二章 第2話 『グウィディオン家の人々』


 性格の悪い淫魔に弄ばれたヒガナは身体に纏わりつく火照りを冷やすように顔を洗う。

 洗面所から出て屋敷の廊下を歩いていると後ろから声をかけられた。


「その顔はココちゃんに何かされたようだね」


 男性はヒガナに向かって朗らかに言う。

 彼の名はウェールズ・グウィディオン。グウィディオン家の当主だ。

 どこか気弱そうでうだつの上がらない、問題が起こればすぐに頭を下げてしまいそうな風貌の男性だ。全体的に細く顔も若干やつれており、とても丈夫そうには見えない。


 彼のヒガナと同じく食堂に向かっていたようで話をしながら一緒に歩くことにした。と言ってもヒガナは食堂の場所を覚えていないのでウェールズとの鉢合わせは幸いだった。

 とはいえ相手は貴族なのでヒガナは緊張気味だ。


「寝起きに罵倒のワンツーからのフック、アッパー貰いました」

「申し訳ないね。お客人への悪戯は控えるように言ってみるよ」


 不思議なのはウェールズはどうもココに腰が低い。

 それにココはウェールズに対しても、ヒガナを罵倒している時と同じスタンスを取っているのを昨日目撃した。あれが使用人の態度なのか、と首を傾げたのは記憶に新しい。


「ウェールズさんって弱みでも握られているんですか?」

「え?」

「いや、その……使用人なのに当主のウェールズさんにあそこまでの暴挙を働けるのは……」


 ヒガナはかなり失礼なことを聞いていると気付き段々と尻すぼみになっていく。

 それに対してウェールズは軽く手を振って、ヒガナの問いに答えてくれた。


「ココちゃんは他の子たちとはちょっと違うからいいんだよ。それにあの子が居ないと色々と困るからね」

「そうなんですか?」

「まあ、夜の相手もしてもらっているからね。弱みを握られているのはあながち間違いではないかも」


 あっけらかんとウェールズは言った。

 それを聞いたヒガナは、そういう想像をしてしまい顔を少し赤らめた。


「そ、その毎晩ですか?」

「毎晩毎晩別の子だよ。ちゃんと相手してあげないと可哀想だからね。ココちゃんは私が疲れている時かな。想像できないかもしれないけど、あの子上手いんだよ」

「ウェールズさん! この話やめましょう! もっと別の話題を広げましょう!」


 なぜか、この屋敷の使用人は全員が淫魔である。

 巷ではウェールズ・グウィディオンは『淫魔狂いの公爵』として噂になるほどだ。そして、覇気の無いウェールズの風貌を見れば誰もが噂は真実と認めて疑わない。

 ヒガナは隣で笑う貴族を一瞥し、


「大丈夫か? この人」


 そう小さく呟いた。

 淫魔たちに精力根こそぎ奪われて死ぬんじゃないか、と本気で心配になる。

 そんなヒガナの不安をよそにウェールズはこんな提案をしてきた。


「ここにいる間、ヒガナ君も彼女たちの相手をしてくれないかな?」

「はぁ!?」

「できればでいいんだけど……。私一人だとどうしても待たせてしまうからね。それにあの子たちも私より君のように若い子の方が良いと思うし」


 とんでもない提案にヒガナは顔を真っ赤にして口をパクパクさせた。

 なかなか言葉が出てこなかった。


「あ、えっ……と、お、俺は…………」

「──当主様の頼みを無下にしようとするなんてとんだ恩知らずですね、お客様」


 他者を小馬鹿にしたような声が割り込んできた。

 何かと思うと、ココが窓からゆっくりと入ってきたのだ。──その手には二本の剣が抱えられていた。

 ウェールズは苦笑いを浮かべる。


「それアルベール君のだよね? また盗んできたのかな?」

「盗むだなんて人聞きの悪いことを言わないでください。勝手に拝借しただけです」

「百歩譲って拝借でも剣は駄目だよ。彼にとって剣は魂みたいなものなんだから」


 昨日屋敷に来たヒガナは住人──と言っても当主と使用人たちだけだが──との顔合わせはしたが、アルベールという人物にはまだ会っていない。

 だが、直感でアルベールという人物もココの嫌がらせの被害者ということは分かった。


「剣もろくに握ったことも無いくせに随分と知ったような口を叩きますね」


 当主相手にこの言い草である。

 しかし、ウェールズは怒るどころか申し訳なさそうに頭を下げた。


「ご、ごめんね」


 関係性がまるっきり逆転していることに絶句しているヒガナを見てココはニヤリと笑った。意地の悪い、小悪魔的というには少しばかり悪意が強い笑みだ。


「今、お客様はなぜウェールズ様は不躾な使用人を怒らないのか、と思っていますよね?」

「まぁ、そうだな」

「実はこれは行為の一環なんですよ。後にウェールズ様に物凄いお仕置きをされるんです」

「行為の一環……だと?」


 ヒガナが戦慄する隣でウェールズは狼狽を隠せない。


「ちょっ、ココちゃん。何言って……」

「私の番が回ってくるまでウェールズ様は欲求不満を溜め込むんです。もう、ウェールズ様が爆発したら本当に凄いんですよ。次の日、足腰ガクガクですから」

「ヒガナ君違うからね。今の全部ココちゃんの冗談だからね?」


 ウェールズは必死に言い訳をするが、ヒガナはとてもじゃないがココの話を冗談とは思えなかった。

 人間には表と裏があるというから。


「話を戻しますが、お客様は今晩誰かの相手をしてもらいます」

「はぁ!? 俺は良いなんて一言も……」

「決定事項ですから。私に仰ってくだされば好みの子を、お客様にその気が無くても誰か部屋に向かわせます」

「そんなの困るって! アリスとかルーチェが部屋に来るかもしれな……つか、二人と部屋が違うのってそういうことなのか?」


 ヒガナはココに疑いの視線を向けた。

 返答なんていらなかった。──ココの浮かべた悪戯な笑みが全てを語っていたのだから。


「誰が良いですか? 豊満体型のマーリン、幼児体型のノン、加虐趣味のサリー、被虐趣味のチルト──などなど選び放題ですよ。何人でも良いですし、それとも私にしますか? 散々罵倒してきた相手を屈服させるのは凄まじい優越感ですよ。まぁ、どの子を選んでも確実に快楽の海に溺れるのは間違いありませんけど」


 誘惑の言葉一つ一つがヒガナの脳に直接響いて、正常な判断を鈍らせる。

 ココが、淫魔が言っているからこんなにも響いているのだろうか?

 ヒガナは頬の内側を噛んで誘惑を断ち切ろうとした。


「俺は簡単に流されたりはしない」

「それはそれは。夜が楽しみです」


 ココの心底楽しそうな笑みが、ヒガナの対抗心をより一層強めたのは言うまでもない。



×××



 「このルートで食堂に来れるのか」


 広い空間の真ん中に置かれた、白いクロスがかけられた長テーブル。高い天井を見上げると豪華なシャンデリアが吊るされている。

 ただ食事をする場所でこの広さ。昨日もそうだったがスケールの違いにヒガナは目眩がする。

 食堂内には人影がちらほらとあった。その殆どが朝食の準備をしている使用人。やはり淫魔ということで例外なく美人ばかりだ。

 彼女らによって食卓が彩られていく。パンやサラダ、スープの匂いに腹の虫が騒ぎ始めた。

 すると、ヒガナの後ろから声が聞こえてきた。


「…………あっ」


 振り返ると初めて見る少女が口元を覆い、驚きの表情を浮かべていた。


 想像を絶する滑らかさと光沢が眩い輝きを放つ白銀色の髪、澄み切った冬の夜を彷彿とさせる黒瞳が見る者を射抜く。

 優しく柔らかな面貌には美しさと幼さが黄金比で混ざり合い、醸し出されるたおやかな雰囲気は彼女の魅力を底上げする。

 淡い色を基調とした装飾の少ない服装。五芒星と百合の花らしき紋章が刺繍されていた。


「………………」


 少女の姿を捉えた瞬間、ヒガナは息を飲む。

 彼女の容姿はプリムラを想起させる。短い時間での邂逅だったにも関わらず鮮明な印象を刻み込んだ彼女。一体何者なのかは未だに分からない。


 少女はさりげなく視線を外す。首にかけられた十字架のネックレスを握りしめて、ウェールズに問いかけた。


「この人は?」

「彼はスオウ・ヒガナ君。ココちゃんのお客様だよ」


 問われたウェールズは朗らかな声で少女にヒガナを紹介する。

 少女は「そう」と小さく呟いてから、改めてヒガナに顔を向けた。あまりにも綺麗な黒瞳でずっと眺めていると吸い込まれそうになる。


「私はソフィア。……よろしくね、ヒガナ」

「あ、あぁ、よろしく」


 互いに挨拶を交わす。

 ウェールズとソフィアの二人は全くといっていいほど似ていない。親子ではないのは確かだ。

 それよかプリムラに似ている。どこがと言われれば難しいが全体的に何となく似ていた。何か繋がりがあるのだろうか。


「………………」


 別の子のことを考えるなんて失礼だな、とヒガナは心の中で反省する。


「つか、どうしてそんなに驚いたんだ?」


 先程のソフィアの反応は妙なものだった。特段驚かれるような顔立ちをしている訳ではない。特徴が無い没個性、それが周りからの評価だった。


「ごめんなさい。黒髪の人を見たのは初めてだったから」


 彼女の発言から察するに、この世界において黒髪というのは珍しいようだ。エマ、ルーチェと既に二人の黒系に髪を持つ者と出会っているヒガナからすれば、その珍しさはイマイチ分からない。


「ソフィアちゃん。良かったら後でヒガナ君たちに屋敷を案内してあげてよ。私みたいなおじさんに案内されるよりは歳の近い君となら会話も弾むだろうからね」

「それは構わないけど、ヒガナは?」

「願ったり叶ったりかな」


 ウェールズに案内されるのが嫌な訳ではないが、いかんせん当主ということで気が休まらない。ソフィアの案内でも気が休まらないといえば休まらないのだが。

 ほんのりと頬を赤らめたソフィアは咳払いをして恥ずかしさを隠そうと務める。


「それじゃあ、朝食の後にね」

「よ、よろしくお願いします」


 気恥ずかしさが伝染したのか、それともソフィアが魅力的だったからなのか、ヒガナは緊張しながらぎこちなく頭を下げる。

 その姿にソフィアはクスリと笑う。


「何で急に敬語?」

「いや、何となく」


 正統派ヒロインのような美少女と幸先の良い対面を果たせたことに内心で喜んでいると、


「あのクソ淫魔はどこに行った!?」


 浮ついた気持ちを地面に叩きつける怒号が響く。

 何事かと思うと、一人の男が食堂に飛び込んできた。


 かなりの長身だ。百八十センチ近くはあるだろう、

 天然パーマがかった茶髪は伸び放題で毛先が四方八方に向いている。

 顔立ちは端正だが無精髭のせいか粗暴な印象が嫌に強い。

 瞳に宿る輝きは右眼は穏やかな紫紺、左眼は髪と同じ茶色で苛烈が燻っているように見えた。

 鍛え抜かれた身体は身軽な服装をしている。


「お、落ち着きなよアルベール君。ココちゃんならもう少しすれば来るだろうから。その時に返してもらえばね?」


 説得するウェールズ。

 アルベールと呼ばれた男は茶色の瞳で睨みつけた後に忌々しそうに舌打ちをする。


「お前が甘やかしてるからつけ上がるんだ」

「甘やかしているつもりはないんだけど気をつけるよ。でも、あの子が剣を盗むのは君にも原因があるんだよ」

「あ?」


 獣じみた威圧にウェールズは肩を震わせる。彼は本当に当主なのかと疑いたくなるくらい弱腰だ。


「ほ、ほら、君は剣を盗まれたら取り返そうと追いかけ回すよね。ココちゃんはその必死な君を見るのが楽しくてやっているんだから」

「────ッ! クソッ!」


 遊ばれていることに気付いたアルベールは髪の毛を掻き毟り吐き捨てる。

 それから、遅まきながらヒガナの存在に注意を向ける。


「誰だ?」

「ヒガナよ。ヒガナ、この人はアルベール・アンセム。役職はえっと……何だっけ?」


 案内役として屋敷の面子の紹介をかって出たソフィアだったが、アルベールの立ち位置が分からなくて唇に添えて首を傾げる。

 天然も入っているのか。ますます正統派ヒロインって感じだ。

 可愛さ全開の疑問顔だが、アルベールは一瞬たりとも心を揺らさずに辛辣に切り捨てる。


「そんなもの知るか。勝手に考えておけ」

「もう! アルベールっていつもこうなのよ」

「まあまあ、この屋敷じゃ肩書きとか序列とかいった堅苦しいのは無しだから。みんな対等な家族ってことでね」


 ヒガナは耳を疑った。

 地位や序列を執拗に気にするのがヒガナの想像する貴族像だ。それなのにウェールズは貴族でありながら、その考えを堅苦しいと一蹴して対等だと主張する。

 ウェールズ・グウィディオンは恐らく貴族の中でも飛び切りの変人の部類に入る。そんな気がするのは決して気のせいではないだろう。


「会話に花を咲かせるのは結構ですけど、入口を塞ぐのはやめていただけますか?」


 第三者の声に入口にいた四人がハッとして振り返ると、不遜な表情をした白縹しろはなだ髪の使用人が仁王立ちしていた。

 その後ろには寝癖が凄まじいことになっている亜麻髪兎耳の少女と漆黒超絶ロングの幼女が眠気まなこを擦りながら立っていた。


「お前! 剣をどこにやった!?」


 アルベールの怒りなどそよ風程度としか感じていないココは欠伸をしながらあっけらかんと言う。


「使用人の誰かに渡したので後で探してください」

「クソ面倒臭いことするんじゃねぇ!」


 青筋を浮かべるアルベールを鼻で笑ったココ。妙に艶かしい咳払いをして注目を集める。


「さて、全員集合とはいきませんが朝食にしましょうか。異論は認めませんよ?」


 その一声でグウィディオン邸の朝食が緩やかに開始された。

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