二章 第25話 『独りよがりの愚か者』


 グウィディオン邸の門前。そこに、ヒガナは桃色の髪の少女と仲良く並んでいた。


 彼らの目の前に停められた馬車に、今まさに乗り込もうとする人物が二人──灰色の髪をした長身の男と白縹しろはなだ色の髪をしたメイド服姿の淫魔。


 ヒガナたちはココたちの見送りでここにいる。

 彼女らはこれからエドワード・ハウエルズの元へ向かうのだ。


 ヒガナの予想通り、ウォルトたちの依頼主は件の人物だった。

 宿に頼みに行った時、ウォルトから提示された条件はグウィディオン家の人間との直接交渉。大方、情報量提供と引き換えに多額の金銭を要求しようとしたのだろう。


 ウォルトの握っている情報は、アリスの処刑を回避する、もっと言えばグウィディオン家の窮地を救う起死回生の代物。


 これに食いつかないはずが無いと睨んでいたウォルトは、ヒガナが来た瞬間にほくそ笑んだ。彼からすれば、情報一つで依頼達成と多額の情報料を得られるのだから。加えて貴族に恩も売れる、一石二鳥、いや、三鳥だ。


 ヒガナは条件を飲んでウォルトたちをグウィディオン邸へと案内した。

 交渉の場に立ったココはウォルトの提示した金額に二つ返事で了承。

 拍子抜けするほど、交渉はあっさりと終わり、すぐさまエドワード・ハウエルズの元へ向かう算段が立てられた。──その時間、僅か十分。

 そして、馬車を用意して今に至るという訳である。


「今から出ると、全力で飛ばしても帰ってこれるのは明日の昼間だな。ここに説得の時間も加算すると処刑時間ギリギリってところか」

「全く、随分と田舎に引きこもってくれましたね」


 悪態を吐きながら準備を進めるココを腑に落ちない様子でヒガナは眺めていた。

 その視線に気付いたココは準備の手を止める。


「私が極限に可愛いのは分かりますが、こうも穴が空くように視姦されると反応に困ってしまいます」

「そんな目で見てねぇよ! ……ただ、行かせるのが申し訳ないと思って。本当なら俺が行くべきなのに」


 アリスの現主人として、エドワードの元に行こうとしていたヒガナだったが待ったを掛けられてしまったのだ。

 その理由は、


「ヒガナさんが行ったところで感情に飲まれるのが落ちでしょう? 感情任せで押し通せる場面なら預けても良かったですが、相手が貴族となると理詰めの方が確率が上がります」

「それに、貴族との交渉に慣れているココが適任ってことだろ。分かっている、分かってるんだ……でも……」


 重要な場面で何もできない歯痒さ、力になれない悔しさがヒガナの奥底で鉛のようにのしかかる。

 ココの分の荷物も馬車に仕舞い込んだウォルトは胸ポケットから煙草を取り出す。その煙草はココに奪われ、小さな手で握りつぶされてしまう。

 どうやらココは煙草が嫌いのようだ。

 肩を落としながら、重苦しい表情のヒガナにウォルトは語りかける。


「何もできない悔しさや辛さは痛いほど分かるぜ。けど、こういうのは適材適所ってのがどうしても出てくるもんだ。ま、今回はモニカの子守りを落とし所にしてくれ」

「むぅ……子守りというのがひっかります」


 隣でむくれるモニカを横目に見て、ヒガナは力無く頷いた。


「それでは行きましょうか」

「ココ、俺の分も頼む」


 白縹しろはなだ髪の少女に己の想いを託す。

 受け取ったココは大した表情の変化も見せずに、


「必ず連れて来ますから、ベティーたちと暢気にお茶でも飲んでいてください」


 そう言って、さっさと馬車の中に入ってしまう。

 ヒガナの感情より時間の方が大事だと言っているかのようだ。事実そうだから何も言えない。


「いいですか? 相手はグウィディオン家の人ですから変なことしちゃダメですよ。絶対にダメですよ」

「大事な顧客に手を出すほど落ちぶれてないと信じたいもんだ」


 モニカの忠告を軽口で受け流しつつ、馬車に乗り込むウォルト。

 ココとウォルトを乗せた馬車は動き出す。


 真剣な表情で馬車を見送るヒガナは、その姿が完全に見えなくなっても、しばらくはそこから動こうとしなかった。

 すると、袖を引っ張られた。モニカが端を申し訳なさそうに摘んでいる。


「風邪引いちゃいますから、お屋敷の中に入りましょう」

「そうだな」


 ここでぼんやり待っていてもどうしようもない。

 今、自分にできることをするんだ。

 気持ちを切り替えたヒガナはモニカと一緒に屋敷内へ。


 無言で廊下を歩いていると、反対方向から左右色違いの瞳をした剣士──アルベールが不機嫌そうな足取りで向かってきた。


 が、その表情はモニカを見た瞬間に驚愕に変わった。アルベールは凄まじい速度で距離を詰め寄り、モニカの肩を勢いよく掴み、穴が開かんばかりに睨みつけた。


 普通の少女ならば泣き叫んだかもしれないが、流石は裏社会を生き抜いてきただけのことはある。モニカは顔を恐怖で引きつらせるだけで止まっていた。


「お前……なぜ、ここにいる!? なぜ、奴隷の身に堕ちている!? 答えろ!!」

「ひいぃぃ! 怖いです怖いです! ヒガナさん誰なんですかこの人!」

「ちょっ、アルベールさん」


 ヒガナの言葉を無視し、アルベールはモニカをしばらく睨みつけていたが、舌打ちをしてモニカを解放した。


「紛らわしい面しやがって。このガキは誰だ?」

「ウォルトさん……情報提供者の仲間で名前はモニカです」

「そうか」


 外套を直しながらモニカは、不遜な態度でそっぽを向く茶髪の男に問いかける。


「その目、どうしたんですか?」

「…………」

「紫紺の瞳を持つのは、私たちの一族だけと聞いています」

「お前には関係ないことだ」


 素っ気なく返答し、紫紺に輝く右眼を手のひらで隠すアルベールを見て、モニカはしつこく追求することなく、ほんの少しだけ口元を緩めた。

 奇妙な態度にアルベールは眉間の皺を深める。


「何がおかしい?」

「いえ、私の一族は確かに存在していたんだなと思って」

「は?」

「会ったことないんですよ、一族の人に。だから……」


 モニカの言葉を皆まで聞く前に、アルベールは伸びた茶髪を鬱陶しそうに掻きながら歩き始める。

 だが、ほんの少ししてから足を止めて、


「──フランチェスカ」

「え?」

「この眼を俺に与えた物好きな奴の名前だ」


 それだけを言い残して、アルベールはどこかに行ってしまう。

 モニカは告げられた名を口の中で反芻し、一族の存在をゆっくりと心に刻み込む。



×××



「少し、お話してもいいですか?」


 そう言ってベティーがヒガナの客室に訪れたのは夜も更け始めた頃だった。

 ベティーはいつものメイド服ではなく寝巻き姿だ。男の部屋に寝巻き姿で訪問するのは如何なものかとも思うが、淫魔はそこら辺の価値基準が人間とは違うのだろう。

 こんな夜遅くに、とヒガナは思いもしたが、その理由は容易に導き出せた。


「ベティーも眠れないんだな」

「はい。もしかしてヒガナさんも?」


 ゆっくり頷いてヒガナはベッドから立ち上がり、椅子を引いてベティーに座るように促した。

 ベティーが腰掛けるのを確認してから、ヒガナも椅子に座った。


「あと数時間ですね」

「あぁ、数時間後には決着がつく」


 泣いても笑ってもあと数時間。

 ココたちが処刑時刻までにエドワード・ハウエルズを連れて戻って来なければ全てが終わりだ。

 だから、彼女たちが時間内に戻ってくるのを信じて待つしかない。

 その気持ちは、まるでメロスを信じて待つセリヌンティウスのようだ。


「もし……もし、ココ先輩が間に合わなかった時は、わたしがアリスさんを逃します」

「何を言っているんだ? それにどうやって」


 唐突に放たれた言葉に、ヒガナは驚いて目を丸くする。

 ベティーは驚くヒガナを見ながらほんのりと苦い笑いを浮かべた。


「こう見えても暗部ですから、アリスさん一人を逃すくらいならなんとかできます」


 最悪の展開を予想して、ベティーは自らを犠牲にする覚悟を決めているようだった。

 ヒガナは少女の手の上に自身の手を優しく置いた。


「ありがとう、ベティー。でも、その提案は絶対に許さない」

「え……」

「今回の件でベティーが悪くないとは言えない。でも、本当に悪い奴は他にいる。もちろん俺にも責任はある。だからさ、ベティーが全部の責任を感じるのは違うと思うんだ」

「ヒガナさん」

「もし、ココたちが間に合わなかった時は俺がなんとかする。俺がなんとかしなきゃいけないんだ」


 堅い決意が宿った声色でヒガナは宣言する。


「失礼ですが、ヒガナさんにアリスさんを逃すような技術があるように見えませんが」

「そうだな、特殊技術みたいのは何一つ持ち合わせてない、どこにでもいる奴だ」

「それは無茶では……」

「かもな。でもな、時として無茶しなきゃいけない時があるんだ。──特に大切な仲間を守る時はな」


 言い切ってから、我ながら臭い台詞だな、とヒガナは恥ずかしさに襲われて顔をそらした。


 顔を真っ赤にしているヒガナは気付かなかった。彼を見つめるベティーの瞳は乙女のように輝いていたことを。ベティーからするとヒガナが抱く混じりっけの無い純粋な気持ちは、本当に綺麗なものに見えたのだ。


 それは、目も眩むほど美しい星空よりも、ずっと綺麗なものに思えた──。



×××



 処刑当日を迎え、広場にはアリスが処刑される瞬間を一目でも見ようと集まった王都住民でごった返していた。


「………………」


 岩のような大男が先頭に立ち、数名の騎士に囲まれながら、アリスは兎耳を揺らしながら姿を現した。その腕には枷がはめられている。瑠璃色の瞳はぼんやりとどこかを見つめ、フラフラとした足取りは騎士たちを少しばかり困らせていた。


 アリスの登場で民衆はここぞとばかりに罵詈雑言を口から吐き出す。日常での鬱憤を解消しようとしているみたいで、哀れみさえ感じてしまう。

 処刑台の丸太に縛り付けられるアリス。

 準備が整い、司教がアリスの目の前に立ち、神についての説教を淡々と始めた。


 ──全部同じだ。


 一度見たから、一度経験したからって慣れないものは幾らでも存在する。

 民衆の呪詛のような罵倒。

 アリスが処刑台に立っていること。

 怒りで頭がおかしくなりそうだ。怒号を上げて、アリスに罵倒を投げた奴を一人一人見つけ出して、渾身の力で殴ってやりたい。


 身体の中で理性を蝕む怒りに耐えながら、ヒガナは希望の帰還を祈る。

 しかし、希望の足音は全くと言っていいほど聞こえてこない。


 ──間に合わなかった。


 信じたくないが、異世界はいつだってヒガナに厳しい。

 首をもたげる絶望に浸り、悲劇を演じるのも一興かもしれない。

 だが、ヒガナは諦めるつもりは毛頭なかった。

 ベティーに大見得切っておいて、ここで膝を折ることができるだろうか。


 ──答えは、否だ。


 ヒガナは己が切望する未来へと大きく一歩踏み出した。

 集まった民衆の最前列に身を潜めていたヒガナは、退屈そうにあくびを噛み殺していた騎士の隙を突いて走り出す。


「あっ! おい!」


 見張り役の騎士が声を上げたが、時すでに遅し。

 ヒガナは処刑台に飛び乗った。


「な、何だね、君は!?」

「……ヒガナ」


 驚く司教を無視して、アリスに向かってヒガナは思いの丈を伝えた。


「俺は君に生きていて欲しい。だから、君が誰かの犠牲になるなんて我慢できない」

「……やめて」


 これからヒガナがしようとしていることを察して、アリスは苦々しく呟いた。

 彼女も守ろうとしているものがある。

 今からしようとしていることは、アリスの想いを真っ向から破壊する行為だ。

 これは、ヒガナの独りよがり。

 それでも──


「エゴでも、わがままでもなんでもいい。この先、君に恨まれたとしても構わない。真実を明らかにして、こんな馬鹿げた処刑を止めてやる」

「……お願い、ヒガナ……」


 狼狽するアリスを無視して、民衆の方へと正面を向ける。

 これ以上見ていたら情に流されそうだった。

 いっときの感情で一生後悔するなんて、まっぴらごめんだ。


 こんな大勢の人の前に立つことは初めてで、全身が緊張で震えていた。

 ヒガナは深呼吸を繰り返して、敵の姿を見据える。

 実在はしないが、確かにそこにいる不可視の脅威。

 無意識の個が生み出した、民衆を飼い慣らす強大な力を持つ怪物。

 苦し紛れに笑い、ヒガナは呟く。


「さぁ、決着つけようぜ。──民意かいぶつ

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