二章 第27話 『卑しき者の最期』
あれだけ大勢の人々でごった返していた広場は、今ではいつもと変わらない穏やかな雰囲気に包まれていた。
ちらほらといる市民を除けば大多数を占めるのは騎士団の面々だ。
彼らは急遽中止となったアリス・フォルフォード処刑の後片付けに追われていた。
怒涛の展開だった。
処刑を阻止しようと乱入してきたスオウ・ヒガナの演説。
死んだはずのエドワード・ハウエルズの登場。
わずか数十分で事態は大きく変化し、その対応に右往左往だ。
エドワード・ハウエルズは事情聴取のためにヴァーチェスと共に広場を後にした。彼の表情を見るに、真実を包み隠さずに話すつもりのようだ。
一方、乱入者であるヒガナは厳重注意を受けていた。しているのはルナだ。
「処刑直前に処刑台に上がるなんて前代未聞だよ? 物凄く危ないんだからもう絶対にしちゃダメだからね。分かった?」
「反省しています……」
反省はしているが、後悔はしていない。
する訳がない。
ヒガナが稼いだ数十分の猶予はアリスの運命を大きく変えたのだから。
ルナは形式上の厳重注意を終えると、屈託のない純粋な笑みを浮かべてヒガナの胸を軽く小突いた。
「カッコよかったよ。そして、おめでとう。ヒガナの正義の勝利だよ」
「こそばゆいな。でも、ありがとう」
「お礼を言いたいのは僕たちの方だよ。危うく無実の人を処刑するところだったからね。あ、そうそう、アリス・フォルフォードの釈放はもう少し待ってね。エドワード・ハウエルズの証言の裏取りと釈放手続き……色々面倒なんだよー」
「そうか……まぁ、そうだよな。アリスと会うのはしばらくお預けか」
寂しい反面、少しだけ安心している部分もある。
アリスの命を救った。
けど、それは同時に彼女の守ろうとしていたモノを踏みにじったことになる。
どんな顔して会えばいいか分からない、それが正直な気持ちだった。
俯いていると、ルナが肩を軽く叩いた。
顔を上げて、彼が指差す方向に視線を向けると──。
「随分と辛気臭い顔をしていますね。お粗末な演説をした後悔で穴にでも入りたくなってしまいました?」
「本当に……一番触れて欲しくないところを、これでもかってくらいに踏み抜くよな」
苦言にフンッと鼻を鳴らして、腰に手を添える影が一つ。
「抑揚のつけ方、注意の惹きつけ方、間の使い方、言葉選び──全部駄目、聴くに耐えない雑音でした。一度ちゃんと演説の手法を学ぶことをお勧めします」
「でも、時間稼ぎにはなっただろ?」
「その点に関してだけは文句無しです」
一歩、一歩と二人の距離は縮まって、やがてお互いの手が届くところで止まる。
スッとヒガナが手を差し出した。
「ココのおかげでアリスを救うことができた。本当にありがとう」
「私だけではありません、ウェールズ様、ソフィア様、ベティー、屋敷のみんな、そしてヒガナさん。全員で掴み取った勝利です。ですが、お礼はちゃんと受け取りました」
わずかに頬を赤らめてココは、その小さな手で差し出された手を握る。
彼女は「それから」と呟き──、
「グウィディオン家を救って頂き、当主に変わりお礼を申し上げます。──ヒガナさん、ありがとうございました」
その微笑みには一切の悪意はなく、ただただ感謝だけがあった。
×××
エドワード・ハウエルズの事情聴取はつつがなく行われた。
彼の供述は、多少の誤差があったが、大筋はヒガナが披露した推理通りだった。
証言は騎士団の裏取りの結果、信憑性有りと判断された。
それは、アリス・フォルフォードの無罪放免を意味した。
×××
アリス・フォルフォードの無罪放免の情報はたちまち王都中に知れ渡った。
そうすると、「あの子は無罪だと思っていたんだ」「本当は殺したんじゃなくて、暗殺の魔の手から守っていたらしい」「なんて善良な亜人なんだ」「今まで、私たちはどうかしていたのよ」などなど、アリスを肯定する意見が王都を埋め尽くした。
その様子を、目で見て、耳で聞いて、肌で感じてきた少女は呆れたように嘆息して、ハウエルズ邸へと戻った。
談話室のソファーに深く腰を下ろし、ゆっくりと瞳を閉じて思案に耽る。
少女は先程の王都の様子を瞼の裏に投影する。
先日までは、誰もが兎耳の少女を悪と断定し、死をと叫び狂っていたはず。
それが、新たな情報で一変してしまった。
十人が右を向けば、百人が右を向く。
百人が左を向けば、千人が左を向く。
「本当にキモい。一人残らず死ねよ」
少女の関心は今回の真相を暴いた者へと向いていた。
あの黒髪の少年……その姿が脳裏に浮かび上がり、忌々しそうに顔を顰めた。
「クソ偽善者が。ああいうのが一番ムカつく。次、機会があれば尊厳踏み躙って絶望の底に叩き落としてやる」
脳内で少年を完膚無きまでに苦しめて無聊を慰めた少女は、先ほど使用人が持ってきた飲み物を手に取る。
だが、掴んだかと思われたコップは彼女の手から滑り落ちてしまう。コップは絨毯の上に落ちて、中身が全て零れてしまう。
落ちたコップから自分の手に視線を向ける。
「ウザ……」
不愉快そうに舌打ちをして、少女はソファーから立ち上がる。
それから軽やかな足取りで赤髪を揺らしながら屋敷内を進んでいく。
目的の部屋の扉を開けると、一人の中年男が執務机に突っ伏して頭を抱えていた。大きな鼻からは焦燥に駆られた息が絶えず噴き出ていた。
「エドワードが生きていた!? どうなっているんだ!? これでは、当主の席が……」
「まだ当主の座にしがみついているとかダッサ。というかキモッ」
黒い服装に身を包んだ華奢な体躯をした少女は、燃え盛る炎を彷彿とさせる赤髪をいじりながら、鮮やかな夕陽を連想させる橙色の瞳にトマスを写す。
嘲笑混じりの罵倒に、トマスはギラついた視線を少女に向けて怒りに震えながら、唾を飛ばして吠える。
「誰だ、お前は! 誰の許しを得てこの屋敷に立ち入った!?」
トマスの問いに、少女は悪意を剥き出しにしながら吐き捨てる。
「すぐ死ぬゴミクズに教える訳ないじゃん」
「小娘が大概にしろ! 我が屋敷から早く出て行……ごあぁっ……?」
トマスの言葉が強制的に中断されて、奇妙で間抜けな声が漏れた。
唐突に襲ってきた違和感に脂汗を滲ませて、トマスは恐る恐る喉元に手を伸ばす。そして理解する。自分の喉にナイフが深く突き刺さっていることを。
直後に襲ってきた痛みに堪らず膝をついて全身をわなわなと震わせた。ナイフの近くで手を無意味に動かす。抜きたいのに抜けない。抜いたらどうなるかを本能的に理解しているからどうすることもできない。
そんなトマスの葛藤を嘲笑うように少女がナイフを掴み真横に一気に引き裂く。喉元が真一文字に裂けて、そこから噴水のように鮮血が飛び散った。
「自国の情報を他国に漏らすような口はしっかり封じないとね?」
真っ赤な花弁が散ったような光景に少女は嘲笑を深める。
「ほらほらもっと油ギットギトの血出しちゃえ」
少女は苦しむトマスを蹴り飛ばす。床に倒れたトマスの鮮血を絶え間なく溢れ出している傷口にヒールをねじ込んだ。苦悶の声と最大級の嘲笑が部屋に響き渡った。
「あ゛っ、あ゛あ゛……ゆ、ゆる……があ、あ゛あ゛……だすけ……」
「残念でしたー。誰も助けなんてこないよ? 屋敷の使用人は全員私の味方だから」
「あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁ………………」
「は? ゴミブタのクソ袋が」
絶望に突き落とされたトマスは苦し紛れに漆黒のブーツを掴む。
その瞬間、少女の表情に苛立ちが浮かび上がり、ヒールにより体重をかけて傷口を蹂躙する。
血を吐き出す絶叫が再度響いた。
「私に気安く触るとか本当にウザい。あーあ、本当にムカついちゃった。殺しくれって懇願するまで骨の髄まで痛めつけてあげるからたっぷり苦しんで?」
トマスは理解する。
これから自分は最悪な死を迎えると。
そして、最後に聴くのはこの少女の嘲笑ということを。
×××
断末魔が聞こえてから数分経って、執務室に新たな来客が現れた。
仮面を着けた黒尽くめの男だ。
彼は執務室の惨劇を目の当たりにしても一つも感情が揺らがない。
床に転がるトマスだったモノを踏みつけて天井をぼんやりと眺める赤髪の少女。その橙色の瞳からは一筋の涙が流れていた。
男──アインは声をかける。
「ノイン、終わったか」
「うん、完全に殺した。もう、二度と動かないよ」
第三者の存在に気付いたノインは視線を向ける。瞳は爛々と輝きを放っており若干息が荒い。拷問、殺人の余韻は完全には抜け切れていないようだ。
アインは屋敷の浴室から盗んできたバスタオルをノインに投げた。
受け取ったノインは顔を拭きながら、
「使用人とかは?」
「いや、標的はトマス・ハウエルズのみだ」
「ふぅん、別に良いけど。ねぇ、この流れでコイツの暗殺命令って明らかに仕組まれてない?」
「俺たちは上からの命令に従うだけだ」
お決まりの台詞にノインは溜め息を吐いた。
どこまでも面白くない男、とノインが内心で思うのはこれで何度目だろうか。
「いっつもそればっかり。本当につまんない」
毎回のやりとり。
いつもならこれで会話は途切れるのだが、今回は珍しくアインが言葉を続けた。
「仕組まれているとしたら、アリス・フォルフォードの件からだ」
「え?」
「アリス・フォルフォードがグウィディオン家と関わるきっかけはエマ・ムエルテの側近、ココ・オリアン・クヴェスト。俺たちは二人を繋ぎ合わせるために良いように使われたわけだ」
因みにアリス・フォルフォードの暗殺命令は既に撤回されている。
撤回宣言も暗殺に失敗した直後でアインとノインには処罰は無し。あまりにも不自然だ。
「ちょっと待ってよ。そんなの偶然じゃん。あの黒髪が帝国の死神に助けを求めるなんて予想できるわけない。大体、あの淫魔がセルウスにいることが何で予想できるの?」
アインは扉に背中を預けて腕を組む。
「後者に関しては説明できる。エマ・ムエルテ、ノノ・オリアン・クヴェストはソロフォロニウス城調査の依頼を受けてセルウスに来ていた。調査依頼を出したのは誰だ?」
「それは……あっ!」
「そういうことだ。とはいえ、お前が指摘した点を始め多くの疑問点はあるがな」
ノインはずっと疑問に思っていたことを遂に口にした。
「ねぇ、私たちの上──『
「………………」
「アインだけじゃん。正体知っているの。どんな奴なの?」
アイン、ノインが所属する組織は暗部の中でも更に存在を秘匿されている極秘組織だ。この組織を認識しているのは王政内でも極一部。
そして、組織を統括している存在──
正体を知っているのは組織の統率者であるアインのみ。命令などは全てアインを通して伝えられるので、ノインを含めた構成員はその正体を一切知らない。
「お前が知る必要はない」
冷たく突き放した言い方。
それを聞いたノインは大きく溜め息を吐いてからアインを座った瞳で睨みつけた。その表情はそれまでのノインとは全く別人に見える。
「あのさ、何で私がわざわざ聞いてあげているか分かっている? 顔を立てて上げているんだけど? 分かっているよね? ねぇ? ねぇ? あんまり調子乗ってると壊すよ?」
冗談とは言えない威圧を醸し出すノイン。
それに対してアインは小さく嘆息する。彼女を怒らせるような態度を取っていたことに反省をする。
しばらく行動を共にしていたが故に少しばかり気が緩んでいたようだ。
組織の構成員は一人残らず異常者だが、その中でもノインは最も危険だ。力も十分に危険だが、何よりも人間性が完全に終わっている。
絶対に気を許してはいけない。
「俺は
「どれだけ正体知られたくないの? なにそれつまんな。はぁー、なんか興味失せた」
ノインは呆れたように首を横に振り、血だらけになったバスタオルをアインに押し付ける。それから部屋を出て、黒い衣装を脱ぎながら廊下を歩く。
「どこに行く?」
「シャワー浴びてくる。ベタベタしてて気持ち悪いの」
その後ろ姿を眺めて、アインは自分にだけ聞こえるように呟いた。
「殺した奴の屋敷でシャワー、か。つくづくイカれた神経をしている」
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