二章 第11話 『虚ろな瑠璃、無言の権能』
ヒガナたちを中心に円を描き、腰に差した剣に手を添える騎士たち。こちらが少しでも動けば、即座に反応し、鍛え上げた剣技を披露してくれるだろう。
すぐ後ろに待ち構える王門を横目で何度も見て、ヒガナは自分自身のタイミングの悪さと選択の誤りに怒りを感じていた。
もう少しだったのに。
数分前、動こうとしないアリスを強引にでも引っ張って行けばこんなことにはならなかったかもしれない。
「ちく、しょう……」
逃げようにも騎士たちに隙らしい隙がない。無理に突破しようものなら、あっという間にお縄になるのは火を見るよりも明らかだ。
それに、今のヒガナはルーチェを背負っているため、最低限の抵抗もままならない。
さらに彼らを束ねる岩のような大男──ヴァーチェス・ウィンディンバンクの存在が決め手となり、逃亡という選択肢は現実味を失っていた。
諦めかけているヒガナに対し、アリスは全身から殺気を放ち、騎士団に対抗しようとしている。例え首を刎ねれても襲いかかりそうな迫力がある。
「大人しくするつもりはないようだな」
顎から伸びる傷痕を触り、ヴァーチェスはアリスを睨みつけた。
「……捕まるわけにはいかない」
それが、戦闘の皮切りとなった。
ヴァーチェスの巨大な拳が唸りを上げ、アリスに向かって振り下ろされた。
アリスは持ち前の動体視力で迫る剛腕を、外套を翻しながら
「ぐぬうぅ」
一瞬、苦悶の表情を浮かべるもすぐに引っ込めて、ヴァーチェスは伸び切ったアリスの脚を掴んだ。そして、あろうことか片腕のみで少女一人を持ち上げ、勢いよく石畳みの地面に叩きつけた。
「────っ」
空気を揺らす一撃にヒガナは咄嗟に目を逸らしてしまう。
剛腕から辛うじて脱出したアリスは、一旦ヴァーチェスから距離を取った。計算か本能かは定かではないが、取られた距離はヴァーチェスの攻撃範囲からギリギリ外れた場所だった。
鈍痛が響く脇腹をさするヴァーチェスは頬に微かな緩みを覚える。
「相変わらずの
アリスは取り囲んでいる騎士団を見渡して、うち一人に狙いを定め、素早く懐に潜り込む。
「へ? ああっ!」
彼はつい最近騎士になったばかりの新米だ。心構えや所作が他の騎士と比べて緩いのをアリスは本能的に察したのだ。
新米騎士は突然、自分が戦いの舞台に上げられたことに緊張し、わたわたと手を振り回すことしかできない。
好都合と言わんばかりにアリスは掌底を腹部に叩き込む。そして、嘔吐しながらうずくまる新米騎士から剣を奪い取った。
「……不本意だけど、掴まれるのは嫌」
先の一撃を受け切ったヴァーチェスの肉体に打撃は有効打にはならないと悟ったアリスは、彼、彼らの土俵に上がる選択をした。
「騎士から剣を奪うとは……ただでは済まないぞ、アリス・フォルフォード!」
「……そんなの知らない」
額に青筋を浮かべ、ヴァーチェスは己が剣を抜いた。
肉迫するヴァーチェス。その勢いはまるで獲物に猪突猛進する巨大な獣の様だ。
奪った刃を緩やかに構えるアリス。静まり返る水面の様な落ち着き振りは不気味にさえ思える。
静と動、両者の距離はみるみる縮まっていき──磨き上げられた鋼が交わり、火花が弾け飛んだ。
交差する度に奏でられる剣の音色は王都に響き渡る。
「────ぐっ」
洗礼され、騎士の名に恥じない美しく誉高い剣技。扱う男により、他を圧倒する猛々しさが付随され、剣技は更なる境地へと昇りつめる。
「……──っ」
それに対する剣技は型など皆無。ただ、殺すことに特化した暴力的な代物。しかし、それを扱う少女の存在が暴力を流麗な剣舞へと昇華させていた。
「────」
剣技と剣舞の狂宴。
長らく続く怒涛の剣戟に、驚愕と驚嘆が入り混じった声を上げたのは騎士団の面々だった。
アリスとヴァーチェスの力は拮抗していた。
正確に言うとアリスの方が僅かだが押していた。
それには訳がある。
ヴァーチェスの目的は逮捕であって殺すことではない。その制限があってか、彼は無意識のうちに手心を加えていた。
一方のアリスは殺すことに何の躊躇いもない。アクセルを全開で踏んでいる状態だ。手心をなんてものは砂粒一つも存在していなかった。
その差こそが、今の状況を生み出していた。
しかし、その均衡は長くは保たれなかった。否、剣戟が強制的に中断されたのだ。
「副団長と張り合うとか凄いねぇ。僕、結構驚いちゃった」
緊張感の欠片もない声。この場において、それは異質としか例えようがなかった。
「なっ、お前……」
ヒガナは声の主を目視し、声を引きつらせた。
煌めく瞳に純粋さだけを灯す騎士。
ルナ・ティモーナはヒガナの真横に居た。──彼の喉元に剣を添えて。
「ルナ……貴様、何をしている?」
鬼の形相を露わにするヴァーチェス。岩のような巨体が怒りで震える。
ルナのしていることは騎士道に反する行い。仮にも騎士団の一員として席を置いている身。見過ごすことなどできない愚行だ。
だが、青髪の騎士はヴァーチェスの放つ怒気をもろともしない。
「それはこっちの台詞だよ。久しぶりの好敵手に血湧き肉躍るのは分かるけど、職務中に戦いに酔っちゃうのはどうかと思うよ? さっさと捕まえて、この件は終わらせようよ。ね?」
「質問に答えろ」
厳かに呟くヴァーチェス。
ルナは呆れたように肩をすくめ、溜め息を吐いた。
「見ての通りだよ、副団長。アリス・フォルフォード、君が投降するならお仲間は解放してあげる。でも、抵抗するなら殺すよ?」
「……ヒガナ……ルーチェ」
アリスは顔を顰めた。
「脅しだと思わないでよ。僕はやると言ったらやる。助けようとしても無駄だからね。君が動いた瞬間に、二人の首を刎ねることが僕にはできる。だから……」
「ルナァァァ! 人質など以ての外! それでも貴様は騎士か!!」
飄々としたルナの声が搔き消えた。耳朶に轟く雷鳴のような一喝に、ヒガナを始め、騎士団全員の肝が震え上がる。
ルナは表情を変えない。異常なほど強い心胆を持ち合わせているらしい。
「副団長、前々から言ってるけどさ、僕は騎士じゃない」
一拍置いて、ルナは一点の曇りのない口調で自分の存在を告白した。
「──正義の味方だよ」
「………………」
「さてと、どうする?」
視線をヴァーチェスからアリスに向ける。
迷っている様子は無かった。アリスは奪い取った剣を捨てて、緩慢な動きで両手を上げる。
それは降伏の証だった。
「アリス逃げろ!」
「……ヒガナ?」
「本当は殺してないんだろ! それなのにどうして罪を被ろうとするんだよ! アリスが苦しむ必要なんてない! 俺のことはいいから逃げてくれ!」
それはヒガナの願いを吐き出しただけだった。
実際のところは分からない。それでも、ヒガナはアリスを犯人とは認めようはしない。
断じて違う、と心が叫んでる。
その感覚、気持ち、直感を信じたい。
誰が何と言おうとも、民意がアリスを犯罪者に祭り上げようとも、自分だけはアリスを最後まで信じ抜く──そう、誓ったのだ。
アリスはヒガナの叫びを聞いて、目を丸くしたあとに、首に着けられている霊装を愛おしそうに撫でて薄っすらと微笑んだ。
「……ありがとう、ヒガナ」
それがアリスの最期の言葉だった。
「………………………………ぇ」
鮮血の華が散った。
一瞬、目の前で何が起こったのか、ヒガナは理解することができなかった。
アリスは自らの手で喉を突き刺したのだ。
その場に崩れ落ちるアリス。
風穴が開けられた喉からは蛇口を捻ったように血が溢れ出し、掠れた音がリズミカルに奏でられる。
口から垂れる鮮血は石畳みにじんわりと広がっていく。
虚ろな瑠璃色の瞳、痙攣で小刻みに跳ねる肢体。
その場に居た者はたっぷり十秒を使って、兎耳の少女が自害したことを理解した。
「治癒術師を呼んでこい! ここで死なせる訳にはいかん!」
ヴァーチェスの命令を皮切りに、騎士団たちが慌てて動き出した。統制の取れてない乱れた動きは、この場に起こった急展開を克明に表していた。
「あ、あぁ……そ、そんな……」
ヒガナは駆け寄るも、どう対処すればいいのか分からず、直感に従って喉にポッカリと空いた穴を自らの手で塞ぐ。
塞いだところで僅かな隙間から血は溢れ、ヒガナの手を真っ赤に染め上げる。
「アリスッ! アリスッ! あぁ……なんでこうなるんだよ……頼むから死なないでくれ!」
「………………」
「何か助ける方法は、俺にできることは無いのか? 考えろ、考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ──」
今、できるであろう事柄を脳内に羅列し、最適解を求める。だが、そのどれもが決定打にならない。
諦めかけたその時、ヒガナはある考えに至る。
「治せるかもしれない……」
ヒガナの持ち合わせている……かどうかも不明瞭な力。
フレット戦の直後に起こった不可思議な現象──『高速治癒』だ。
しかし、当然の結果と言うべきか力は発動しない。
それもそのはず。元より自分の意志で高速治癒を発動したことは皆無。たった一回、加えて自動発動だったため、ヒガナは明確な発動条件を知らずにいた。
「なんで大事な時に……。頼むから発動してくれ。アリスを助けたいんだっ」
血を吐くような懇願をするも、力は残酷な程に無言を決め込んだ。曖昧な奇跡など存在しないと言わんばかりに。
「クソッ! どうして……どうしてだよ! お前はそんなにアリスを殺したいのか!? 散々助けて貰ったじゃないか! この子が居なかったら、お前はとっくに死んでいた! 少しは……少しは恩を返せよ、馬鹿野郎──っ!!」
泣き喚き、己自身を罵倒する。血塗れになりながら風穴を押さえていたヒガナは、おっとり刀で駆けつけてきた治癒術師たちによってアリスから引き剥がされてしまった。
「アリス! 離せ、離してくれ! アリスが! アリスがぁぁぁぁぁぁぁ──!!」
狂乱するヒガナを哀れに感じたヴァーチェスは首に手刀を叩き込み、彼の意識を強制的に断絶させた。
太い腕でヒガナが倒れるのを阻止した王国騎士団副団長はルナに怒りを孕んだ双眸を向けた。
「やってくれたな」
流石のルナもバツが悪そうに頬を掻いている。
「い、いやー、まさか自害するとは……でもでも、王国の治癒術師は優秀だから、きっと大丈夫だよ」
言葉が続くにつれて、声が細くなり、最後の方は何を呟いているか本人以外には聞き取ることはできなかった。
「…………ごめん」
「それ相応の処分は覚悟しておくんだな。それより、この少年と幼き子はどうしたものか」
ヴァーチェスはヒガナたちの処遇をいかほどの様にするか大いに迷い、顎の傷痕を撫でながら大きな溜め息を吐いて空を見上げた。
不気味な程に曇天模様だった。
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