二章 第3話 『武闘派のメイドさん』


 目の前に並べられた食事はどれも絶品という称賛にふさわしい代物だった。

 瑞々しく新鮮な野菜が使われたサラダ。

 口に入れた瞬間に広がる芳醇な味わいのスープ。

 メインの料理も朝に合わせて軽めだが、確かな旨味が凝縮されている。


「美味い」

「……美味しい」

「うむ、美味じゃ」


 ヒガナたちが料理に舌鼓を打つのを見て、上座に座っているウェールズは満足そうに微笑む。

 その後ろで姿勢良く起立しているココは「当然です」と胸を張る。


「グウィディオン家の使用人は一人残らず優秀ですから」

「一人問題児がいるがな」


 ヒガナの対面、ソフィアの隣に座るアルベールが白縹しろはなだ髪の使用人を見ながら茶々を入れる。


「問題児? あぁ、ベティーのことですか。確かに彼女は他と比較すれば使えませんが問題児という程ではありませんよ」


 平然と毒を吐くココ。

 ここにベティーなる使用人が居なくてよかった。居たらきっと落ち込んでいただろう。

 ちなみに食堂にはココともう一人を除いて使用人は誰も居ない。


「俺はお前のことを言っているんだ」

「使用人を教育する私を問題児と揶揄するとは……なんて知能の低さなんでしょうか。失礼、剣を振ることしか能がありませんでしたね」

「あ?」


 完全に遊ばれているアルベールに苦笑しつつ、今のココの発言でヒガナの頭の片隅にあった疑問が氷解していく。


「ウェールズさんが言っていた居ないと色々困るって、そういうことか」

「お察しの通り。ココちゃんは教育係として本当に優秀なんだ。彼女の教育があるとないとじゃ効率が全然違うんだよ」


 ウェールズの言うことは事実なのだろう。

 しかし、ココが教育係とはとても思えない。見た目が幼いのもそうだが、彼女が使用人らしい振る舞いを屋敷に来てから一度たりとも見ていない。メイド服を着ていなければただの悪戯少女だ。


「アルベール様の仰ることには一理ありますわ」


 瞑目し待機していた美女が呟く。

 髪の毛をシニヨンに纏め、ベーシックなメイド服を完璧に着こなし落ち着いた雰囲気の彼女は、使用人たちを統括する給仕長だ。彼女もココの手綱を握れていないのは先の発言で容易に想像できる。

 やはり、ココは問題児らしい。


「私が可愛くて話題にしたい気持ちは分かりますが、今はお客様に注目したらどうですか? 大物が居るんですから」


 華麗に話題を切り替えたココ。

 現に視線はヒガナの両隣に座って朝食を食べているアリスとルーチェに向けられた。──ただ一人の視線を覗いて。


「兎耳の子とヒガナの妹さんは有名人なの?」


 キョトンとして首を傾げているのは白髪の少女だ。

 どうしてこの二人が大物なのかさっぱり分かっていない様子で、ココは呆れたように溜め息を吐いた。


「ソフィア様の無知っぷりには頭が痛くなりますね。お客様、無知なソフィア様のためにお連れの方を紹介していただけませんか?」


 急に振られてヒガナは口に運ぼうとしていたスプーンを急停止させる。それからスプーンを置いて、ソフィアにアリスとルーチェを紹介する。


「兎耳の子はアリス。大切な仲間だ」

「……ご主人様に愛されています」

「急にそういうの言われると恥ずかしいんだけど!?」

「へぇ、ヒガナとアリスってそんな関係なんだ」


 アリスをひと目見てから、ソフィアは眉間にシワを寄せてヒガナを見た。

 なぜ睨まれたのかヒガナには分からなかった。


「多分だけど、ソフィアが思っている関係とは違うから。んで、幼女の方はルーチェ……俺の妹だ」


 ルーチェとの関係は何だろうと考え、丁度良いのが無かったので妹と言ってみる。

 すると、案の定ルーチェが吠える。


「何を口走っていうのじゃお前様!? 余とお前様のどこをどうしたら兄妹に見える!? 百歩譲って兄妹としても余が妹とはどういうことじゃ!?」

「妹じゃないの? まさか……お母さん?」

「この白髪娘の頭はどうなっているんじゃ!?」


 ソフィアの謎の思考回路にルーチェは悲鳴に似た声をあげた。

 とまぁ、二人の紹介を終えたがココは『それだけか?』といった視線を浴びせまくる。が、視線を浴びつつも説明する素振りをみせないヒガナ。

 ココは呆れたように肩を竦める。


「まぁ、いいでしょう。ソフィア以外は把握しているようですから。それよりお客様方はどれほどの期間滞在するのですか? 我々としては長く滞在して頂けると喜ばしいですけど」


 我々というのは恐らく使用人、淫魔たちのことだろう。その証拠にココの浮かべている笑みがどことなく淫靡に見える。


「瑞穂ノ国に行く準備が整うまでは厄介になりたいかな」


 準備といっても衣服の調達と瑞穂ノ国までの道のりを把握するだけ。金銭的問題はエマから借りた大金があるから解決済み。

 その気になれば明日にでも出発は可能だ。

 だが、そこまで急ぐ旅では無いし、どうせなら万全の状態で瑞穂ノ国に行きたい。

 ヒガナはRPGだとしっかりレベルを上げて、アイテムを十全にしてからボスに挑むタイプなのだ。


「差し支えなければ瑞穂ノ国に行く理由を教えてくれないかな? もしかしたら私も力になれることがあるかもしれないから」


 屋敷に滞在させてもらえるだけで十分だというのに。

 ウェールズは何て優しい貴族なんだ。


玖由那くゆなって人に会いに行こうと思っています」

「玖由那様か。確かココちゃんは面識あったよね」

「はい。怠惰な狐って印象しかありませんが。あんな強大な権力を持たせて瑞穂ノ国は大丈夫なのか、正直不安です」

「お願いだから他のところでそんなこと言わないでね。玖由那様の関係者の耳に万が一でも入ったら、私たち潰されちゃうから」


 随分と洒落にならないことを言ってくれるものだ。

 しかし、冗談ではないのはウェールズの本気で焦った表情をみれば容易に分かる。

 貴族すら震える存在とはどんな人物か想像していたヒガナにココが思いもよらない発言をした。


「私が玖由那様に口添えしましょうか? そうすれば面会は叶いますよ」

「それはありがたいけど……なんか怪しいな」


 ココの性格の悪さはこの数十時間で把握済みだ。

 そんな彼女が損得勘定を度外視した提案などするはずがない。


「さて、どうでしょうね」


 ココは意味深に呟いて、それ以上は口を開こうとはしなかった。

 その妙に自信に満ちた表情は嫌に脳裏に残った。



×××




 朝食を済ませたヒガナたちはソフィアの案内でグウィディオン邸を見て回っていた。因みにルーチェは食事終わりに意識が途絶えてしまった。現在は客室で就寝している。

 そんな最中のことだ。

 ヒガナは視界の端に奇妙な光景を捉えて、前を進んでいたソフィアを引き止めた。


「ちょっといいか?」

「ん? どうしたの」

「あのメイドさんだけやけに武闘派に見えるんだけど」


 そういうヒガナの視線の先、中庭で選定作業に勤しんでいるお下げ髪の使用人。パッと見だと見学中に出会った使用人と変わりないのだが異なる一点がある。──なぜか彼女だけ帯刀しているのだ。

 疑問を解決するためにヒガナたちは中庭に出て、件の使用人の元に向かった。


「こんにちは、ベティー」

「きゃぁぁぁ! ソ、ソフィア様────ッ!?」


 ベティーと呼ばれたお下げの使用人はソフィアに気付き、驚きのあまり剪定バサミを放り投げてしまう。綺麗な弧を描いた剪定バサミはヒガナの鼻先をかすめて芝生に突き刺さった。

 冷や汗が一気に吹き出す。


「……殺す」


 ご主人様を攻撃してきたと勘違いしたアリスは冗談抜きでベティーを殺しにかかる。慌ててヒガナは間に入って凶行を未然に防ぐ。


「ストップ! アリス、ストップ! 今のは不慮の事故だから!」

「ひぃぃ! お客様申し訳ございません!」

「……次は無い……例え不慮の事故でも」


 アリスは殺意の矛を収めてぼんやりと庭園を眺める。身体のどこかにスイッチが内蔵されているんじゃないかと思うくらい異常な切り替えの早さだ。


「怖い思いさせてごめんな。アリスも悪気があった訳じゃないんだ」

「いえ、わたしの不注意が招いたことですので。あ、グウィディオン家使用人見習いのベティーと申します」


 場の雰囲気が穏やかになるのを感じてヒガナは胸を撫で下ろした。


「俺はスオウ・ヒガナ。んで、アリスだ。……使用人見習い?」

「ベティーは私と一緒でこの屋敷に来てまだ一ヶ月しか経っていないの」

「あぁ、そういう理由で使用人見習いなんだな」


 改めてベティーを見る。

 すると、身体の奥底から湧き上がるものを感じた。

 この屋敷で何度も感じた疼きを確認してベティーも淫魔だと確信する。


「……この屋敷は淫魔だらけ、ヒガナには毒」

「まぁ、メイド全員だからな」


 屋敷内のどこにでも使用人はいるわけで、ヒガナは常時淫魔の体質に悩まされている。凄まじい勢いで耐性は上がっているだろうが中々に苦しいものである。


「万が一にも俺が誘惑に負けて、メイドの子とそういうことをしたらアリスはどう思う?」

「……ころ……仕方ない」

「今、絶対殺すって言おうとしたよな!?」


 兎耳を折りたたんでヒガナの苦言を無視するアリス。

 二人の会話を聞いていたベティーが首を傾げた。


「でも、今晩はお客様……」

「あー! そうだ、君に聞きたいことがあったんだ!」


 サラリと爆弾を投下しようとしたベティーの声を掻き消すようにヒガナは大声を張り上げた。

 今晩、部屋に使用人の誰が来るなんて知られたら、どうなるか分かったものじゃない。それ以前に気まずい。


「わたしに聞きたいことですか?」

「何で腰に剣差しているんだろうと思って。それが聞きたかったんだ」


 言われてベティーは帯刀している二本の剣に視線を落として困ったような顔を浮かべた。


「実はココ先輩に肌身離さず身に着けておくように言われまして。何で剣なんかをわたしに……」


 朝食前の会話を思い出してヒガナは苦笑した。

 彼女こそアルベールが探している使用人だ。


「やっと見つけたぞ。俺の得物を返せ」


 そこにタイミング良くアルベールが苛ついた足取りでやって来た。

 彼が来た理由を察したベティーは、身体を震わせながら剣を慌てて外してアルベールに返却する。


「こ、殺さないでください」

「馬鹿か。殺す訳ないだろ」


 嘆息してからアルベールは腰に剣を差す。そこが本来の場所だと言わんばかりに剣が輝いて見えた。

 それから茶色の瞳でヒガナを睨みつけ、


「来い」


 萎縮したヒガナは大人しくアルベールに従う。

 ソフィア、アリス、ベティーから少し離れたところでアルベールは足を止めてヒガナに顔を向けた。


「あの……何ですか」

「早く屋敷を出ろ」

「…………え?」


 何の脈絡もなく言われたヒガナは反応に遅れ、口に出た言葉も意味のなさないものだった。

 ヒガナの反応など関係無いといった様子でアルベールは色違いの双眸で睨みつけて厳かに言う。


「普通に生きたいならグウィディオン家に、俺たちに……ココに関わるな」

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