。彼らにとって事件の真相は重要ではないのだ。人が火炙りになるのを見物しに来ているのだから。

 赤髪の女性は野次が飛び交う中でも必死に語りかける少年の声に傾聴の姿勢をとる。


「全ての始まりは、エドワードの弟──トマス・ハウエルズが他国と癒着しているところからだ」

「癒着……?」


 思い至るところがあった。

 トマスはやけに執務室に他者が入室するのを警戒していた。

 何か見られては不味い、如何わしい物でも所持していると思っていたが、まさか癒着の証拠だったのだろうか。

 しかし、仮にそうだとしたら、どうやって入手したのかは気になるところだが……。


「証拠も押さえてある。今は信頼できる人物が保管していて、上層部ってところに報告する準備を進めてくれている」

「………………」

「ある時、エドワードは弟が他国と癒着関係にあることを知った。間違った道を踏み外していたら、なんとかしようとするのが兄弟ってもんだと思う。きっと彼も、癒着関係を辞めるように説得したはずだ。けど、その想いは届かずに、返ってトマスの憎悪を増長させた」


 トマスは人一倍、野心の強い男だ。

 それ故に、先に生まれただけでハウエルズ家の当主に収まったエドワードのことを良くは思ってはいなかった。

 いや、憎んでいたと言ってもいいだろう。


「トマスは計画を画策した。──エドワードの暗殺だ。口封じにもなるし、エドワードが死ねば、自分が当主の座に就ける。一石二鳥の名案だ。良心の呵責に耐えかねて普通なら計画は机上の空論で止まる。でも、トマスは実行したんだ」


「………………」


「何度も何度も死の恐怖を味わった筈だ。死がもたらす恐怖を、不安を、苦しみ──そんな目を背けたくなるような絶望が、常に身の回りにウロついている。そんな状態で正気を保っていられるなんて絶対にできない。絶対にだ」


 黒髪の少年の死を語る言葉には、胸に深く突き刺さる妙な説得力があった。

 まるで、本当に死んだことがあるかのようだ──。


「エドワードは死の恐怖から必死に逃れようとした筈だ。そして、辿り着いた苦肉の策が、自分を死んだと周りに認識させることだった。ハウエルズ邸に出入りしていた治癒術師に協力を求めて、準備を進めた。騎士団協力の元で、エドワード・ハウエルズの墓を掘り返したけど、柩の中が空だったのが何よりの証拠だ」


「──っ」


「時が満ちた日、エドワードは計画を実行した。目撃者として選んだ使用人に夜食を持ってくるように頼み、自分が執務室で死んでいると錯覚させようとした」


「だから、あの時、当主様は……」


「目論見は上手くいったように見えた……でも、予想だにしないことが起こった。目撃者が増えてしまったんだ。それが、アリスだ。身近な人の凄惨な姿に動揺した状態で偽装だと看破するなんてきっとできない。アリスはエドワードを救おうとしていた筈だ。その姿を使用人は目撃したんだと思う」


 女性は自分が勘違いしていたことを理解する。

 それと同時にとんでもないことしてしまったと後悔する。

 自分の証言で一人の少女の人生を狂わせた。

 償っても償えきれない重過ぎる責任に、女性は涙を流しながら処刑台のアリスに謝罪の言葉を零した。


「ごめんなさい、ごめんなさい、アリス……ごめんなさい……」


「後に、アリスは狂言殺人ということを知ったんだろう。でも、騎士団の取り調べでも一切口を開かなかったと聞いている。どうしてなんて考えるまでもない、アリスは自分の命よりエドワードの命を優先したんだ」


 それが俺たちの推理だ、と言って少年は言葉を切った。

 しばらくの沈黙の後に、一気に民衆たちが騒ぎ出した。今の話を全く信じようとせずに、無理解の怒りを撒き散らし、石やゴミを処刑台に立つ少年に投げつけた。

「そんな話信じられるか!」「くたばりやがれ!」「大体、お前は誰だ!」

 罵声に対して、少年は声を張り上げた。


「俺の名前はスオウ・ヒガナ! ──アリスの仲間だ!」


 その瞬間、投げられた石が少年の頭に被弾し崩れ落ちた。

 女性を含めた数人が悲鳴を上げるが、それを怒号にも似た罵詈雑言が掻き消してしまう。


「時間の無駄じゃねぇか!」「仲間だと!? ただの奴隷じゃないか!」「使い勝手の良い奴隷がいなくなるのが嫌なだけだろ!」「あんなイカれ野郎を飼っているお前もイカれ野郎だ!」「奴隷如きで本気になるな!」


 広場はもはや無法地帯になりかけていた。

 鎮圧に騎士たちが動き出そうとする──、


「ふざけんな……ふざけんなぁぁぁ──!!」


 少年の怒りの咆哮が、民衆たちの怒りを捩じ伏せた。

 顔の左側を鮮血に染めながらゆっくりと立ち上がる姿は……どこか狂人のそれに見えた。


「奴隷如きで本気になるなだと? 奴隷だって一人の人間だろ! それなのに物の様に扱うなんて……どうかしているのはアンタらの方だろうが!」


「────っ」


「俺はアリスを奴隷だなんて思ったことは一度もない、大切な仲間だ。アンタらは大切な人が──両親が、兄弟が、友人が、恋人が、子供が窮地に陥ったら、どんな犠牲を払ってでも助けようとするだろ! 俺のしていることを下らないことだって吐き捨てる奴の方がイカれてる!」


 剥き出しの怒りは広場に集まった者たちには止まらず、この世界の仕組みとして存在する奴隷制度に対して向けられていた。

 この少年は奴隷制度に義憤していたのだ。


「俺だって、言えた義理じゃねぇ……。ここに来なければ、俺も周りの意見に流されて、何も考えずになあなあで生きていたと思う。でも、ここは、この世界は自分自身で考えないで生きられるほど甘くはないんだ」


 それは諦念に近い表情だった。

 この世界に対して。

 自分の無力さに対して。

 ただ、不思議にも思う。

 一体どんな壮絶な体験をしたら、あんな表情をその若さでできるのだろう。


「誰かが正しいと思えば、無条件で正しいと思い込む。自分で考えることを放棄して、悪すらも善と塗り替える。それで、無害な人を叩いても全く悪びれようとしない。アンタらは本当にそれで良いのかよ! その頭は何のために付いているんだ! 何が良くて何が悪いかを必死に考えて判断するためだろ! それができないないなら、そんな飾りにしかならない頭なんて捨てちまえ!」


 少年の鬼気迫る、血を吐くような言葉に、女性は胸が締め付けられる思いがした。

 それは、彼女だけではなく、他の民衆たちも同じでいつの間にか罵声は鳴り止んでいた。


「アリスとの付き合いはまだ数ヶ月だ。彼女のことを全部知っているかと言われたら自信はねぇ。でも、アリスは感情任せに暴力を振るわない。暴力を振るうとしたら、そこには明確な理由がある。アリスは苦い食べ物が苦手なんだ。耳は、いつもどっちかが垂れているんだ。……自分よりも他の人を優先する、仲間想いな、どこにでもいる女の子、それが俺の知っているアリス・フォルフォードだ」


 肩で息をしながら、黒髪の少年は小さく呼吸をしてから膝をついた。

 処刑台に額を押し付けて嘆願する。


「──お願いします。周りの意見に流されないで、自分の目で、心でアリスという一人の女の子を見て下さい」


 たった一人。

 たった一人で少年は民意という名の怪物に立ち向かった。

 彼の言葉は震え、弱々しく、頼りなかった。

 民意からすれば、蚊が刺した程度の痛みしかない小さな叛逆だったのかもしれない。

 だが、少年は懸命に戦ったのだ。

 一人の嫌われ者の少女を救うために──。


 その結果は芳しくは無かった。


 だが、変化は小さいが確かに起きていた。

 大粒の涙を流しながら、周りの目など気にせずに精一杯の拍手を少年に送った。

 赤髪の女性──ネーナ・マッケンジーは民意の呪縛から解放されたのだ。


 瞬間、広場が再びざわつき始めた。

 その原因は処刑台の反対側。


「──────」


 鼓膜に響いた、馴染みのある声にネーナは勢いよく振り返った。

 そこに立っていたのは、三つの人影だ。

 灰色の髪をした長身の男性。

 白縹しろはなだに髪をしたメイド服姿の少女。

 そして、寝癖が直っていない短くもない、長くもない髪、その下にある優しさに満ちた柔らかな瞳をした中肉中背の男性。


「──その処刑待って欲しい」


 止まりかけていた涙がさらに溢れてきた。

 その面持ちは昔と全く変わらなかった。

 近くにある時計塔──そこに設置されている鐘が鳴り響いた。


 その荘厳な音色は、エドワード・ハウエルズが蘇ったことを讃えているかのようだった。

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